7月20日、調べもので東大に行った。
目的地は薬学図書か医図書だが、利用カードを更新しなくちゃならないので総合図書館へ。
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ここは日曜も開いてるし、普通日は22:30まで居られるから便利なのだが、使ったことはない。
予想通り工事していてどこが入り口か分からない。
広場の東、写真左に見える建物は1987年ころ突然出来た。
ここには藤棚があって、その下で付属看護学校の学生さんと話したことがある。このビル以来、各所で建設ラッシュが始まった。(後述)
何年も前から地下書庫を作るのに大きく掘り返していたが、一部完成したのか、降りてみたら、ライブラリープラザなるものができていたが入り口ではなかった。
・・・・・だいぶ変わってしまった。
2013年に来たとき写真を3枚撮ったが(下)、もっと撮っておくべきだった。
2013-04-24
千駄木に引っ越して早速カードを作りに来たときである。
そのときもゲートなどできて狭苦しくなったと思ったものだが。
フェンスがあるから、2013年の時点で広場の工事が始まっているのが分かる。
2013-04-24
さて、2017年にもどる。
西側から入り、カードを更新した後、ついでに中をのぞいてみる。
工事期間中の臨時書庫や閲覧室が並び、全く昔の面影がない。
総合受付の女性は二人とも美人だった。しかし一人は感じが悪かった。
昔の図書館の間取りをきく変な老人に見えたのだろう。まあ、私も彼女の立場なら冷たくしてしまうかもしれない。
3階に上がってようやく昔の図書館の一部に出会った。
かつて、ここは開架書庫と学習室を兼ねた大部屋で、一日中ここで勉強していたこともあった。
最後は1987年、医学部薬理にいたときHodgkin-Huxley輪読会の準備をここでした。
当時の学習スペースはなくなり、すべて書架になった。
エアコンがなくて背の高い扇風機があるのだけは変わらない。
医学部1号館のあいた研究室が学習室になっているから、工事が終わればまた学習スペースに戻るのかもしれない。
3階閲覧室の東3分の2が工事中で、この黄色の壁の向こうが立ち入り禁止。
早く元に戻ってほしい。
岩波文庫は創刊90年という。
外に出て東に回る。結構傷んでいる。
でも図書館は古いほうがいい。
文化がずっと蓄積されているように見えるから。
図書館と三四郎池の間の通路の上にプレハブができている。
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このあと薬学部の図書館に行った。
社史を調べて用件をすませた後、ふと昔の先生方の学位論文が見たくなった。
昔は学位論文も開架であったが、貴重なものだし、場所がなくなったこともあり、今は閉架になっている。
宇井先生
清水博先生
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次に医学部図書館
ここで12時から14時過ぎまで昼食もとらずに古書のページをめくった。
この2枚だけ2017-06-23撮影
医学部は古い本をいっぱい持っている。
そういえば昔、医図書入口左側の部屋は島薗文庫と言って、千駄木の島薗家から寄贈された本が四方の壁に並んでいた。シンプルな机がいくつか並んでいて、たまに自習している人がいるくらいの静かな場所だった。
わたしはある日の午後、ここで美しいひと(学生?)が手紙を書いているのを見た。下書きもせず、便箋に、ゆったりとペンを運んでいたことを思い出す。
今ここは調査用PCが並び、PLENIUSという名前の部屋になってる。ローマの医学者ではなく、ラテン語で「より充実して」という意味らしい。
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最後に経済学部図書館。
初めて入った。
塩野義の社史は薬学部ではなく、経済学部が持っていた。
昔は薬学も代々の教授の写真が飾ってあったのだけどね・・・。