2023年10月31日火曜日

水戸黄門像と42年前のみまつホテル


茨城県立勝田高校で講演した。
話すのは午後だったので、一駅手前の水戸を歩こうと早めに家を出た。取手までの近郊区間を過ぎると中距離列車の駅となる。

取手の次は、藤代、竜ケ崎市、牛久、ひたち野うしく、荒川沖、土浦の順にとまる。
妻の両親が竜ケ崎出身だったから、牛久まではなんとなく土地勘があるが、竜ケ崎市という駅は聞いたことがなかった。佐貫駅が消えている。
帰宅して調べたら、佐貫が2020年3月に改称したらしい。改称の理由は、龍ケ崎市が常磐線の駅に市の名をつけたかったからという。佐貫駅開業の1900年は駅所在地が竜ケ崎市(当時は町)ではなかったが、今は市域であり、JRの駅名となれば市の知名度は上がる。
これは埼玉の行田市が合併して高崎線が市域の端の端、田んぼしかなかったところをかすめることになり、新駅設置を要望、1966年開業したとき、その駅名をすでに秩父鉄道にあった行田駅(1921)をわざわざ転用したのに理由は似ている。

さて、「竜ケ崎駅」が関東鉄道の駅名になっているから「竜ヶ崎市駅」(正式には龍ケ崎市駅)となったわけだが、それにしても、我々が駅を言うとき「駅」を省略する。取手、牛久、土浦のように「竜ヶ崎市」というと、駅でなく市全体を差すように感じてしまう。

次の牛久も駅周辺は知らないが、結婚したころ1980年代、牛久沼ほとりの伊勢屋には妻の実家によく連れて来てもらった。当時もウナギはごちそうだったが、今のような異常な値段ではなかった。
このあたりは茨城らしく、高崎線とは違って田畑が広がるが、圏央道の高架が線路を横断していたりして、県南の開発ぶりが目立つ。

つぎの「ひたち野うしく」は東急田園都市線にあるような、ひらがな駅名。駅舎も名前同様新しい。科学万博(1985)の臨時駅・万博中央駅の跡地に、1998年に開業した。

次の荒川沖駅の名は一転して古い。水戸街道の荒川沖宿からきている。埼玉、東京の人が知る荒川、元荒川とは関係ない。産総研(2015年まで工業技術院)、阿見町の三菱油化、ツムラなどの研究所の最寄り駅(といっても歩けない)だったから知人がいてなじみがある。海軍航空隊の施設もあったので、いつかじっくり歩きたい。

土浦駅を過ぎると線路の両側に葉の枯れたレンコン畑がみえ、とたんに地方の景色になる。一度だけ1982年に通っているはずだが、当時は景色に興味がなかったのか全く記憶がない。
常磐線はここから土浦、神立、高浜、石岡、羽鳥、岩間、友部、内原、赤塚、水戸と続く。

岩間あたりで柿の木、雑木林の向こうに農家をみれば、屋敷森を背に瓦ぶきの屋根は大きく、生垣もよく手入れされていて、信州の農家より豊かに見える。
茨城の農産物産出額は北海道、鹿児島について全国3位。
全国1位は
鶏卵、サツマイモ、メロン、ピーマン、れんこん、水菜、小松菜、チンゲンサイ、栗など。
全国2位が
レタス、白菜、らっきょう、みつば、落花生など。

車窓からずっと眺めていると、平地なのに雑木林などがあり、東北地方のようだ。
宇都宮や前橋と比べ、水戸がずいぶん奥まった感じなのは、ここに至るまで、またその先に都市がないからだろう。前者が東北地方や信越への中間点であり、周辺が開発しつくされたのとくらべ、水戸は南の土浦、北のいわきまで周辺に何もない。

水戸が近づき列車の速度が緩むと、左手に偕楽園と臨時ホーム、右手に千波湖がみえた。
1982年、重いかばんをもったまま、このあたりを歩いたことを思い出す。
2023₋10₋26 10:11
水戸駅。
41年前の駅舎を覚えているわけではないが、こんな新しい駅ではなかったことは確か。
調べると橋上駅舎は1984年7月にでき、翌年今もある駅ビルのエクセルがオープンした。

今までずっと、関東の県庁所在地、中核都市たとえば宇都宮、前橋、高崎、大宮、千葉などと比べ、一番魅力的なのは水戸だとずっと思っていた。その根拠は1982年5月にたった一度だけ訪れた経験による。
今回の水戸は、その記憶を呼び戻すのと、20代のころより増えた知識をもって水戸城を歩くのと、2つの楽しみがある。
10:12 北口
表玄関というか、水戸城や役所、繁華街のある北口に出た。
駅前広場の上には広いデッキができていた。これでは全く昔の記憶が呼び戻せない。
10:13
デッキの上は広場のようになっている。
徳川の三つ葉葵の提灯、右には水戸黄門と助さん、格さんの像があった。
41年前はこういうものはなかった気がする。テレビ番組にあわせ「観光」ということを役所が意識し、飾り付ける余裕が出てきたということか。

黄門一行の像に近づいたが、テレビドラマで演じていた特定の俳優に似ているわけではなかった。まあ、そうだろう。長寿番組だったからいろんな人が演じている。

水戸黄門は1969(昭和44)に始まった。私の場合、初代の黄門・東野英治郎、助さん・杉良太郎(1971年から2代目の里見浩太朗)、格さん・横内正、風車の弥七・中谷一郎が一番印象に残っている。1969年は中学1年生だが、長野で祖父母らと一緒に見ていたのだろう。

風呂場のシーンが記憶に残る由美かおるは意外なことにずっとあと、1986年からだった。このとき黄門様は二代目の西村晃、格さんも大和田伸也を経て三代目の伊吹吾郎になっている。このあたりが私の記憶の最後。

その後、野村真樹(助)、あおい輝彦(格)、石坂浩二(4代目黄門)も演じ、2010~11年の第42部まで1200回以上放送されている。このころは五代目黄門が里見浩太朗、助さん格さんは東幹久、的場浩司(ともに六代目)だったらしい。

黄門様のデッキから降りて、駅前の大通り(国道50号)を西にいく。
みまつホテルを見たかった。
北は左

42年前の5月、1982年は田辺製薬に就職して1年経ったころ。私は25歳。
薬理研究所の薬物代謝部門で、医薬品を飲んだあとの代謝物の定量、構造決定に従事していた。
この過程で最も威力を発揮するのがGC-MS(gas chromatography/mass spectrometry)である。この分析装置は当時薬理研究所に2台あったが、さらに最新鋭の上位機種、日立のM-80Aを購入した。

一台数千万円もした。当時の研究所にこれほど高額な装置はなく(製薬業界の好景気と装置の自動化、高額化は90年代である)、しかも予算をとってなかった。しかし脳代謝賦活薬ホパテ(当時、月商30億、一日1億円売れるという大型商品に育っていた)の後継品を作るにも必要ということがあり、所長の一声で導入が決まった。

導入された後、水戸の隣、勝田にあった日立製作所那珂工場で装置の使用法の研修を受けた。
このとき日立が用意してくれたホテルが水戸の駅前のみまつホテルで、5月23日から5泊した。
ネットで調べるとまだ存在していたので訪ねてみた。
10:21
みまつホテル。あった。
もっと大きかったイメージがある。
大通りの北側にあった気がするのだが、ここは南側である。

10:23
横から裏を見ると古い。移転したとも思えない。
やはり42年前もここだったのだろうか。

日立の研修に参加したのは(つまり同時期にM-80Aを導入し、習いに来たのは)、私のほかに大阪薬科大学の松永春洋教授と助手、東邦大理学部化学の戎野棟一博士、日本医大教養部(武蔵小杉)の化学科の助手、全部で5人。名刺がなかった二人の助手の名前は思い出せない。

日立が用意してくれた宿泊プランは食事つきだったから、皆でホテルの食堂で食べたはずだが、時間がずれていたのか、あまり記憶がない。
覚えているのは松永教授と助手が、研修の早く終わった日に名所として知られた大洗海岸へ行って「何もなくて大洗じゃなくて大笑いです」と夕食時に話されたこととか、戎野博士が研修参加者の人物評を私に話されたこととか。
10:24
みまつホテルロビー

ホテルの中を覗くと女性従業員が掃除機をかけていらした。
それほど忙しそうでもなかったので、入って聞いてみた。
「42年前、5泊したんですが、昔は道路の向こう側にあった気がするんですが。。」
彼女は掃除機を止めてにこにこしながら
「いいえ、ずっと、70年前から郵便局の向かい、この場所です」。
食堂は昔と同じく2階のようだったが、カフェのように改装してしまったそうで、上がることはせず、ホテルを出た。

・・・・
42年前、研修が早く終わった日、日没までたっぷり時間があり(大阪薬科大の二人が大洗に行かれた日)、私はひとりで水戸城址にあがって、弘道館から県庁など役所のあたりを散歩した。

別の日、駅前から偕楽園まで歩いて千波湖の北岸遊歩道を水戸駅まで戻ってきたのは、日中で、かつ荷物を持っていたから最終日、あるいは研修終了の翌日だろうか。
その日の夕方は柏で途中下車し、そごうの回転レストランで池田さんと食事した。まだ結婚前だったからかっこつけてカクテルなども飲んだ。2年後に彼女と結婚する。

水戸から5年後に、希望して代謝部門から薬理部門に異動、GC-MSを使うことはなくなった。
薬理、スクリーニング部門で細胞生理学を専門にして26年、大学に転職して教育に携わり9年、退職。
そして42年ぶりに水戸を再訪。
この地で細かい具体的な記憶はほとんどないが、あの日、確かにここにいた。
その後人生はどうなったか、と顧みるきっかけにはなる貴重な再訪だった。
42年前ホテルでもらった水戸の地図が保存してあった。
確かにみまつホテルは通りの南側にある。

千駄木菜園・お出かけ 目次へ  (ご近所から遠くまで

2023年10月27日金曜日

落花生収穫、不作でも作り続ける理由


夏の猛暑は9月まで尾を引いたが、10月は季節が進んだ。
10月15日は雨が降り最高気温が16.9度、コタツを作った。
その後はふたたび20度以上の暖かい日が続いているが、朝晩は寒いくらい。
庭では夏の間沈黙していたパプリカが実をつけ、そして大きくなり、大根も育っている。

コタツに潜り込んでいた翌日の16日は、一転25.8度の夏日。
気持ちいい陽気にさそわれ落花生を収穫した。
2023₋10₋16 9:24
枝豆は2016年に苗を植え、翌年以降からは毎年自家採取した豆を種にまいている。
今年は3月に種を蒔き、ビニールで保温したが、結局定植は例年通り4月末だった。
豆をとってざっと水洗いで泥をおとす。
例年通りコガネムシに大分やられた。
11:01
8回目となる収穫は、15株育てて1.8リットル。
昨年の2.3リットルより少ない。

毎年、今年こそは前年より多く取りたいと種をまいて苗を植えるのだが、特に何の工夫もしないのだから、前年より少ない年もあるだろう。

落花生は栽培期間が長く、かつ枝豆のように上に伸びず横に広がる。時間とスペースをとるわりに収穫量が少ない。毎年栽培はやめようと思うのだが、種を蒔いてしまう。

育てているのは節分にまく豆を自分で作りたいからだ。
信州中野では大豆でなく落花生をまいた。祖父と一緒に大きな声で庭にまいた。翌朝、朝日に光る雪の上に散らばった落花生を拾った。湿気ていた豆を食べるのも楽しかった。

その豆は祖母と一緒に秋収穫し、祖母が大きな鉄の中華鍋で炒ったものである。当時はガスコンロもあったが、竈で炒った。

伝統行事で使うものは自分で作りたい。
天皇陛下も新嘗祭の米はご自分で作っていらっしゃる。(大部分は職員が作業するのだろうが)
スーパーで安く買えるのだが、そういう問題ではない。

落花生を片付けたあとには早速ほうれん草をまいた。
全く千駄木菜園の土は休む間もない。
2023‐10₋24
左は白菜、右は宮重大根
2023‐10₋24
その後の落花生は、保存するため一週間乾燥したら、未熟の莢は小さく縮み、
新たに目についたコガネムシに食われた莢を除くと、全部で1.0リットルになってしまった。

人に差し上げた年もあったのだが、今年はその3分の1、4分の1くらいか。

 別ブログ

2023年10月24日火曜日

山芋収穫、黒くなるのはポリフェノール

山芋を収穫した。

都会は土地が貴重だから、土のある所はどこでも利用したい。
この10年で一度も使っていなかった場所は、北側の、家と塀の間の隙間。
ガスの検針の人が通る道で、日当たりも悪い。

そこに山芋(ナガイモ)を植えた。
山芋は急斜面とか、藪の中とか、悪条件の中でも育つイメージがある。
植えたところが日陰でも蔓が日当たりのところまで延びていけるかもしれない。

北側の通路は狭くて、シャベルで深く掘ると残土の置き場に困る。
そこで春、20キログラムの肥料のビニール袋の底に小さな穴をあけ、底に土を入れて種芋を置いた。
日当たりだけでなく土が悪いのか、育ちは悪かった。
蔓葉が茂らぬまま葉が枯れ始めたので掘ってみた。
2023₋10₋21
袋は重いから持ち上げて土をあけることはできず、移植ごてで掘った。
それでも地面を掘るより楽。
幸か不幸か芋も小さいため、簡単に出てきた。
一番長いものでも移植ごて(30センチ)と同じくらい。
来年は種芋をもう少し大きくするか。
2023₋10₋23
こちらは南側の塀のわき。
昨年春までキンモクセイがあった。伐採した後のスペースに植えた。
写真は肥料袋4つ分の芋。
こちらも蔓の伸びが今一つだった。

2023₋10₋23
こちらは西側の塀の脇。
ビニール袋でなく、クリアファイルでU字パイプをつくり、芋を斜めに誘導した。
10本植えたが、つるが伸びていたのは数本に過ぎなかった。

興味深いことに、多くが3~5つに枝分かれしている。
30度くらいの浅い角度だったから、芋根がクリアファイルの底にこするように伸び、その刺激で分枝したか?
発育が良いもの(写真、右の2株)は、一株あたりの重さは十分だが、枝1つ分は細い。

・・・・・

今年は3か所ともビニール袋、U字パイプを使ったから、掘る途中で一つも折れなかった。
しかし、昨年の芋(東脇)より小さい。
夏の育ちも悪かった。

昨年もU字パイプだったから、原因は他にあるだろう。
昨年は長野電鉄の改札口野菜直売所で種芋を買った。かなり太い芋を輪切りにしたものだった。
ことしの種芋は、一昨年こぼれたムカゴから昨年発芽した5センチ程度の(食用にならない)小さな芋を種にした。その違いだろうか?
ま、来年も食用にならない小さな芋を種にするが、ケチらずに今年より少し大きいものにしよう。

山芋は他の野菜ができない場所で作る。
最初は10年前、生ごみ(調理で捨てた皮)から出た芽から始まった。数年間は雑草扱いだったが、ある年、いくつかを塀の脇で育てると、毎年ムカゴがこぼれ、そこから発芽し、何回か二、三年物の芋を掘った。
それが、昨年から意識的に種芋を植えるようになった。

もともと期待していないから、栽培もいい加減だった。
今になって気まぐれでネットをみてみた。
知らないことがいくつかあった。

1.山芋のうちナガイモの収穫は11月中旬~翌年1月。
 先端部まで葉色が褐色に枯れ上がるころ、地表面の茎を10cm残して刈り取る。この残した茎が枯れ上がるまで地中のイモを成熟させる。茎葉が枯れても根が養分を吸収する。
早く収穫すると、すりおろしたとき褐色に変色しやすい。長く地中に置くと変色の原因のポリフェノールが減少する。
(確かに私の芋はおろすと黒くなる。)

2.収穫したら直射日光や強風に当てないようにして、肌を乾かさないよう畑から持ち出す。貯蔵の好適条件は温度4~5度、湿度85~90%。
私はサツマイモや落花生のように、乾燥させたほうが保存中に腐敗しないと思っていた。
しかし、ナガイモはむしろ人参のようにデリケートなようだ。
(これを読んだのは掘り出して外に放置、3日経ってから。小さい芋は萎れて柔らかくなっていた。ま、地中に入れれば回復するだろう。)


過去のブログ

千駄木菜園 (総合)目次

千駄木菜園(庭と野菜と植物)目次

2023年10月22日日曜日

柿は醬油煮がうまい

柿が大量に生った。
ずっと桜の陰になっていて、ほとんど実が生らなかった。
実が少しついても落ちてしまう。
この10年、何度も切ろうと思っていた。

それが今年は大量に実がついた。
昨年桜を切ったからだろうか?
昨年は4月に桜を切ったが、そのとき柿は若葉を出し始めていた。
もし実をつける準備が前年、あるいは冬に始まっているのならば、間に合わなかったか。

今年は桜がなくなって2年目だから、柿のほうも準備万端。
今までの借りを返すように実をつけた。
それでも、例年のように途中で落ちるかもしれないと思って摘果しなかったら、鈴なりになった。

2023₋10₋18
(写真は東側から)
温州ミカンが大したことないと思っても70個くらい生るから、それの3倍くらいあるように見えるので、200個くらいあるかもしれない。
食べきれない。
摘果すれば光合成の糖分が集中し、大きく甘い実になったかもしれない。
しかし、この10年の間、生っても落ちるから最後まで摘果できなかった。
(西側からの姿)
このカキは大きさ、甘さもまあまあ。しかし色がつかない。
赤く色づくまで置こうとすると熟しすぎて落ちてしまう。
黄緑色のうちに取らなくてはならない。

渋くはないが硬い。
これが200個とは恐ろしい。

10月18日に味見。そのご毎晩、義務のように消費。
そのあいだ、妻が職場の3人に3個ずつ、私がダンスの先生とパートナーに4個ずつ。21日は芋ほりに来た息子に無理やり4つ持たせ、今日はたまたま家の前を散歩していた見ず知らずの老夫婦に4つあげた。
ここまでで39個。
しかし柿の木の姿は変わらず、個数の変化は誤差範囲。

私は毎晩食べている。
しかし最近歯が悪いため、このまま硬いカキを食べ続けるのは危険である。
そこで電子レンジでチンしてみた。
目的は柔らかくすることだったが、噛んで細かくなるから舌との接触が増え、予想外に甘さが増した。
栗やカボチャより甘い。
ふと、妻がよく煮るカボチャの代用にならないかと考えた。

作り方を聞けば、醤油のほかにみりんと砂糖も少々入れるという。
(砂糖を入れるなんて初耳。反則ではないか!)

2023₋10₋22
5個とってきて(43個目)そのうち3個を使う。
皮は半分程度むいて(全部むけばよいが面倒)適当に切り、種を除く。
水を少し張り(全体の5分の1がひたる程度)、醤油を適当にかけて火にかける。
沸騰させながら菜箸で攪拌。

当然のことながら、みりん、砂糖は入れず、柿の甘さだけで勝負する。

食べるとまあまあ。
みりんなどを入れて煮たカボチャより甘い。
妻は「カキの味がしない、これは柿じゃない」というが、冷やせばおやつになるだろう。

チーズをのせてオーブンで焼けば洋風デザートに。
あるいはさつま汁の大根・さつまいもの代わりに柿・ジャガイモを入れれば、全体としての食感と甘さは似たものになるかもしれない。

最終的には門の前に「ご自由にお持ちください」として並べるしかないかな。
無人販売として4個100円でもいいな。


別ブログ

2023年10月15日日曜日

CBD:カンナビジオールや大麻は有害か?

茨城県の高校から薬物乱用防止講演を頼まれた。

阿片、覚せい剤、大麻などの話をする。何回もやっているので、とくに準備する気がなかったが、近年話題になっているCBDというものを今回初めて話そうと思った。

CBDはカンナビジオールcannabidiolの略で、大麻の有効成分THC(テトラハイドロカンナビノールの類縁体、すなわちカンナビノイドの1つである。
(大麻には142種以上のカンナビノイドが含まれているとされる)
THCは、大麻取締法で規制される葉と花穂、根に含まれ、化学物質としては向精神作用があるため麻薬及び向精神薬取締法(旧麻薬取締法)で規制されている。いっぽう、CBDは大麻取締法とは関係ない茎や種子から抽出され、物質としても規制されない。

THCは脳内のカンナビノイド受容体CB1に結合し、快楽、幻覚、鎮静、抗不安、鎮痛などの薬理作用を発揮する。CBDも似た構造をしているが、CB1への親和性は低く、薬理作用は弱い。しかし、両者を併用すれば、CBDは、代謝酵素、排泄システムなどでTHCと競合するからTHCの作用を高めると考えられる。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jalliedhealthsci/9/2/9_112/_pdf

最近、CBDはリラックス作用、ストレス緩和、睡眠導入などの効果があるということから話題を集め、一部の人々の間で使われている。

法規制がないことからネットでも買えるし、ドン・キホーテでも売っているらしい。
講演で話すからには、実物を見ておかなくてはならない。

渋谷東急本店手前のドンキは、板橋、足立、品川とともに23区内に4つあるメガドンキの一つ。
平日昼間だが、外国人観光客含め、結構混んでいた。
エスカレーター前の売り場案内のパネルには「CBD」の文字もあり、有力ジャンルになっていることが分かった。
しかし売り場階に行ってもなかなか見つからず、係の人に聞く。「CBD」という言葉がすぐ通じ、人気のあることが分かる。

2023₋10₋11 16:40
CBDリキッド商品はガラスショーケースの中に入っていた。
何の法的規制もないのに、管理されているのは、やはり大麻成分だからか。タバコやアルコール(未成年の使用は禁止)よりも厳重である。

1mL、510カートリッジで8000円だから高価である。
やはり食品、嗜好品というより医薬品の値段だ。

見れば商品によって「CBG優勢」とか、「CBN優勢」とか書いてある。
それぞれ、Cannabigerol、Cannabinolのことで、ともに大麻成分だが規制はない。

こちらはグミ。お菓子売り場のように自由に手に取れる。
5粒で税込み1711円だから、一粒350円。
1粒にCBD 25㎎、CBN 5mg含んでいる。
規制はないはずだが、18歳以上の使用を勧めている。(Must be 18 or older)

グミの上に歯ブラシのようにCBD商品がぶら下がっていた。

使い捨てCBDペン
(充電不要、使い切り電子VAPE)
500回吸引。1800円~。
裏を見れば、CBD 4%含有 14グラム。
ということはCBD総量は
14000*0.04=560㎎
500回吸引ということは、1回あたり1㎎ほど。
グミ1つ部分と同じくらい吸入するには25息吸いこめばよい。
ということは20回楽しめるということだ。

CBDを買う人はサプリなんか好きなんだろうな。
私はサプリよりアイスクリームやポテトチップなど食べ物のほうが好きだ。
値段も安いし。

どうせなら、CBDよりはっきりした作用のあるTHC、大麻のほうが興味がある。
しかし禁止されている。

麻薬、覚せい剤、大麻など薬物は怖いとされる。
怖さには2つある。
生物学的怖さと社会的怖さである。

生物学的怖さというのは依存性により抜けられなくなってしまうとか、幻覚により暴れるとか、アル中のように身体的作用が出るとかである。
しかし大麻を少々使っても大した害はないだろう。逮捕される芸能人など、全く健康状態に問題はないように見える。酒やたばこのほうが有害だと思う。

怖いのは社会的なほうである。
これはサイエンスではなく、世論で決まる。
有名人なら、誰にも迷惑かけていなくても、少しでも使ったら異常な制裁を受ける。
芸能人なら仕事がなくなり、人生が変わってしまう。
メディアの扱いは「いじめ」でないかと思う。ニュースは娯楽番組である。騒ぎは大きければ大きいほど良い。

スポーツ選手なら本人だけでなく、連帯責任を取らされチームが出場停止になったりする。
日大アメフト部は8月に一人が大麻で逮捕され(覚せい剤もおまけでもらったという)、その後、さらに使用者が広がり、この秋のリーグ戦は出場させてもらえなくなった。
覚せい剤は暴力団が関わり、プロが密輸、販売に関係することが多いが、大麻は海外で合法であることもあり、日本の一般人が現地で使用したり、こっそり持ち帰ることができる。

カナダやタイでは合法だし、アメリカも首都と9つの州で合法である。
サイエンスというのは世界中で通用するはずだが、場所によって違うというのは、サイエンスではない。体に悪いというより、社会の問題、その社会の人々の思い込みということである。

タイでは大麻を観光資源としてみなしている。海外でふつうに使えるということは、つまり十分な人体実験がなされていて、問題ないということだ。
だから個人的にはそれほど悪いと思ってはいない。
人前で吸われない分、たばこより無害だと思う。

しかし高校生相手にどう説明するか?
大人なら、歴史、国際状況、脳内での生理作用など、事実を淡々と話し、大麻をやるかどうか、悪いか悪くないかは聞き手に任せたいところだ。しかし高校生はまだ教科書に書いてあること、先生の言うことが絶対正しいと思っている。暗記教育とその仕上げとなる定期試験の弊害である。
うかつなことは言えない。
自分の考えをそのまま話したら先生に怒られそうだ。日本の社会は怖い。

個人的には、無害としても、こんなものに高いお金を払う人の気持ちが分からない。自分ではやる気はないし、今の日本社会では、子どもたち、家族にも絶対やらせない。


2023年10月8日日曜日

カイガラムシ、イモムシ、カミキリムシ

  

千駄木菜園3本目の柑橘類として、2022年2月、不知火(デコポン)を植えた。
退職と同時だから2回目の夏だがまだ花は咲かない。
先日、ふと見たら白いカビのようなものが付着している。近づくとカイガラムシだった。
2023₋09₋04
画像検索するとイセリヤカイガラムシが近い。
オーストラリア原産だが、明治時代に日本に入り、かんきつ類ほか様々な樹木に寄生する。
ところが有力な天敵であるベダリアテントウの導入によって制圧されたというから違う種類だろうか?

わが国でよく見るカイガラムシは
貝殻のような殻をかぶっているヤノネカイガラムシやカタカイガラムシなど、
ロウ物質で体が覆われたルビーロウムシやツノロウムシなど、
体の表面が粉状の物質で覆われたコナカイガラムシなど
があるというが、5つとも画像を見ると庭のものと違う。
やはり、イセリヤカイガラムシのような気がする。
カイガラムシは昆虫らしくない2つの特徴がある。
1. 脚が退化してほとんど動かないこと
2.体が貝殻のようにみえる分泌物で覆われていること。

カイガラムシはアブラムシのように茎や葉に付着して篩管液を吸う。動く必要がないから脚が退化している。オスは成虫になると羽と脚が出て移動できるが、メスは動かないまま交尾、産卵、死んでいく。

篩管液は糖分に富むから、必要なアミノ酸やミネラルを摂取しようとすると、糖分を過剰に吸うことになる。そこでアブラムシ同様、体外に出す。この排泄された糖液を甘露といい蟻を集める。また、過剰の糖分は炭化水素やワックスエステル、樹脂酸類などといった、蝋質の物質に変換されて体表から分泌され、虫体被覆物となる。これが「貝殻」であり、昆虫とは思えない擬態によって外敵から身を守り、また消毒液も効かない原因となる。

動かず虫にも見えないことから触ることに抵抗がなく、駆除するのに手で剥がすことにした。動物とは思えないからつまんで潰すと橙色の汁が出た。青虫など葉食系の虫は体液が緑だが、篩管液を吸っているものは、葉緑素の影響がなくいろんな色がありうる。

ふと、カイガラムシの一種は歴史的に赤色染料の原料だったことを思い出した。合成染料が生まれる前まで赤は植物のアカネか、カイガラムシからとっていた。

2010年ころから数年間、趣味が高じて化学、薬学の歴史に関する翻訳書を数冊上梓した。
染料の製造というのは、医薬品と違い、結果が誰の目にも明らかである。決まった手順でやれば決まった結果が得られ、新しい試みをすれば、新しい結果が得られる。つまり、科学の対象となりうる。染料の製造過程は人類最初の化学実験とも考えられ、また化学工業の始まりともなった。
世界最大の化学メーカー・BASFも染料から出発している。世界最大手の製薬企業、ノバルティスの前身会社、サンド、チバ、ガイギーも染料会社であったし、世界最初のサイエンスに基づく製薬会社バイエルも染料会社であった。

「新薬誕生」「セレンディピティと近代医学」「スパイス・爆薬・医薬品」「サルファ剤・忘れられた奇跡」はいずれも染料,染料工業の話を扱っている。さらに染料について講演も何回かしているから、カイガラムシの赤色染料について私はかなり詳しい。

古代から知られる赤色染料コチニールは、カイガラムシの一種エンジムシから得られ、アステカ人が使っていた。それをスペイン人がヨーロッパに持ち帰り、爆発的に広まった。コチニールの主要成分はナフトキノン誘導体のカルミン酸である。

定年退職してから、ダンスとアルバイト(生協の野菜売り場、シェア畑の管理)だけで、すっかり知的生活から遠のいていたが、この害虫のおかげで、久しぶりに古い記憶が蘇った。
2023₋09₋21
今年初めて作った里芋。
日当たり悪く育ちが悪い。ふとみたら大きな虫がいた。
尾部に角があるから色はだいぶ違うがイモムシの仲間だろう。

今もサツマイモの葉を盛んに食っているイモムシは緑か灰茶色の2種類だが、この派手な黒字に黄の横縞は初めて見た。イモムシというのは本当に「芋」にいるのだな。
頭隠して尻隠さずの尾部を割りばしでつかんで引っ張り出した。
カイガラムシと違ってこちらは素手でつかめない。
潰すこともできず、容器に入れて太陽熱で殺すことにした。

2023₋10₋01
こちらはイチジクの木を食っていたカミキリムシの幼虫。
虫体は白くて堅い。
カミキリムシの恐ろしさは、葉を食わず幹を食うため、木を枯らしてしまうことだ。

私はイチジクに対するあこがれのようなものがあり、苗を1本買い、それがカミキリムシで枯死してから、路上に「ご自由にお持ちください」とあった鉢の2本を持ち帰り、そして昨年また1本苗を買った。つまりまで4本植え、3本育てていたことになる。

しかし今年になって拾った1本は庭が狭くて抜いてしまい、2本だけになった。そして1本が虫に食われた。
なかなか美味しい実が生るところまでいかず、あこがれは続いている。


千駄木菜園 (総合)目次

千駄木菜園(庭と野菜と植物)目次