日暮里にあるダンス練習場、ファーストプレイス東京が7月15日で閉鎖するという。
残念だが仕方がない。
ある程度予想されていた。
というのは、荒川区議会で家賃滞納が問題となり、昨年8月31日契約解除されたからだ。
今まで営業できたのが不思議なくらい。
2021‐06‐27
国内最大級の床面積575坪だから仕方がない。
坪1万円ほど。
日暮里駅周辺の家賃は、平均坪単価:19,621円
最高坪単価:50,000円
駅徒歩1分だから破格の安さだろう。貸主が荒川区だからか。
もっともこれだけ広いと普通の家賃では借り手も見つからない。
ファーストプレイスは(株)スタジオひまわりのグループ会社、(株)アカデミーホールが経営する。池袋のアカデミーホールも運営し従業員25人。
さて、ファーストプレイスは家賃540万円がなかなか払えず、2014年6月開業以来、しばしば滞納したらしい。それでも年末にはまとめて払っていた。しかし2019年は11月分まで納めたが、12月以降は未納。
2020年8月の段階で未納分は9か月で4911万円。荒川区が預かっている保証金は5800万円。
しかし、ファーストプレイス側はホテルラングウッドに払う光熱費も1200万円滞納しており、この分は荒川区に支払い責任があるという。すると5800万円あっても300万円ほど区の持ち出しとなり、契約解除に至ったようだ。
その後もコロナが長引き一時閉鎖と入場制限がつづき、素人が見ても収入のさらなる低下は明らかだった。回数券の販売が中止され、いよいよ閉店を思わせたが、どこかで存続を期待していた。
大ホール
552㎡ (16.2m×32.2m)、天井高4.8m
ファーストプレイスの大ホールはダンス練習場として素晴らしい。
私など千駄木から歩いても行けるから、人一倍ありがたみを感じるが、それを差し引いても、広さ、床、鏡、音響、スタッフ、あらゆるものが最高で、熱心なダンサーたちを集めた。
廃業するというのは、無垢のサクラ床板をはがすのだろうか。もったいない。
何とか存続できないものだろうか?
開業は2014年6月。
以前、ここはスポーツクラブオッソ日暮里というプールも備えたフィットネスジムだった。ダンス練習場ができるという話は4月ころから競技会などで噂されていたが、初めて来た時は驚いた。
高級感があって今までのダンス練習場の概念を越えていた。
太っ腹で最初の1週間だったか10日だったか、無料開放した。私は最寄り駅の一つだったから仕事帰りに一人でも立ち寄った。広くて無料だから物珍しさもあったのか、その1週間に東京近辺のほとんどのダンサーが顔を出したのではないか。ちょうど私は半年組んだTKさんと解消したころ。その前のパートナーだったTYさんも練習していて気が散った。
当初あった1か月利用し放題のフリーパス1万円はありがたく、その後も3か月に一度の回数券安売りキャンペーンなど、多くの競技選手がお世話になったことは間違いない。
競技会ができるほどの広さと床の良さだけでなく、アマのチャンピョン、全日本ファイナリスト、金スマのロペスなど有名人の踊りも生で見られ、周りからもらえる刺激が貴重だと遠くから練習に来る組も多かった。
しかし近年はダンス人口も減ったのか、フロアがすいている日が多く、経営は苦しいだろうとは思っていた。それでもサービスの質をまったく落とさなかったのは、ダンスが単なるスポーツではなく、夢を与えるもの、美を追求するものという哲学があったからだろう。その苦労には感謝しなくてはならない。ファーストプレイス、スタジオひまわりのダンス界への貢献は誰もが認めるところだ。
17:12
何とか続けられなかったか?
荒川区のほうもそう簡単に借り手は見つからないだろうから、区内の小中学生の利用をタダにする代わりに家賃を半額にするとか。
持続化給付金などを払うなら家賃を猶予してもよい。
単独企業で家賃540万はきつい。
スタジオひまわりを応援するつもりで複数のダンス教室が共同で入ったらどうだろう。山手線の駅から1分。坪当たりの家賃は今までより安くなるはずだし、様々な点で協力すればダンス復興の拠点になる。
ここがなくなってしまえばダンス衰退の流れが加速されるだろうから教室経営者も危機感を持ったほうがいい。
ところでなぜ荒川区に家賃を払うか?
ホテルラングウッドの4階には日暮里サニーホールがあり、ここは荒川区の施設で安く借りられる。日曜は社交ダンスのパーティも開かれ、私も競技を始める前はよく遊びに来ていた。
ホテル宴会場かサニーホールかは分からないか、区内の様々な団体の会議や荒川区小中学校の同窓会もしばしば開かれている。
2021‐06‐27 17:08
4階サニーホール管理室は荒川区の出張所のようにみえる
荒川区とホテルラングウッド、ダンス練習場ファーストプレイスの関係はどうなっているのだろう?
ずっと前から疑問だったのだが、今回、家賃滞納問題のユーチューブを聞いたら、そのすぐあと(30’ 20‘’)からの区議会総務企画委員会の報告でようやくわかった。
2021‐06‐27 17:06
しかしホテルもインバウンド中心だったからコロナで経営悪化した。
開店休業の状態が1年ほど続いた2021年3月末、ラングウッドの事業運営者・平成16年からの(株)グリーン・ハウス(とんかつ新宿サボテンでも知られる)は撤退した。そしてマイステイズ・ホテル・マネジメント(全国100棟展開中)が名称・雇用などをそのままにホテルを引き継いだ。
ちなみに地下一階にあった中華の香林はコロナ以降閉まったままだが、廃業したのか、ホテル公式サイトから消えていた。ホテルに入っていた花屋さん(上の写真右)もコロナで廃業した。
1階、ホテルロビー
さて、第五日暮里小学校を調べると疑問にぶつかった。
確かに場所は東日暮里5-50-5、ラングウッドの住所である。
ところが終戦直後の1946年4月第二日暮里国民学校(現第二日暮里小)に統合され廃校とある。
地下1階
和食の「天心」は岡倉天心からか。
実はここは戦時中まで作家吉村昭(昭和2年1927- 2006)の実家の工場があった。
父親は陸軍被服廠と取引もあり手広く紡績・製綿工場などを経営、ラングウッドの敷地にあった工場は兄の一人が経営していた。
吉村昭は八男で、第4日暮里小学校から地元の開成中学にすすんだ。中学2年で太平洋戦争勃発、日暮里の家が空襲で焼けたあと、足立区に疎開、終戦は長兄が経営する千葉浦安の造船工場で迎えたが、現ラングウッドの敷地にあった工場にも一時身を寄せていた。
2021‐06‐27
疑問というのは、終戦時は吉村家のものだった敷地が荒川区小学校になって、終戦から1年も経たず廃校になったとすると、その敷地は1988年ラングウッドホテル開業までどう利用されていたかということ。学生時代、78年から3年間、駅の反対側の谷中にいたが、この場所には来なかった。
荒川区は吉村昭をとても大事にしていて1992年日暮里図書館に吉村昭コーナーを設置した。2013年6月11日なんと天皇陛下が来られたというので、千駄木にいた私も翌7月13日、西尾将史氏を誘って見に行った。
さらに区は発展させて2017年に記念文学館を開館した。そこに行けば何かわかるかもしれない。
20190502 金杉踏切から日暮里、道灌像、ラングウッドへ
20190429 西日暮里駅の東側
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(追記 2021‐08‐02)
近くに来たので寄ってみた。閉鎖されて半月。
常に案内板にあった地下2階ファーストプレイスの文字はなし。
6階ワクチン接種会場の案内人が立っていらした。
ファーストプレイスがなくなってダンス関係者が来なければダンスウェアも売れない。
地下1階タカダンスファッション アトリエも店仕舞いの最中か。
2021‐08‐02 11:58
地下2階に降りると真っ暗。
いつまでこの状態が続くのだろう?
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