2017年4月30日日曜日

10年以上前の種の発芽率

賞味期限昭和65年のレトルトを食べたが何ともなかった。アミノ酸、糖など味を作るものは変化しないということだ。
しかし種(タネ)は違う。
タンパク質など高分子や不安定な成分は劣化する。99.9%の分子が無事でも、ごく少数でも不安定な役者が必要量以下になってしまったら発芽しないだろう。
室温に10年以上放置した野沢菜の種は発芽しなかった。

長野の(たぶん健康だった)父から野沢菜の種を封筒一杯にもらったのは、いつだっただろう?
彼ががんになって11年、亡くなって7年経つから、相当前のこと。

もちろん当初は蒔いたら発芽した。
しかし怠け者は手入れしなかったから、成長するまえに虫に食われ草に埋もれ、当時は土いじりに大して関心が無かったこともあり、2,3年まいたあと種のことを忘れた。

千駄木に越して引き出しに封筒を発見。
何年ぶりかでまいてみたが発芽せず。さすがに10年以上室温放置はダメか、と昨年9月やけっぱちのように大量にまくとほんのわずか発芽した。
この冬、なかなかいい味だった。

来年は発芽するだろうか。
そもそも発芽率はどのくらいだったのだろうか?

残っている種を全部出して数えてみた。




今回、これと同じかあるいは倍くらい蒔いたのだが、全部で何粒あったのだろうか?

全量を2分し、さらに2分、2分、を繰り返し、32分の1を数えたら72粒だったので、残っているのは32x72、約2300粒。思ったより多かった。

この量から推定すると昨年秋は4000粒くらいまいて10本くらい発芽したので、発芽率は400分の1くらいか。


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2017年4月29日土曜日

コガネムシ幼虫はつぶせるか

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家庭菜園をやると青虫、毛虫との戦いが避けられない。
薬剤散布は面倒なこともあり、なるべくならしたくない。
頻繁にすれば耐性個体が増えそうな気もする。
(コナガなど1シーズンに15回も世代交代するから変異体が生まれるかもしれない。)

私は普通の人より虫に強いので、青虫を見つけたら手でとって、つぶせないことはないが、やはり気持ち悪いのでピンセットで取って水につける。



問題はコガネムシの幼虫。
カブトムシの幼虫とそっくり。
昨年、春まきキャベツを青虫から守るためネットで覆ったのに、地中から大量のコガネムシが発生、彼らに食べられてしまった。落ち葉や枯れ枝を有機肥料として大量に使ったのが原因。
そこで昨秋はあまり落ち葉を入れなかったが、それでも春に耕すと地中からころんと幼虫が出てくる。コガネムシは成虫が葉を食べるだけでなく、幼虫も根を食べる。

これだけ大きいと手でつぶすのはもちろん、踏むのも嫌だ。
かわいそうという感覚はないが、気分が悪い。それで今春は出てくるとコンクリートの上に放り出した。自然と乾いて死ぬと思った。ところが数日後に見ても死骸がない。逃げたのだろうか。その後、また出てきたときコンクリートに置くも、作業に戻るとまたその後の観察を忘れてしまうので、幼虫の生死は不明のままだった。


4/29、なす用の場所を耕しているとき、コロンと出てきたから、きょうはじっと見ていた。
すると死んだように丸まっていたのが、しばらくすると起きて這い出した。これでは土に戻る。そこで皿に入れた。
一生懸命這い出そうとするが滑って縁を乗り越えられない。
このままだと力尽きて死ぬだろう。
つぶすのとどちらが残酷だろうか。

鳥が来て食べてくれればいいのに、なんて勝手に思う。
生きるというのは他者の命をもらうこと。
植物しか食べない草食動物は良いな、なんて思ったが
彼らにしても知能があれば、農薬散布して毛虫青虫を殺すであろう。


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2017年4月24日月曜日

シュロを切った後のミカンに新芽でる



物干しの脇にあったシュロを昨年秋に切った。
鳥が種を運んできたらしいが、愛着がなく邪魔なだけだった。
シュロは毛のような繊維があって切りにくく、業者に頼むと3万以上するというから自力で切った。

まず鋸を入れる部分の毛をはがして木肌を出す。これが一苦労。
また立ち木を手に持った小さなのこぎりで切る場合、木の重さが上からかかって鋸を挟み、動かせなくなる。だから横のハナミズキにロープをつなげ、思い切り引っ張って反対側から鋸を使った。
シュロは枝がないが非常に重く、立ち木の切断は、結構危なかった。

抜根も手間取ったが主根がないから(単子葉類だからね)大きさの割に容易。
単子葉類というのは維管束が散らばっていて年輪がなく、いわば竹の空洞がないような材質。何か木工細工をするには面白いが、捨てるしかない。

2016-11-14

それにしてもゴミで出すには短く切らねばならない。
やはり毛があると鋸が入らない。毛はなかなか取れないので、ケバ立ててから燃やすことにした。
勢い良く燃えるのだが、すぐ消える。きな臭いにおいが近所に漂うので、びくびくしながら少しずつ毛を減らし、結局1か月かかって何本かに切断。
全部つなげて並べると5メートルくらいか。


2016-12-11

この後に植えたのが温州みかん。
一本でも実がなる。
ザクロで懲りたから棘がないのもうれしい。

11月27日に植えたものの、根付いたかどうか心配だった。
常緑樹なので葉っぱが緑でも油断はできない。
それが春になって鮮やかな新芽が伸び、古い葉のつやも出てきた。
 
2017-04-22

自分が北国育ちだからミカンの木は育てたことがなかった。
この木で観察するものは全て初めて。
60歳を超えてこういう経験ができるのは幸せである。


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2017年4月23日日曜日

4月22日朝、新緑の庭

4月22日朝
野生というか、もともと生えていた菫。
前に住んでいた方はまったく庭をいじらず藪のようになっていたが、何株か生き延び、2年目くらいに気付いてからそっと育てている。

桜が散って二週間。
柿の木の下はコゴミと蕗。
レッドロビンの新芽の赤はくすんできた。

昨秋蒔いたキャベツは少しずつ大きくなっていく。

 ことし初めて作ったエンドウ。
お隣さんからもらった苗を植えた。

人参がほけてきた(長野弁で葉っぱなどが育ちすぎているさま)。
黒田五寸人参。
種袋に書いてあるように9月5日にまいて12月収穫の予定が、全然育たず冬を越し、今になってほけてきた。
肝心の根は小さい。大きくなるのだろうか?
大根は春にほけると根は大きくならず、むしろ筋っぽくなって食べられなくなるが、人参はどうなんだろう?
ナス、ピーマン、二年前の種をまいたが発芽しない。
昨年は購入1年後でも一応発芽したから今年も、と思ったが甘かったか。

2017年4月22日土曜日

神戸ポートアイランドで講演

4/20のこと
新幹線は神戸まで切符があったのだが、米原で降りてしまったので、ここから先は使えなくなった。彦根から米原、京都まで出てそこから新幹線でも、それほど早くはならないので、在来線快速で行くことにした。
彦根12:55発、三宮14:36着
エスカレーターで左を空けるのが面白い。
神戸は2015年3月の薬学会以来2年ぶり。
あの時は3泊したので、ポートアイランドから南京町、元町、北野までほとんど見ている。特に行くところはない。

しかし、このまま先方に行くと早く着きすぎて迷惑になるなので、ちょっと駅の周りを歩いた。
三宮駅の北口、フラワーロード? 北へ行く道は全て緩やかな上りである。このまま歩けば新神戸駅に着く。
すぐそばの生田神社。
源平の古戦場だったというが、平地なので当時を想像する手掛かりはない。裏(北)の生田の森は2年前に見た。

三宮という地名は、生田神社が摂津三宮というからではなく、一宮から八宮までの生田裔神八社の一つである三宮神社があったからという。
線路ガード脇の飲み屋街。まだ3時だから閉まっている店が多いが、空いているところは昼から飲んでいる人が一杯。
阪神三宮方面、向こうが海。

ここからポートライナーにのる。
途中2年前に学会会場だった神戸学院、兵庫医大が見えた。敷地はたっぷりある。

医療センターで下車。
ここは製薬企業や病院、医学研究所などが集まっている。
写真は俗にいう笹井ビル。
デザインは細胞を表すらしい。正式には理化学研究所のIIB(融合連携イノベーション推進棟)である。

駅前なのに人はほとんどいない。
一般通行人が少なくて同業者が多いということは、皆顔見知りになるのだろうか。
仕事が終わって勉強会とかするのかな?
つくばではそういうものがあったと聞くが。
共同研究もできるだろうし、若者だったら恋愛に発展するかもね。
ベーリンガーとアスビオファーマの研究所。
二宮尊徳の石像があった。

講演は「セレンディピティに必要な資質、組織」
聴衆は研究員だから、耳が肥えている。
満足させることができるかどうか、ちょっと不安。
しかしどんな立派な研究でも、別分野の人には全く面白くなかったりするから、開き直って話した。
ちょっと時間配分を間違えて最後バタバタして分かりにくかったかも。


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2017年4月21日金曜日

彦根は井伊直弼が好き

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4月20日。
関西の製薬会社の研究所から講演を頼まれ西に向かう途中、彦根に寄った。

若いころからずっと素通りしていたが、そろそろ寄らないと一生行かなくなると思ったのは、先月の掛川城と同じ。

7時半に家を出て、800発ののぞみ。
自由席は空いていて天気も良く快適。

名古屋、米原で乗り換え1025彦根着。
いくら平日の日中とはいえ、30万石城下町、新幹線の隣の駅とは思えないほど人がいなかった。
駅前に井伊直政の騎馬像。
譜代大名筆頭であるから、家康の三河以来の旧臣の印象があるが、直政は小姓として仕え、武田滅亡後にその遺臣を預けられ初めて士大将となった。後に恐れられる井伊の赤備えという装束にしても武田軍団のものである。
小牧・長久手や小田原で軍功を挙げ、家康関東入府後に上野高崎で徳川家臣筆頭の12万石を与えられる。関ヶ原でも功をあげ、三成のいた佐和山に加増移封、彦根に来た。ただし佐和山城から彦根城に移るのは次の直孝の代である。

思った通り、NHKドラマ「女城主・直虎」の幟が目立ったが、新たに世界遺産という運動も目についた。確かに彦根城は立派だけど、何でもかんでも世界遺産というのは、とくにお役所がやるのは、あまり好きではない。

まっすぐ行くと護国神社にぶつかる。
よそよりも遺族会、退役軍人会がきちんと活動している町という印象を受けた。もちろんここはすでにかつての城内である。
中堀、内堀を渡る。
松本は天守閣に上がらなければ無料、姫路も無料の場所が広いが、ここは内堀の中、つまり鐘の丸、西の丸、本丸をふくむ城域全体が有料である。
入場料は姫路と同じ1000円。これだけのものを維持するには必要であろう。




本丸、天守閣前に行ったら急に人が増えた。
ひこにゃんは要らない。
天守閣は姫路、松本と比べると小さいが、山の上にあるから大きくする必要はない。
琵琶湖が見える。
下は佐和山方面。

天守に上がるとき、くつを入れるよう真新しいビニールを渡された。
ひとり一袋使い捨てなのだろうか、もったいない、と思ってしまう。
でも今の人は他人の靴が入ったビニールに再び入れるのは拒否するのだろうか。

天守閣内に直弼の像。
さすがに直政を置くミスはしない。
天守閣から琵琶湖を臨む。
下は佐和山。



ものすごい急な階段。
年配の人にはきつそうで(とくに下りが)、休日は大混雑だろう。

天守閣は北(西の丸)側からのほうが美しい。
西の丸から降りると井戸曲輪。
タンポポ満開。
いくら本丸西の丸から降りているとはいえ、平地からはかなり高いから相当深い井戸であろう。






内堀を渡り、藩主の居館であった楽々園、玄宮園に行く。
立派な踏み石

小さく天守閣が見える。
玄宮園をでた駐車場に直弼の像。
ここでは「開国の英雄」である。
我々は安政の大獄で悪人のイメージを植え付けられている。桜田門外の遭難も同情されない。
譜代筆頭の家に生まれ、大老とあれば、徳川の秩序を守ろうとするのは当然なのだが、志士、明治政府から見たら極悪人だったのだろう。その史観が我々の時代まで続いている。
しかし彦根市民だけは直弼が大好きだったのだ。

反直弼派の一ツ橋派が政権を取ると、彦根藩は10万石減封された。薩長ににらまれ、幕府にも咎められたことも直弼びいきの原因か。

直弼像の裏の土手に上がると佐和山がみえた。


上は開国記念館にあった彦根城の模型。

国宝は天守閣と櫓である。たしかに現存12天守閣の中では古い(1607) から文化財的には貴重なのだが、私は城郭全体が素晴らしいと思った。

琵琶湖、東山道、北陸道、東海道が集まる南近江。
戦略的重要地点から筆頭家臣を置き、城郭整備は七か国12大名に命じられた天下普請。松本などと違い平山城であったことも幸いしたか、遺構が良く残っている。彦根は良い財産をもっている。

佐和山も行きたかったが、彦根城が思ったより良くて時間がなくなった。
本来の用事である神戸に向かわなくてはならない。
西口に直政に対抗して三成の像があるかと思ったがなかった。駅の裏口らしく何もなかった。

もう一度佐和山を見て電車に乗った。
私は三成が好きだ。
また来る機会があるだろうか。


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