2020年8月12日水曜日

日本女子大と三井家、森村豊明会

梅雨のおわり7月26日、江戸川橋から神田川沿いを歩いて文京区の西の端まで来た。小布施坂から目白台に上がる。
豊島区との境、日無坂をみてから目白通りを東に歩く。
2020-07-26 15:37
日本女子大付属豊明小学校
大学より立派ではないかと思われるが、創立は明治34年の日本女子大学校(専門学校)ができた5年後の1906年。

豊明は、森村市左衛門(北里柴三郎の支援でも有名)による寄付を記念して、森村豊明会からとった。豊明会は、市左衛門の弟・豊と長男・明六の名からきている。すぐそばの豊坂(とよさか)は関係なかった。
昭和7年
いまの敷地は小布施新三郎の屋敷(別ブログ)跡だが、昭和になっても彼の屋敷だったから豊明小学校は別の場所で開校したのであろう。豊坂の東、いまの図書館のあたりに学校のマークがある。

ここはお受験で有名で、小学校前の歩道橋の渡り方から注意するという話を聞いたが、歩道橋は撤去されていた。

日本女子大学豊坂別館

小学校の周りは桜楓学園(生涯教育講座、子供講座)、桜楓会館(同窓会館)など、日本女子大の関連施設が並ぶ。豊坂途中のレストランだった民間建物を購入したのも、そのような立地環境による。
15:38
日本女子大付属図書館
2019年、創立120周年(2021年)記念事業として竣工
設計は本学卒業生でもある世界的建築家、妹島和世。
以前テレビで彼女を見たけどどんな作品だったか忘れた。
敷地が斜面なので、スロープを使った設計らしい。
地元文京区民は高度な調査が必要ならば利用できるらしいが、日本女子大にしかない資料など思いつかない。

2020-07-26 15:39
日本女子大正門
左に成瀬記念館が見える。
火曜―土曜は見学できるようだがコロナで今年度の開館は未定。

1896(明治29) 成瀬仁蔵『女子教育』出版。「日本女子大学校創設之趣旨」発表。
1897、 第一回創立委員会開催。大隈重信が創立委員長。
伊藤博文、近衞篤麿、西園寺公望、渋沢栄一、岩崎弥之助らの支援を受けた。

1900、 三井家より、5520坪の寄付を受ける。
これには加島屋財閥、広岡浅子(小石川三井家六代当主・三井高益の四女)の存在が大きい。

1901(明治34)日本女子大学校創立。
1904、専門学校令による専門学校として認可。
1948、新制大学としての日本女子大学が発足。

15:42 正門の右は成瀬記念講堂
1906(明治39)年に「豊明図書館兼講堂」として建設され、1961年に改名。
成瀬は山口県士族、アメリカ留学後、プロテスタントの牧師となり、女子高等教育機関の設立に奔走した。

ちなみにここから少し北の東大病院分院(もと永楽病院)も三井の土地だったから(別ブログで書く)、三井財閥は目白台(当時は雑司ヶ谷といった)にかなり土地を持っていたのかもしれない。


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