2020年8月21日金曜日

菊富士ホテル跡地の下はオルガノ

本郷の古い路地に入り、フォレスト本郷、徳田秋声旧宅、赤門アビタシオン、法真寺など書いてきた。
2020-08-09 11:15
本郷は車社会以前に家が建てこんだから、こんな路地の奥にも家が多い。
そこに斜面も加わるから独特の町になる。

11:21
入っていくと板壁の木造家屋が残っていたりする。

11:21
こういう都会の密集地で建て替えすると、こんな雨に濡れない抜け道ができる。

抜けたら菊坂だった。

11:24
本妙寺坂(ほんとは菊坂を挟んだ向かいの坂)をのぼる。
一帯は明治になって染井墓地の北に移転した本妙寺の境内だったところ。

坂の上を西に入る。
 
菊富士ハイム、アネックス菊富士というマンションを過ぎる

11:25
本郷菊富士ホテル跡は初めて来た。

中央の石は
由来
明治三十年岐阜県大垣出身の羽根田幸之助、菊江の両親が此の地に下宿菊富士楼を開業し大正三年五層楼を新築 菊富士ホテルと改名し営業を続けたが昭和二十年三月十日第二次大戦の戦災に依り五十年の歴史を閉じた 此の間菊富士ホテルに止宿した内外の文学芸術思想医科学政治経済各界に亙り多くの逸材を輩出 近代日本の歩みに曙光を放ちてその名を今日に及ぶ。この菊富士ホテルの名を永く記念する

右の石は
主な止宿者 
石川淳 宇野浩二 宇野千代 尾崎士郎 坂口安吾 高田保 谷崎潤一郎 直木三十五 広津和郎 正宗白鳥 真山青果 竹久夢二 三木清 中條百合子 湯浅芳子 大杉栄 福本和夫 伊藤野枝 三宅周太郎 兼常清佐 菅谷北斗星 下村海南 青木一男 小原直 月形龍之介 片岡我童 石井漠 伊藤大輔 溝口健二 高柳健次郎 エドモンド・ブランデン セルゲイ・エリセーエフ

本郷の下宿屋、旅館の多く(8割とも)は岐阜県、西濃出身者が開いた。
菊富士もそうだし、朝陽館、本郷館、鳳鳴館、みんなそうである。
11:26 
昔はここから菊坂の向こうに富士が見えたのだろう。

菊富士ホテルは地下一階、地上3階、上にドームがあり、坂下から見ると5層の大廈で、大正3年(1914)に立った時は帝国ホテル、日比谷ホテルと並んだ。東京オリンピックに備えたオークラ(1962)、ニューオータニ(1963)はずっとあとである。

すぐわきの崖下はどこかの工場。
その工場をぐるりとまわると
11:27
下宿 赤心館 跡
1908年石川啄木が北海道から3度目の上京、本格的に東京で活動をはじめた。
郷里の先輩、金田一京助が住んでいたこの下宿に住んだ。当時このあたりは本妙寺の境内だった。
啄木はこのあと森川町蓋平館に移り、その後弓町喜之床、小石川久堅町に転居し4年後の1912年死去。
特に啄木には関心ないのだが、文京区を散歩しているうちに2度目の上京(1902)で初めて東京で暮らした下宿先(音羽、八幡坂)もあわせ、全て写真を撮ってしまった。

11:28
赤心館から西をみると長泉寺

11:29
知識も思い出もないと関心もない

山門から菊坂に出られそう

11:29
不許葷酒入山門 
という門柱を初めてみたのは40年以上前のこの寺だった気がする。
山門と石柱が菊坂の通り沿いにあったというのは記憶違いか。

11:32

11:33
ここまできて菊富士ホテル下、赤心館跡の工場がオルガノだと判明。
蒸留水製造装置の会社として1946年諏訪で創業、1955年本社をここ菊坂に移転した。
1986年には戸田に総合研究所を作った。
1997年本社を東陽町に移転、ここはオルガノプラントサービス株式会社となったが本郷菊坂には場違いの風景。
これだけ広い敷地、マンション用地として高く売れるだろう。





お出かけ 目次へ  (ご近所から遠くまで

千駄木菜園 (総合)目次 (お出かけなど)

0 件のコメント:

コメントを投稿