8月21日、上尾・伊奈・桶川/子ども大学の引率でニューシャトルの見学に来た。
1970年代、東北・上越新幹線を通すにあたって、国は沿線住民の反対を抑えるために、新幹線と並走する通勤新線の建設を約束した。大宮以南では埼京線、大宮以北はこのニューシャトルとなった。
ニューシャトルは正式には埼玉新都市交通伊奈線という。
1983年12月開業。
愛称は、NASAが1981年から2011年にかけて135回打ち上げていたスペースシャトルを意識している。
大宮から内宿まで12.7㎞が13駅だから駅間は平均12.7/12㎞
約1㎞というのは、バス停間隔より長いが通常鉄道より短い。
大宮から8つ目の丸山まで複線で、その先は単線。
車両基地は丸山にある。
大宮を出た東北新幹線と上越新幹線が分かれるYの字の三角部分。
丸山駅がたいそう懐かしい理由は後述。
こどもは上尾、伊奈、桶川の50余人。
子ども大学には2014年から関わっている。
30年以上前、
1988年、東大宮・尾山台団地の2DKで親子3人楽しく暮らしていたが、将来は家を買わねばならないと思っていた。
当時、住宅公団が東浦和、三郷早稲田、東鷲宮で分譲マンションを大規模に開発販売しており、申し込んだが抽選に外れた。バブル景気がまだ続いていて、家は半年で500万円ずつ値上がりし、今買わないと一生買えないという雰囲気があった。
さらに第2子が生まれることが分かり、本格的に家を探し始める。
浦和、与野など大宮以南は高すぎて手が出なかった。
蓮田や上尾など大宮以北であっても駅から歩けるところは高かった。
候補となったのは大宮からバス15分の南中丸の木造物件と、伊奈町ニューシャトル19分志久駅徒歩7分の家。どちらも小さな中古住宅だった。
小さいが土の庭があり、バスでないほうの伊奈町に決め、1989年6月に引っ越した。
しかし埼玉の職場で話題にしても、「北足立郡伊奈町?」「ニューシャトル?」と知らない人がほとんど。実際、路線ができて6年たっても住んでいる人は少なく、陸の孤島と思われていた。
92年には第3子がうまれ、1996年に指扇に引っ越すまでの7年間は、五人家族として成長した。
7年間を通してニューシャトルは30分に1本、つまり1時間に2本しかなかった。
1駅だけ大宮寄りの丸山駅には県立がんセンターがあり、そこまでは複線で1時間に4本あった。それに朝は始発電車に座れるので、通勤には雨天以外、自転車で志久から丸山まで来て乗った。座席は一両に20人、4両編成だからいかに人が少なかったか分かる。
当時は伊奈学園、県民活動センターの周りは、埼玉県住宅公社が宅地造成のため田んぼに盛り土して数年放置していた。(妻が車の運転を練習したほど)
その後宅地は完成し、また学校もいくつかでき、一気に利用者が増えた。
いまや大宮発の電車は6両編成となり終点内宿まで日中でも1時間に6本もある。
車体は3種類ある。
1050系 1990年から順次導入。6両編成3本在籍
2000系 2007年から順次導入。6両編成7本在籍
2020系 2015年から順次導入。6両編成4本在籍
車両は長さ8メートル、1両1億円とこの日に知る。
6両編成でも48メートル。(新幹線一両が25メートルである。)
私が90年代に乗っていた1000系はすでに引退した。
現在6両編成14本が在籍し、(すなわち84両を所有)、朝のラッシュ時には12本が出動する。
定期的に車検をするからギリギリの所有である。
車体には4桁の番号がついていた。
番号を見ると、意味を知りたくなる。
後ろで見守っている案内社員の方に聞いてみた。
1桁目と3桁目は車両形式 2020系なら2と2
2桁目は1編成の中での番号。先頭は1か6
4桁目は同じ系統での編成の順番。具体的には同じ編成を組む車両は同じ色になるから色の番号とみてもよい。
すなわち
1351は1050系、赤編成の3両目
2621は2020系、赤編成の6両目
整備工場のあとは総合指令室を見学した。
首都圏の大手他社の指令室はテロを警戒し、場所すら明らかにしていないという。
ニューシャトルの場合、場所は秘密にしようがないから、堂々と「総合指令室」と看板があったが、写真撮影は不可であった。
交代で二人が24時間勤務。
路線が単純だから全車両の走行状況把握、コントロールは他社路線より簡単だろう。
しかし、人員を徹底的に合理化しているから、各駅の監視のほうが大変かもしれない。
正面のモニターには 8 x 8 = 64 個のモニター。
多くは大宮駅だが、残りの12駅には改札に2つと、上りホーム、下りホームの4か所にカメラがある。
ニューシャトルはワンマン運転、駅には地元のパートらしき高齢女性が一人いるだけ。だからモニターに異常があれば、各駅の高齢オバサン、運転手など関係部署に指示がとぶ。
その彼女らも勤務時間が限られ、また持ち場をしばしば離れ、無人状態となるから、切符を買う人などや駅で待つ一般人が業務回線で電話してきたときにも対応せねばならない。
モニター動画は警察の捜索にも役立っているらしい。
朝はほとんど出払うが、日中は何本か基地に帰ってきている。
ニューシャトルは夜間全両が丸山基地に戻り、駅などで夜明かしする車両はない。
おそらく参加者の中で最も古くから乗っているだろう。
見学会の最後は車両洗浄を社内で体験する。
運転してくださったのはとっても可愛らしい女性。
待機線路から出るにあたり、総合指令所に連絡、許可をもらってから出発進行。
埼玉新都市交通(株)の運転手は45人。そのうち女性は5人という。
洗浄装置をくぐると窓にかかる大量の水に子供たちは大歓声。
全車両は毎日基地に戻るときここを通過して自動洗浄される。
また1日1編成ずつ、運転手がモップで洗う大掃除もある。14編成あるから月に2回、手洗いするということだ。
「本当は通過は一回だけですが、今日は大サービスで二回通ります」
と彼女は総合指令室に許可をとって、バックでまた水を浴びた。
見学が終わり、車両基地をでて駅の改札口に来た。
道路の向こうに7年間お世話になった丸山駅の無料自転車置き場が見えた。
若かった自分、可愛かった3人の子供たちなど、いろんなことを思い出し懐かしかった。
1996年6月、指扇の大宮市プラザに引っ越し、この丸山、志久駅から離れるとき、まさか、こんな何もないところに薬科大学ができるとは思ってもみなかった。
埼玉にいながら、こちら方面には全く用事なくニューシャトルのことなど忘れていたが、2012年、16年ぶりで志久駅に降りた。関東地方にあまたある駅の中で、よりによってこの駅とは・・・。
転職を決めたとき不思議な縁を感じた。
2013年4月に赴任、もちろん新しい職場でも、かつて志久、丸山周辺に住んだことのある人などおらず、自己紹介セミナーでは、自慢げに90年代のニューシャトルや伊奈町をスライドで見せた。