松やにからテレピン油を製造する法
薬学雑誌 1889(明治22)年、p345-352
電気も器具もなかった明治初期、どんな装置で実験していたのだろう?
意外とわからない。
当然のことながら論文というのは簡潔を善しとするため、自明のことは書かない。合成法も試薬の量、反応時間、温度で事足りる。それゆえ、薬学雑誌の文章から当時の実験室を想像するのは難しい。しかし本論文は、珍しく図が何枚かあり、往時が偲ばれた。
内容は的列並(テレピン)油の製造法だが、出来は松脂の採集にかかっているという。
精油製造のためなら松幹への切り口は四角、華爾斯(ワニス)の採集のためなら逆三角形に切り込め、
と屏風絵にあるような立派な松の木が3本描いてある。
四角か三角かを言うだけなのに、松は地にしっかり根を張り、幹は自然に傾き、樹皮もごつごつしている。なおこの論文のタイトルは、テレピン油の製造法ではなく、「松幹の説」である。
得られた華爾斯は、焼酎製造用の容器(下図)にいれ、水を加えて下から火を焚く。
水蒸気蒸留である。冷却して得られる油は水に混じらず、27%あるという。石油もない頃だから、有機溶剤、医薬品成分としても重宝された。
ちなみに、戦時中航空機燃料にしようとした松根油は、伐採後の古根を掘り起こして乾留したものだ。(すなわち水を使わない)。
松根油は全国から集められたが、精製を待つ間に終戦となった。だから根っこ堀りの思い出としては多いが、航空機には使われていない。
さて、著者村上栄太郎はさらに松幹におけるワニス流出の経路を究めんと欲し、黒松の若芽の横断面を顕微鏡的に観察した。ワニス管は13個ある新生細胞組織の外側に対になるよう配列されていると詳細な図を書いた。
コピー機のない昔の人は絵が上手かった。
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