ラベル ご近所 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ご近所 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年8月18日火曜日

上野公園23 科博7 哺乳類の分類・クジラは牛、アシカは虎の仲間

7月17日、科博にきてフーコーの振り子、新館(地球館)2階の豊田自動織機、最初の電子計算機、人工衛星おおすみなどを見た(前のブログ)。

2階の廊下に出るとゲリラ雷雨はますます激しくなっていた。

ここ数回にわたり科博にきて、いよいよ最後の3階に上がる。
3階は手前の3分の1が「親子の探検広場・コンパス」になっている。小学生以下(主に4歳から6歳まで)と保護者が対象で、塗り絵や工作をする。しかしそういうものは他の施設に譲って、科博は高学年以上を対象にした展示に徹したほうがいいと思った。

その奥は迫力あるステージがある。
12:40
哺乳類のはく製の群れ

テーマは「大地を駆ける生命」
壁側には鳥もいる。

このあたりはシカ類が多い。牛のようなものもいる。
向こうにはラクダも見える。

シカもウシも偶蹄目(ウシ目)。文字通りひずめが2つに割れている。
この目には、ウシ科、シカ科、ラクダ科だけでなく、イノシシ科(ブタ)、カバ科、クジラ科もはいる。

一方、奇蹄目(ウマ目)はウマ科、サイ科、バク科がある。指は1本か3本の奇数である(バクの前足は4指)。
科の上の目という大きな分類が指の数で決まっていいのだろうか、もっと大きな違いはないのかと思わないでもない。
ちなみに偶蹄目猪豚亜目は反芻せず、偶蹄目反芻亜目(牛、ラクダ、シカ)は反芻する。亜目の分類が胃の状態で分類されるのも不思議な感じだ。

さて、奇蹄目は新生代に繁栄し、特に漸新世(約3000万年前)には陸上哺乳類史上最大級の種(パラケラテリウム)が現れた。
ところがその後、地球の寒冷化によって森林、草原が減少し、多くの種が絶滅した。さらに偶蹄目・反芻亜目(シカ、ウシ類)の進化に押されて衰退を始める(反芻は消化能力が高い?)。地質時代には240属を数えた奇蹄目も、現在はわずかに3科6属20種しか生き残っていない。
12:41
ここは一頭一頭に名前や説明はない。
あってもいいかと思うが無くてもよい。地球はいろんな動物がいるとわかる。
12:42
パンダがいた。剥製になると大して可愛くない。
帰宅後に調べたら上野で死んだフェイフェイ(飛飛・オス)とその子・トントン(童童・メス)の親子だった。トントンの母、つまりフェイフェイの妻は1階にいるホァンホァン(歓歓)である。

パンダは食肉目クマ科に入る。ジャイアントパンダ属
右のトラは食肉目ネコ科ヒョウ属

ちなみにイヌは食肉目イヌ科イヌ属
アシカも食肉目。


犬と猫、熊は科が違うだけだが、馬と牛は目から違うのが実感としてピンとこない。
奇蹄目、偶蹄目、食肉目はローラシア獣上目を形成する。

いっぽう、ウサギ目、齧歯目(ネズミ目)、霊長目(ヒト科が入る)は真主齧上目も形成する。
これらの分類は何によるか? 実際に目で見た区分ではない。
大局的なゲノムの文字配列も読みつつ、さらに差が出やすいレトロトランスポゾンの位置情報も合わせてダブルチェックした分類という。

ローラシア獣上目と真主齧上目を合わせて北方真獣類を形成し、この外側にゾウ(長鼻目)、ジュゴン(海牛目)などのアフリカ獣類がいる。そしてさらに外側にカンガルーなどの有袋類がいる。

改めて系統図をみると、ジュゴンとクジラ(イルカ)は相当離れている。ネズミと蝙蝠も遠い。科どころか目どころか、上目すら違うのである。

ちなみに生物の分類は、界(動物)、門(脊椎動物)、綱(哺乳類)、目(食肉目)、科(ネコ、イヌ)、属、種という階層がある。それぞれ巨、上、中、下、亜といった接頭辞でさらに細分されている。

最近昔の蔵書を読んでいる。
本川達雄「ゾウの時間ネズミの時間」
1993年3月5日に購入した日付が書いてあり3月4日のスキーリフト券がしおりとして挟んであった。
行動範囲、エネルギー消費量などを体重に対して両対数プロットするとほとんどの動物が一直線に並ぶ。ところがヒトだけは乗り物、石油を使い、この直線から大きく外れる。先に示した系統樹だと間違いなく哺乳類の一つなのに化け物のようになっている。

この日、ゲリラ雷雨は止まず、はく製を見るのも疲れ、
休憩スペースのソファーで居眠りした。

2026年8月12日水曜日

上野公園22 科博6 豊田自動織機と初期の計算機

7月17日に科博にきてフーコーの振り子について前のブログを書いた。
この日はゲリラ雷雨だった。
公園を歩いているときは大丈夫だったが、科博に入るとき降り始め、フーコーの振り子を過ぎて新館に入るため外に出ると土砂降りになった。
新館はこれまで何度か来て1階と地下は見たので2階、3階にあがった。

2階は「科学と技術の歩み」として過去の画期的(時代を画した)装置が並んでいる。
12:35
豊田自動織機
機械の名前でもあり、会社名でもある。

 豊田佐吉は1867(慶応3)年に現在の静岡県湖西市に生まれ、1887(明治20)年ごろに西欧から伝わったバッタンと呼ばれる「飛び杼(とびひ。織物の横糸を入れる器具)」を備えた機織り機を製作した。

はたおりを機織りとかくのは機械の中の機械ということか。

機織りは縦糸をはって、その一本おきに横糸を通していく。
バッタンバッタンという場面がテレビでちらりと映ることがあっても装置そのものを写したものではないので、原理が良く分からなかった。
コトバンク「織物」から

図を見れば「なあんだ」と思うだろうが、これを発明した人はすごいと思う。

布というのは古くからあり、起源ははっきりしないらしい。
おそらく石器時代の毛皮に続く、次の時代であろう。
当初は線維を撚(よ)って糸にし(紡ぐという)、それを各自工夫して編んだ蓆(むしろ)などの編み物のほうが先行しただろう。しかし4大文明の時代には布はあるから、この時、機織り機はあったのだろう。

その後、ゆっくりだが織機は、さまざまな民族の間で様々な形で進化を続けた。
上の装置でいえば、偶数番の縦糸と奇数番の縦糸を交互に上下さすのは人力(ペダル)であるが、18世紀にイギリスのカートライトが動力織機を発明した。

ちなみに「産業革命」という誰もが知る有名な言葉も多くの人は「蒸気機関の発明」「イギリス」「家内制手工業から工場制機械工業への変革」という程度の知識で止まっている。しかし実際の変革は、機関車や蒸気船ではなく、この動力織機による織物工業だったのである。

その結果、衣服は暑さ寒さを防ぐために各自1つだったものが、布製品の大量生産によって、各自何着も持てるようになり、さらには海外に売りつける帝国主義のもとになった。また綿織物は無色であったから人工染料の発明を促し、そうするとお洒落で服を買うという時代をもたらした。人工染料の開発は化学産業、製薬産業、医学の発展につながる(サルファ剤・忘れられた奇跡)。

さて、豊田佐吉に話を戻すと、彼は研究を続け、1890(明治23)年に「豊田式木製人力織機」を開発し、さらに1896(明治29)年に日本最初の動力織機「豊田式汽力織機」を発明した。

1924(大正13)年には、当時世界最高性能の「無停止杼替式豊田自動織機」を完成させた。
当時、自動織機(よこ糸が無くなった時に自動的に補充し、たて糸が切れた時に自動的に停止する)はすでに欧米で製作されていたが、故障が多く、しかも操作が複雑なため十分に使われていなかった。その技術は、当時世界のトップメーカーであった英国プラット社に特許権を譲渡するほどだった。

1926年、愛知県刈谷(豊田市の南、知多半島の付け根)に株式会社豊田自動織機製作所を設立した。
もちろん、紡績業、織物業ではなく、機械業であるから、さまざまな機械を作った。
1933年には自動車部を設置し、1935年には乗用車、トラックを発表した。この自動車部が1937年分離しトヨタ自動車工業となる。

すなわち、豊田自動織機はトヨタグループの本家本流にあたる。

現在、産業車両が64%、自動車部品が30%で、繊維関係の機械生産はわずか3%である。
しかし本家の誇りからか、2001年に社名から「製作所」をとっただけで、いまも「株式会社・豊田自動織機」である。本社は刈谷市豊田町2-1となっていた。

ところで、たまにトヨタ・ウーブンシティがテレビCMで出る。
富士山麓に建設した未来実験都市である。
最初何も思わなかったが、ウーブンはwoven、 weave(織る、編む) の過去分詞である。
ここにも本家の「織機」が顔を出す。

ちなみに社交ダンスのワルツやスローフォックストロットの人気フィガーにナチュラルウィーブ、リバースウィーブがあり、競技選手はほぼ全員ルーテンに入れている。男女が動きながら入れ替わり、縫うような動きである。

日本の機械産業の原点といえる豊田G型自動織機は、科博に展示するにふさわしい。
この装置は豊田佐吉が最初の営業試験用に製作したものの1台である。部品の取り替えや改造を加えながら愛知県の織物工場で昭和40年代まで使用されていた。豊田自動織機で製作当初の姿に復元され、1976年、科博に寄贈されたという。

自動織機の背中側にはまたまた古めかしいものがあった。
12:35
九元連立方程式求解機
木造の大型人力機織り機みたいな風貌だが、計算機という。

真鍮製のバーの角度を変えることによってベルトの長さを変化させ、複雑な連立方程式を解くという。もちろん九元連立など代数で解けないから近似値である。

アメリカのJ.ウィルバーが、1936年に土木の構造解析や経済学上の計算を行える計算機械を考案、製作した。本機はその情報を元に、東京帝大航空研究所の佐々木達治郎、志賀亮、三井田らが1944年に製作した国内初の大型計算機械である。
原理は、見ただけではわからないが、ねっとにある。
https://museum.ipsj.or.jp/guide/pdf/magazine/IPSJ-MGN500914.pdf
この種のものはMITはじめ数台作られたが、現存するのは本機だけらしい。

その隣も計算機だが、こちらは電気で動く。
12:36
真空管式計数型電子計算機FUJIC

FUJICだから富士通だと思ったら、作ったのは富士フィルムだった。
(富士フィルムは1934年大日本セルロイドから分離独立。富士通は1923年古河電機と独シーメンス社が共同出資して設立。)

1956年、富士写真フイルムの岡崎文次がレンズの設計計算のために、7年の歳月をかけ日本初のコンピュータを完成させた。
真空管を1700本使用。
1+1=10 すなわち
on とonが入力されたらon offと出力されるような回路を作り、足し算は0.1 ms、割り算は2.1 msで計算した。論理回路のクロックは30 kHzで、今のスマホCPUは2.5GHz〜3.4GHzだから10万倍遅い。
いっぽう消費電力は7000W。スマホは数百mW〜1W前後はもとより、電子レンジは500~800Wよりはるかに熱くなる。

当時は、レンズの設計には何千回もの計算が必要で、女性が対数表を片手に二人一組で手回し計算機を使って行っていたらしい。FUJICは平均して人手の2000倍の速さで計算した。

約2年間、使用された後、早稲田大学を経由して科博に寄託された。正面左手が算術装置、右手が制御装置。入力はパンチカード。

・・・
宇宙開発の機器も展示されている。
12:38
左奥 人工衛星「おおすみ」(模型) 
右前 宇宙実験・観測フリーフライヤー
大きさに格段の差がある。

フリーフライヤーは1995年、H-IIロケットで打ち上げられ、翌1996年、スペースシャトルで回収され戻ってきたもの。

いっぽう、おすすみは1970年に打ち上げられた日本初の人工衛星。
その結果、日本はソ連、アメリカ、フランスに次いで世界で4番目の人工衛星打上げ国となった。その2ヵ月後に中国が東方紅1号の打ち上げに成功した。これら多くの国は弾道ミサイル開発の副産物として人工衛星打ち上げたのに対して、日本は大学の付属研究所が純粋な民生技術として研究を行い、非軍事目的での人工衛星開発に成功した。

人工衛星などは最先端だったことに間違いないが、豊田自動織機やアナログ方程式解法機、真空管計算機ほどの迫力はない。時代が進むほど技術が肌感覚から離れ、心に訴えないということか。

いま産業革命に匹敵するほど時代を変えてしまった科学技術として、インターネット、AIがあるが、これらは迫力がないどころか展示することすら難しい。

2026年8月10日月曜日

上野公園21 科博5 フーコーの振り子とコリオリ力

7月14日(火曜)朝、柏の葉高校に行った。
帰路、TXの止まる南千住のホームセンター、ロイヤルで暑さ対策の帽子と冷感アームを買って、日比谷線で上野に来た。
2026-07-14 12:17
この日は上野公園の野球場前のベンチでお昼を食べた。
戦後できた球場なのに、正岡子規記念球場という名がついた。
12:21
科学博物館の前に行くとスタッフが冷風機にあたっていた。
夏なんだから暑いのは当たり前なのに、テレビが熱中症、熱中症と騒ぐから、こんな世の中になってしまった。地球温暖化は二酸化炭素よりも、人間による発熱のせいだと思う。
エアコンの室外機を部屋の中に入れたらどうなるか?
写真のスポットクーラーには冷風ダクトと排熱ダクトがついているから結果は分かりやすい。
冷気と合わせプラマイ・ゼロならいいが、冷風と排熱の温風を混ぜたら暑くなるのである。つまりエアコンは使えば使うほど地球を暑くする。これに加えて発電、送電にも熱は出ている。国じゅうでエアコン使って地球を暑くしろと言っているのだから話にならない。

この日、科博に入るのはやめた。

7月17日(金曜)畑バイトの帰り、また科博にきた。
本館の地下から入って新館に向かう途中、いつも素通りしている振り子を何気なくみた。
2026-07-17 12:00
フーコーの振り子
振り子は同じ方向に振れるが、その面がどんどんずれるのは地球の自転の証拠だという。
要するに振り子の振れる面は慣性の法則に従い、外力が加わらなければ変わらない。一方、地球は自転しているから、その相対的位置関係はずれていき、地表に立ってみれば振り子の面が回転しているように見える。

しかし、北極点の上での振り子ならこの現象を考えやすいが、東京でもずれていくとはどういうことか?
展示はなにも説明しないので考えた。

これは温帯での風向きのずれをコリオリの力で説明するのと同じだろう。

これも北極から吹く風は考えやすい。
風が慣性の法則に従ってまっすぐ赤道方向に吹いていくと、地表は東にずれるから、地表で見ると風は西に曲がっていくように見える。あたかも風が力を受けたように見え、これをコリオリの力という。

53年前の物理の時間、先生が白い円盤を回して色チョークを中心から外側にまっすぐ引いたら曲がったという場面を覚えている。

ここまでは誰でもわかる。
しかし、逆方向、赤道から北に向かう場合をイメージできる人は少ないのではないか?
ネットの図を見てもよく分からないものばかり。

これは、北向きの風が慣性によって真っすぐ(曲がらず)動いていくことを考えればよい。
この時地面は自転によって東に向かって動いている。地面が平面のまま平行に東に動いていれば風は北向きのままだが、地面は球面だから北に行くほど東への速度は遅い。いっぽう風は最初の時の慣性によって最初の時の速度で動いているから、地面が遅れてくる。すると地面から見ると風が東に曲がっていくように見える。

これが南から北へ行くときは東へ行く偏西風となり、南へいくときは西に曲がる貿易風となる理由である。

ここでフーコーの振り子に戻る。
すなわち北極点でなく東京においても、振り子が北へ行くときは風と同じように東に曲がり、南に行くときは西に曲がる。このようにして振り子の面は回転していくのだが、コリオリの力によるもので、実際は地球の自転による相対的位置変化によるものだ。

ここで一件落着かと思われたが、ちょっと待て。
振り子の面が静止していて地球のほうが自転しているというのはどういうことか?
振り子は何に対して静止しているのか?
地球だけでなく、太陽系、銀河系も動いているのではないか?

と、だれか聞いてきてほしいな。

振り子は重力以外に外部から力を与えなければ、ずっと同じ面で往復運動を続ける。
一般に、外部から力を与えなければ、静止しているものは静止し、等速運動しているものはそれを続ける。ニュートンの第一法則である。
これが成立する座標系を慣性系という。
つまり定義からして、振り子の面は慣性系に対して静止、重りは一定周期で往復しているのである。

ところが、地球表面の上で振り子を見ると振り子の面が少しずつ回転しているように見える(北極なら24時間で面が一周する)。だから地球上に固定した座標は慣性系ではない。(自転による回転座標系となる)

すると地上ではニュートンの法則が成立しないはずだが、成立しているように見えるのは、日常的な狭い範囲、短い時間では、慣性系とほとんど同じように扱えるからである。そしてフーコーの振り子は、そのわずかな差を検出している。

ちなみにコリオリ力、遠心力などはニュートンの第二法則(F=mα)が慣性系でない地上でも成立するように導入された慣性力である。
つまり、
北半球で北へ飛ぶ物体は、地上から見ると東へ曲がるが、
慣性系:物体は直線運動している。
地上系:物体に東向きのコリオリ力が働いている(ように見える)。
また、机の上で静止している物体は
慣性系:物体は地球の自転により等速円運動している。
地上系:動かない(加速度がゼロ)となるよう、重力と釣り合う遠心力が働いている(ように見える)。

話は変わるが、1歳の孫とキャッチボールするのを楽しみにしている。
こちらの体力低下と孫の成長の競争だが、体が動かなかった場合、こういう話ができればいいな。
2026-07-17
孫に食べさせようと育てていたスイカが枯れてきてしまった。


2026年8月6日木曜日

上野公園20 科博4 モル、カンデラなど7つの基本単位

6月以降、無料の西洋美術館と科学博物館にしばしば立ち寄っている。

7月10日にも何回目かの科学博物館に入り、恐竜や人類の化石について前のブログに書いた。
そのとき、ほかにもいろいろ写真を撮っておいたので書いておく。

地球館の地下2階で生物の進化、ヒトの進化についてみたあと、地下3階に降りた。
ここは「自然の仕組みを探る」と、ようやく生物標本を離れた。
このフロアは日本の科学者、自然法則、宇宙、物質を展示する。
地球館マップ

地下3階の展示室に入ると Alfred Nobelの遺言、日本のノーベル賞学者の写真と説明が所せましとパネルになっていた。
2026-07-10 12:24
福井謙一(1981年)、白川英樹(2000年)と受賞順に並んでいる。
12:25
化学賞は
北川進(2025年):金属有機構造体(MOF)の開発
吉野彰(2019年):リチウムイオン電池の開発
根岸英一・鈴木章(2010年):パラジウム触媒クロスカップリング
下村脩(2008年):緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見
田中耕一(2002年):生体高分子の構造解析手法の開発
野依良治(2001年):不斉触媒による水素化反応の研究
の全部で9人
12:26
この長い年表のようなパネルは化学賞9人、
物理学賞12人(米国籍の南部、中村、真鍋氏を含む)
医学生理学賞6人
というノーベル賞受賞者だけでなく、日本が誇る科学者の生きた時代を示している。
12:27
長井長義、高峰譲吉、鈴木梅太郎
長井は日本で最初の理学博士5人のうちの一人で、東大がお雇い外国人教師から日本人教授に切り替えるとき薬学と理学で奪い合ったが、薬学の教授となって後進を育てた。高峰(アドレナリンの発見)、鈴木(ビタミンの発見)はその業績からしてノーベル賞をもらっておかしくない。

近年日本は、産業が空洞化し新興国に押され、ただ通貨が安いというだけの国になってしまった。安い国というのは本来貧しい国である。尊敬されるにはやはり科学(ノーベル賞)しかないだろう。

一人ひとり見ていては時間がかかるので、奥は何があるのだろうと歩を進めていく。

このフロアはこれまでの生物標本とちがって自然法則、宇宙、物質を展示する。
法則を発見するには現象を定量的に記録しなければならず、そのためには単位が必要である。
国際単位系(SI, International System of Units)における7つの基本単位は、時間、長さ、重さ、電流、温度、物質量、光度を表すもので、それぞれ秒s、メートルm、キログラム㎏、アンペアA、ケルビンK、モルmol、カンデラcdである。
12:31
それらの単位を実感するための展示があった。
sは指を置くと脈拍の間隔を秒で表してくれる。
私はもともと速いのだが、この時は荷物を持って歩きまわっていたせいか0.55秒だった。1分あたり109である。今書いている時はほぼ60だった。

となりのkgは7つの基本単位で唯一、1000倍を表すkがついている。もともとグラムは1センチメートル立方の水の重さで定義したものだが、実生活に使いやすいよう、10センチ立方の水の重さであるkgが基本単位になったのだと思われる。
そういえば、高校の物理でCGS系とMKS系を習ったな。力の単位は前者だとダイン(1 g⋅cm/s2 )、後者だとニュートン (1 kg⋅m/s2)と、この年になると昔が懐かしい。

前者はcm、後者はkgと、それぞれ基本単位メートル、グラムの100分の1、1000倍という単位を含むため美しさに劣ることでは同じである。CGSは卓上実験のとき便利だから科学者に好まれ、MKSは人間の大きさに近いので技術者に好まれた。しかし結局後者のほうが実生活の大きさに近いため、SIに組み込まれた。10のべき乗を含まないなら1メートル立方の水の重さ、トンを使うMTS系が考えられるが、重すぎてだめだ。
栄養学で実生活に言いやすいように、キロカロリーをカロリーと言っているより、ずっとまともな議論だが。
12:30
その重さを実感する展示装置は、「調整中」で使えなくなっていた。
いくつかある重りをのせて1kgの重りを当てるようだったが、乱暴に扱われて故障したのだろうか。
となりの「m」長さの装置は、レバーをレールの上で動かし、1メートルの長さを推定で作ってみるというものだった。しかしほとんどがアジア人観光客で日本語が読めず、みんなレバーを乱暴にガーガー滑らせているだけだった。これも故障するかもしれない。

アンペアのところはハンドルをぐるぐる回して1Aを発電してみようということだった。
12:33
元素周期律表
この辺りは人がいない。
12:34
平日だから個人の学生、生徒もおらず、ほとんど観光客。日本人そっくりでも聞こえるのはすべて外国語だった。

7つの基本単位のうち、物質量 (mol)、温度(K) 、光度(cd)も一か所に並んでいた。
12:36
モルのところは1モルの分量の物質が4種類展示されている。

モルというのは物質の量と書いたが、肉や野菜の「量」は重さでも体積でも表される。しかしモルで表す「量」とは粒子(原子、分子、イオン、電子など)の個数のことである。

普通の化学で扱う固まり、液体、粉を構成する微粒子の量は何億個、何兆個にもなるからアボガドロ定数6.02×10^23の何倍かという表現をする。
すなわち
 モル数 = 粒子の個数/アボガドロ定数
である。
アボガドロ数の2倍の数の粒子の量は2モルである。
つまり1モルの物質に含まれる粒子の個数は、鉄であろうが水であろうが空気であろうが、粒子が何であっても一定(=アボガドロ数)である。

歴史的には微粒子の中で普通に化学で扱えるものは分子moleculeだったから、ここからmolという単位記号ができた。ケルビン(温度)やパスカル(圧力)のように人名を使ってAv(アボ)でも良かったけどね。
その後NaClや金属原子などにも適応され、分子だけでなくイオン他の微粒子の個数の単位に広がった。

長年、酸素分子 32 g に含まれる分子の数を 1 モル としてきたが、同位体が存在することもあり、1960年に炭素12Cに原子量 12 (整数!)の値を与えることにして、その12グラム分の原子数を1モルとした。つまり重量で決めた。
ところが、2019年、アボガドロ数のほうを正確に6.02214076×10^23 /molとすることで再定義し(重量でなくなった)、1モルの炭素12の質量は、12 gではなくなり、11.9999999958(36) gという実験値となったらしい。

それにしても、よく考えるとモルというのは変な単位である。
他の単位が連続量なのに対し、これは1つ2つと数えられる粒子数の単位なのである。また比であるから無次元である。1円2円と数えられるお金の、万、億、などという単位と同じである。
12:28
展示されているのは炭素C、 アルミニウムAl、銅Cu、タングステンWの1モル分の固体である。単体であるから(炭素の単体はダイヤを展示するわけにいかないから黒鉛だろう)、1モルの重さは原子量にグラムをつけたものに等しい。

それぞれ元素番号は、6,13、29、74で、陽子だけならこの値が質量になるが、中性子があり、また同位体があるため原子量は12.01,  26.98,  63.55,  183.84  であり、これが実際の質量(=地球上での重さ)になる。
シーソーの一端を指で押して重さの違いを感じるようになっている。
ここにあるタングステンと炭素とは原子の総個数は同じで(=1モル)、体積はそれほど変わらなくても重さが15倍ほど違う。

となりの温度ケルビンKの展示は掌の温度を測るだけだった。

その隣の明るさの単位、カンデラ、cdは筒の中で光を発している。
覗くと思ったよりまぶしかった。
1カンデラは、ほぼろうそくの明るさに等しいという。実際、歴史的には決まった量のろうそくや脂を燃やしてその明るさを単位とした。カンデラは candleと同じ語源である。
しかしろうそくでは各自、各国バラバラなので現在は「周波数540×10^12 Hz (波長555 nm)の緑の単色放射を放出し、所定の方向におけるその放射強度が「1/683ワット毎ステラジアン」である光源の、その方向における光度」と定義されるらしい。

ふつう光は見る人の方向だけでなく全方位に光が行く。全方位の立体角は4πステラジアンだから、光源の強さの単位、ルーメンは 1ルーメン=4πカンデラという関係がある。

また、照度(ルクス)は受け取る側の明るさである。光は同じ立体角でも離れれば離れるほど広がって薄まる。球の表面積は半径の二乗に比例するから、光度を距離の二乗で割ったものが照度の目安になる。実際、ルクスはカンデラを距離(m)の二乗で割ったものと定義される。これは1ルーメンの光源が1平米を照らした時の明るさと同義である。

ちなみに、カンデラ cd やモル mol は人名でなく普通名詞由来だからA、Kのような大文字でなく小文字で書く。

ここで外に出た。
12:44
この日は科博の前、木々の向こうに噴水が見えるところでお昼を食べた。

食べた後不忍池に降りると観光客が増えた。
13:11
骨董市、がらくた市
日本人から見たらごみであっても、外国人は喜ぶだろう。
13:15
風鈴下の休憩所

単位というのは面白い。
モノを測るときに重要であるだけでなく、それを決めていった過程が科学の発展の歴史と直結している。

アボガドロ(1776-1856、イタリア・トリノ)が1811年に
『物質の基本粒子の相対的質量とこれらの化合比率を決定する一つの方法』という論文で、同じ温度、圧力、体積の全ての種類の気体には同じ数の分子が含まれるという法則(彼の死後アボガドロの法則と名付けられた)を発表したが、国外では無名であったこと、論文が難解であったことから学会の相手にされなかったという。

実際どういう実験をしたのか、ボケ防止のために高校のころ勉強したことを思い出してみる。
真空はだいぶ前に(1643)発見されているから、彼らの時代には気体は粒子の集まりということは知られていただろう。すると同じ気体で体積が2倍あれば気体の粒子数も2倍になると考えるのは自然の流れである。つまり体積が粒子数を表す。
ただ、種類の違う気体の体積を比較したときはどうか?
すなわちアボガドロの法則にどうつながるか?

ここで水素と酸素を反応させ水蒸気ができる実験をすればよい。
  2H2+O2=2H2O
このとき反応前後の体積比を測れば
  2:1:2となるだろう。
また、塩素と水素で塩酸ができるときは
  Cl2+H2=2HCl
  1:1:2であろう。

このように化学反応の時の体積比が1:1、あるいは簡単な整数比になる。
1対1で反応する気体の体積比が1:1であることから、同じ体積の中には気体の種類が変わっても同数の粒子が含まれていることがわかる。体積が半分なら粒子も半分である。

ここで解決したと思って念のためネットで調べたら少し事情が違っていた。
当時は大混乱したらしい。
二原子分子の存在が知られておらず、当時主流の原子説では
 H+Cl=HCl  (1:1:1)
 H+O=HO  (1:1:1)
にならなければいけなかった。

ちなみに気体反応における体積の整数比を発見(1808)したのはアボガドロでなく、フランスのゲイ・リュサックであり、原子説(1803)はイギリスのドルトン。両方とも画期的発見である。
アボガドロは、原子が結合した分子という粒子を初めて想定して(1811)、原子説と整数比の矛盾を解決しようとした。
分子は moleculeであり、アボガドロ数のアボガドロと mol はここでつながる。


前のブログ

2026年7月26日日曜日

上野公園19 科博3 パンダと貝の化石。ヒトの進化

アルバイトしていた湯島の会社で、4月から正社員になってしまい、毎日出かけるようになった。

しばしば午前中、北千住あるいは葛飾の畑のアルバイトに行き、午後から出社するが、上野公園を通過することが多い。
そんなことで、このところ無料の西洋美術館と科学博物館に立ち寄っている。

6月5日 科博(1か月ぶり。前のブログ)
6月19日 科博 (散髪したので歩いただけ)。
6月24日 西美 (科博休館だったので2年ぶり)
7月1日 西美 (ゴッホ展は入らず)
7月8日 西美 (レンブラント展は入らず)
7月10日 科博 (1か月ぶり)
7月17日 科博 ゲリラ豪雨で雨宿り

2026-06-19
6月5日に来たときここで免許証を落とし、無事戻ってきたが、この日、持ってくるのを忘れた。
(上野警察署で返却されるとき、身分証明書が必要ということであったが、免許証の顔は私ですと言って、それでOKだった)
2026-06-19
年齢証明すれば無料ということに慣れてしまうとお金を払って入るのがもったいなくなる。
この日は入場しなかった。

その後、何度も上野公園に来たが、3週続けて西洋美術館のほうに行っていた。

7月10日、1か月ぶりに科学博物館・地球館に入る。
人生4回目だが、2013年は忘れてしまったし、5月は日本館のみだったから、地球館は実質2回目ということになる。

前回同様、一階の入口から最初の展示室に入ればアロサウルスがいる。
一瞥しただけで裏に回ったところ、パンダがいた。
ここは一度回っただけでは見逃すものがいっぱいある。
2026-07-10 11:58
1980年から上野にいたホァンホァンだった。
1997年に死亡、科博に寄付された。
ホァンホァンは歓歓。
教養学部時代、選択自由科目の第3外国語で中国語をとった。教科書に「欢迎、欢迎(ようこそ、huān yíng、huān yíng)とあって何度も口にしたから、昔から読めた。

上野動物園のパンダは1972年10月に贈られたランラン、カンカンが最初である。
東京芸大の学生が動物園側の窓の下に「熱烈歓迎」と書いた幕を掲げ、その写真を載せた週刊誌を高校の図書室で見た記憶がある。当時はパンダが熊と猫のあいの子だと思っている人もいた。

蘭蘭が1979年に死亡、1980年1月に来日したのが、この歓歓である。
1980年6月には康康も死亡、4頭目として1982年、飛飛(Fei Fei)が来た。
以後上野は13頭のパンダがいたが、2026年1月にシャオシャオ、レイレイが中国に返還された。空になって半年のパンダ舎は先日、解体されることが決まったらしい。

現在、パンダはレンタルだから、遺体も自由にできないみたいだが、昔は寄贈されたものだから、はく製は日本に残された。学生だった1979年か80年ころ、ランラン、カンカンのどちらかだったか分からないが、研究室の先輩、大塚英昭さんが上野までパンダの血液をもらいに行った話を聞いた。当時、大塚さんは医学部生化学教室の助手をされていて、そこの山川民夫教授は赤血球表面の糖鎖の研究で有名だったから、パンダの血液型でも調べるつもりだったのか?

パンダのとなりは植物のヤツデ。
葉っぱの重なり具合をみせていた。
相変わらずここはゾーンのテーマというか、陳列の方針がわからない。
(後で見たら「地球の多様な生き物たち」だった)

その並びに先日見たライオンと牛の腸の長さの比較があった。
その横にキリンの舌があった。 木の枝のよう。
12:01 舌3種
左から
ウシ(牛タン)
ジャワマメジカ(最小の偶蹄類)
キリン

1階だけでもいろいろ発見があり、なかなか進まないので地下の展示室に向かうべく、入口付近の階段を下りた。

途中のエスカレーターロビーに大きな平らな石があった。
12:04
淡水魚化石 米国ワイオミング州産
魚がいっぱいいる。しかし黒色である。
黒というのは有機物が残っていることを意味すると思うが、あり得ない。
相変わらず何の説明もない。
おそらく化石が分かるように塗ったのではないか?

もしそうならひどい。
せめて半分を発掘したままの色(たぶん跡だけ残り、岩石と同じ色だろう)にしておくべきではなかったか?
地下1階は子供が大好きな恐竜。

12:06
始祖鳥とヒトの骨格
脊椎動物というのは1億年以上も変わっていないことが分かる。
骨格が変わっていないということは内臓、筋肉も同じということだ。
進化とは何か? 脳だけだろうか。

12:07
何体もの恐竜の骨格標本は迫力あり、インバウント観光客は大人も子供も喜んでいる。

12:09
地層の年代測定
恐竜化石の発掘ではなかった。

地下1階は3分の1が恐竜で、残りは特別展のスペースになっている。

地下2階に降りた。
1階が生物の多様性だったのに対し、地下2階は地球環境の変動と生物の進化を展示している。
12:15
化石いろいろ。貝が多い。

ふと、家にある化石を思い出した。
家の化石
二枚貝だけでなくウミユリのような筒状の物もある。
1994年、シンシナチの高速道路の切通しで通行車が少なかったので路肩に停止して採取した。
我が家は骨董品がないので、家伝としてこれくらいしか残せないが、だれも興味を示さない。
12:16
絶滅した大型哺乳類
12:17
絶滅した人類の頭骨
現在の地球人は Homo sapiensの1種類であるが、過去には色々いた。
一番近いのはネアンデルタール人。Homo neanderthalensis。
ジャワ原人、北京原人は初期の直立したHomo属ということで、H. erectusであり、亜種名として erectus, pekinesisが種名の後につく。

学名というのは属名と種名を合わせたもので、これが異なれば種が違うということだ。定義からして、種は代を重ねてもその生物学的特性は維持できるものである。つまり、その種内だけで交配する。言い換えれば、交配できるものは同じ種であり、種が違えば交配しない。

だから種が違う現世人類とネアンデルタール人は交配できない。ところが実際のDNA比較では全体の1~2%がネアンデルタール人由来だという。ネアンデルタール人のいなかったアフリカの現代人には存在していないことから、この混入遺伝子は進化の途中で残った(共通祖先から来た)のではなく、現代人がアフリカを出て、ヨーロッパを経てアジアに行く間に混血したと結論された。犬と狼のように学名が違っても交配できるものはあり、分離したばかりのころは、交尾すると低い確率でも出産、繁殖力のある子孫も残せるらしい。

ホモ属ではあるが今の人類とは別種であるネアンデルタール人、デニソワ人は、3~4万年前に種としては滅び、その間にH.sapienceと交配したらしい。

デニソワ人はシベリア南部のアルタイ山脈の洞窟から発見され、チベット、東南アジアからオーストラリアに広く分布していたとされる。メラネシア人の遺伝子には4ー6%、日本人の遺伝子には1%程度混入しているらしい。

これら旧人はコミュニケーション、組織力に優れたサピエンスに生息域を押され、ついには滅亡した。しかしサピエンスが進出しなかったニューギニアの密林などではデニソワ人が1~2万年(日本は縄文時代)までいたのではないかと言われている。
12:20
マンモスの骨を利用した住居・復元
ウクライナ・メシリチ遺跡
東欧など寒冷地の平原は風雪を避ける洞窟もなく、こうした骨を利用した住居の工夫が必然であった。これが西洋の石造り住居につながるのかもしれない。
12:21
さまざまなヒト。
ルーシー、トゥルカナ・ボーイ

約400 - 200万年前にアフリカで生まれた初期の人類は、サルに似ていて猿人という。属名のAustralopithecusは、南の意味のラテン語australisとサルの意味のギリシャ語pithēkosから。身長は120 - 140センチメートルくらいで、脳容積は現生人類の約35%程度であり、チンパンジーとほとんど変わらないが、骨格から二足歩行で直立していたとされる。
その中の一種、330万年前のAustralopithecus afarensisの女性の個体骨格がエチオピアで発見され、ルーシーと名付けられた。

トゥルカナ・ボーイはケニア出土、ずっとのちの時代で現代人と同じホモ属である。
(Homo ergasterあるいはHomo erectus)

ここでヒト科ヒト属、ヒトとサルの関係を見ておこう。

ヒト属 Homo
ホモ・ルドルフェンシス H. rudolfensis 
ホモ・ハビリス H. habilis 
ホモ・エルガステル H. ergaster (トゥルカナボーイ)
ホモ・エレクトス H. erectus (ジャワ原人、北京原人)
ホモ・アンテセッサー H. antecessor 
ホモ・ハイデルベルゲンシス H. heidelbergensis (ハイデルベルク人、大型)
ホモ・ネアンデルターレンシス H. neanderthalensis 
ホモ・フローレシエンシス H. floresiensis (小人)
ホモ・デニソワ H. denisova(仮名)
ホモ・サピエンス H. sapiens

Homo属は、アウストラロピテクス属などとともにヒト亜族Homininaを形成し、チンパンジー亜族(ボノボ含む)とともにヒト族を形成する。
ヒト族 Homininiはゴリラ族とともにヒト亜科を形成し、これがオラウータン亜科とともにヒト科を形成している。

・・・・

今になって、どんな仕事が良かっただろうと考えることがある。
目に見えない有機化学や細胞生理学より、人類学というのは面白そうだ。
化学、生物学全ての知識を動員し、進化の問題では数学、物理とも関連する総合科学であるだけでなく、人文科学、社会科学とも関連する。
『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』
ゴーギャンの絵画のタイトルでもあるが、古来から人類が最も興味を持ってきた問いの一つすなわち基本的な興味の一つでもある。
教養学部から進学するとき、薬学を選んでしまったが、生物学科人類学教室というものがあった。定員4人であったため、平凡な点数だった私は志望できなかった。大学での専攻は職業だけでなく人生に大きな影響を与える。

駒場の寮で短期間だが一緒だった坂井眞樹君は成績が良くそこへ進学した。西国分寺の恋ヶ窪が実家でバドミントン部だった。そのあと全く消息を知らなかったが、50代になって私の上司(グループリーダー)の、さらにその上司の部長研究員がY氏になった。彼は生物化学科から三菱化成に入った人で、私と同じ年であったが、身分が違ったためほとんど話をする機会も(その必要も)なかった。しかしあるとき、彼は高校時代(教駒)に坂井君と同級生であったことが分かり、連絡先として名刺のコピーをくれた。坂井君は人類学教室を出てどんな仕事についたのだろう、と興味を持ったが、名刺には
農林水産省・大臣官房政策評価審議官とあった。そのあとすぐ私は転職しバタバタしたこともあって忘れ、連絡するチャンスを逃し、15年。

今どうしているのだろう、と検索してみたら農水省に入省後、本籍はそこにおいてアメリカ、ミクロネシアに出向し外交官としても活躍したようだ。ところが経歴に1981年経済学部卒業とある。われわれは1979年に学部卒業である。たぶん理学部卒業後、学士入学で文転したようだ。人類学とは早々に縁を切ったらしい。

彼は人類学を職業としなかったことなど後悔しなかっただろうな。
あるいは駐ミクロネシア連邦日本国大使のとき、デニソワ人の遺伝子を持つ現地人と交流し、何か感じただろうか。
なんて思いながら、50年前をいろいろ思い出した。



2026年7月20日月曜日

上野公園18 科博2 地球館ができる前と噴水の縮小


5月2日に国立科学博物館に来たときは時間がなくて日本館しか見られなかった。
そこで1か月後の6月5日に再訪した。

2026-06-05   12:47
平日だからすいていると思ったが、団体の学校生徒たちが多くて連休中とあまり変わらなかった。

この日は日本館の一部をさっとみて新館のほうに向かった。
12:56
新館入り口
12:58
新館は本館・日本館の対の意味か、地球館と言う。
地上3階、地下3階。

この場所はかつて、「むらさき館」「おれんじ館」「みどり館」と呼ばれる古い展示館(旧新館・旧理工学館など)が建っていた。

これらは、戦後、昭和6年開館の本館が手狭になったために建てたもので、
1953年 、理工学館(旧2,3号館、→たんけん館・むらさき館)起工。
1972年、自然史館(4号館→みどり館)起工。
1979年、 航空宇宙館(旧5号館、→おれんじ館)開館。
これらは戦前に建てられた本館に対して新しい建物であったが、科博全体の狭さから、文化財的価値のある本館を残し、これら「新館」群を建て替えることになった。

1994年 たんけん館閉館。
1999年 むらさき館、おれんじ館閉館。地球館一部(南側)完成、公開。
2003年 みどり館閉館。
と順に閉館、建て替えしながら、2004年、北側も完成、南とつながり今の地球館ができた。
グーグル2026(撮影は2025?)
飛行機の形をした旧本館(現・日本館)と四角いビルの新館(現・地球館)。

まず入口のある一階を見る。
12:58
一階の展示はアロサウルスから入る。
本館は「日本館」だから国産のフタバスズキリュウであったが、地球館はそういう制限はない。ユタ州産。
アメリカでホテルを経営していた小川勇吉がホテルを売却して購入、国立科学博物館に寄贈し1964年日本で初めて公開された恐竜の全身骨格となった。
12:59
マッコウクジラ
特徴的な頭の形から知能が高そうに見えるが、よく知らない。
13:01
クジラの裏に回ると内部が見られるようになっている。
脳の大きさは比較がないからよく分からない。
頭部には油が大量にあるらしい。これは海水を取り入れて冷やすと固まり比重が増える。それでも水より軽いが、クジラ全体としては重りとして役立ち、潜るときに都合良いらしい。
(以上、科博は説明がないから帰宅後に知った)
13:02
ダイオウイカ
手前はオオアナコンダの骨格。
科博は実物を強調したいのだろう、これらもタイトル以外説明文がない。
ダイオウイカは島根県沖産らしいことを帰宅後に知る。
13:04
腸の長さ
左:ライオン、右:牛
牛はどんな牛か不明。
ところで肉食の西洋人と草食の日本人は腸の長さが違うと聞いたことがあるが本当かどうか。
製薬会社にいたころ、病理の友人が腸管でのグルコース吸収を抑える糖尿病薬を研究していた。長期連続投与するとラットの腸がうんと伸びたというから、ヒトの腸管の長さは食生活によって違うというのはありうる。

このあたりは、どういうテーマで並んでいるのか、いろんな珍しいものが陳列されている。
13:05
ミンククジラの胃の中
(たぶん切開して裏返しにしたようだが、そういう説明は必要だと思う)
寄生虫がびっしり。胃酸でやられないのだろうか?
液はどのくらいの頻度で入れ替えるのだろう?
13:05
同じくミンククジラの腸(これも切開)
これだけ寄生虫がびっしりだと、共生が自然なのかもしれない。
13:07
他の階には行かず、一階だけで十分。
再びアロサウルスをみて科博を出た。
あまり多いと見るのも疲れる。
これから何度でも来ればよいと思った。
13:10
外に出ると子供たちがいっぱい。
この日は金曜。
学校の先生は苦労なことである。大人数の引率は大変だろう。むしろ、こういうものは個人で来たほうがちゃんと見る。興味がない人に見せることもないと思う。

13:12
隣の西洋美術館も生徒がいっぱい。
私は彼らの年の頃、こういうものに全く興味がなかった。

噴水広場(竹の台広場)ではフィリピンエキスポ2026をやっていた。
要するに屋台が大量に並ぶイベントである。

帰宅後、かつて地球館の場所にあったオレンジ館など旧新館群の航空写真を見た。
(国土地理院 1979-11-06撮影)
本館の飛行機型は今よりはっきりしていて、地球館の場所には旧2~5号館だろう、いろいろある。

1979年というと私が大学院1年生の秋。
1978年1月から谷中に住み始め、上野が地元になって2年近くたっている。
公園の中心は池だった。
ベンチにカップルが座り噴水を眺め、そのうち水際まで歩いて行って談笑する光景が浮かぶ。相本久美子が写真撮影していたのも見た。
ここは何度も来たが、科学博物館は特に興味がなく、入らなかった。
国土地理院(2019-08-08 撮影)
戦後建てられた展示館はすべて壊され、直方体の地球館ができている。

ここで、それより目立つのは噴水池の縮小とイベントスペースの創設。

グーグル2026
現在(2026-7-18閲覧)のグーグル航空写真で噴水広場を見れば、いつの撮影か知らないが(秋のようだ)、イベントをやっている。
最初、イベントは偶然かと思ったが、必然だった。

すなわち、例えば
この噴水広場の今年7月のスケジュールをみれば、毎週やっている。
 ・ふるさと東京応援祭 第三回ビールと浴衣de盆踊り 7/3(金)〜7/5(日)
 ・台湾フェスティバル2026   7/9(木)~7/12(日)
 ・タイ・サマーフェスティバル 7/17(金)~7/20(月祝)
 ・3×3 JAPAN TOUR 2026    7/25(土)〜7/26(日)
その前後に準備片付けがあるからほぼ休みなしである。

それ以外の日は灼熱の広いコンクリート地面となる。

公園というのは静かに緑と水に親しむところではないか?

ビールとソーセージ、騒音と匂い。

五輪や万博など事業をやる目的として「経済効果」が一番に出る。
何事も金儲けである。製造業がだめになってから観光立国を目指し、官民一体となってインバウンド客を呼び込もうとした。上野公園は東京観光地図を広げれば、皇居の次に目に入る。山手線駅の前の立地と言い、規模面積と言い、最も魅力的な東京の観光資源だが、押し寄せるインバウンド客を全部受け入れるキャパはなかった。

そこで木を伐り、池をつぶした。
そして毎日のように騒々しいイベントをやっている。
こんな乱暴なことをしていいのだろうか?
金儲けのためなら何をしてもいいのか?
私の好きな上野公園が消えてしまった。