2018年4月1日日曜日

高岡1 朝の散歩で大仏と古城

学会で3月25日から3泊。
金沢のホテルは1月の時点でほとんどとれなかった。
同僚の先生は何とか金沢市内で予約したが、なんと3泊とも別のホテルという。学生で富山にとった人もいたらしい。外国人観光客の増加に大きな学会がぶつかってしまった。

私は高岡にとった。駅の改札から30秒のホテル。
学会会場が金沢駅周辺なので、電車で40分かかっても苦にならない。久しぶりの新聞でも読んでいれば着く。
2018-03-27朝の高岡駅
高いビルがホテル

高岡は、今回来なければ一生知らない街だった。
金沢が満杯でラッキーとも思える。
学会2日目、早起きしたので高岡城を目指す。
途中、高岡大仏に遭遇。
全く予定しておらず、知識もない。


大仏の中は入れるようになっていて、仏画がぐるりと飾ってあった。中央にはなぜか仏の首が・・・早朝、誰もいないから、ちょっと不気味。

高岡大仏から200メートルで高岡城。

前田利家の嫡男、初代加賀藩主の利長は、家督を利常(利長の異母弟)に譲り1605年隠居して富山城に移った。ところが、富山は1609年火事で焼ける。そこで射水郡関野(高岡)に新たに築城し、移ったのが高岡城である。しかし利長死去(1914年)の翌年、一国一城令によって(富山城を残し)廃城となった。

ただし、その後も高岡町奉行所の管理下で、加賀藩の米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが置かれ、軍事拠点としての機能は密かに維持された。

大手口の中にある立像は高山右近。

右近はキリシタン大名として有名であるが、秀吉がバテレン追放令を出した後、信仰と引き換えに領地(播磨明石6万石)を差出した。その後前田利家の客将となり、その子利長にも仕え、高岡城築城の時は縄張りをしたという。

高岡城の特徴は、豊かに残った水堀。

市街中心部にある城は、明治後、陸軍や官庁の施設が置かれ、堀はたいてい埋め立てられ、駐車場になったり、建物ができた。
高岡が残ったのは、明治8年(1875)に公園として開放されたことが大きい。

カモの種類は分からない。

中央に滝が落ちている。
見ている私の背後には動物園があった。



本丸広場。芸術の森としてブロンズ像が立っている。
他にも朝倉文夫「産後の猫」、荻原碌山「女」など27体ある。
また与謝野晶子などの歌碑や顕彰碑も多い。

瑞龍前田公遺徳碑
この形は大正から昭和初めの記念碑によく見られる。



遊覧船の名前、利長はわかるが、利常と高岡の関係は何だろう?
兄弟ではあるが。
ちなみに、
利家1ー✛利長2
    ✛利常3ーー✛光高(利高)4ーー綱記(綱利)5
          ✛利次(富山藩初代)
          ✛利治(大聖寺藩初代)
である。
射水神社。越中国一宮。旧社格は国幣中社
明治7年、二上山麓から本丸跡に遷座した。

土俵。
本丸の南西隅、卯辰山の土手が観覧席になっている。

高岡の道はどれも広い。
空襲にはあっていないようだから、北陸はもともと砺波の散村のように、土地に余裕があるのだろうか。

駅に戻り、8:02の各駅停車に乗って、学会会場は8:45に着いた。

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