2020年8月17日月曜日

音羽通りの首都高の高架下から開運坂まで

7月26日、江戸川橋に来たとき上を覆う首都高に目を奪われた。
2020-07-26
首都高5号線は、千代田区一ツ橋(竹橋ジャンクション)から 豊島区池袋4丁目(北池袋出入口)間の8.1kmが5号池袋線1期として1964年11月9日に着工。1969年供用開始した。
つまり60年代に景色が一変した。
2020-07-26
この日は、日本女子大、東大分院跡など2時間ほど回って、講談社裏から首都高、高架下を戻ってきた。(別ブログ)
景観は大いに破壊されたが、日曜とあって高架下は子どもたちが楽しく遊んでいた。
ちょうど雨が降ったりやんだりしていたが、ここは雨に濡れない。日陰で風通しもいいから夏も涼しい。

ん?
これはホームレスに絶好の場所ではないか?

1週間後、梅雨が明けた8月3日に再訪した。
2020-08-03
江戸川橋から護国寺まで、弦巻川暗渠の上に、音羽通りの長さだけ屋根付きのスペースがある。
テニスの壁打ちもキャッチボールもできる。

遊具がある。フェンスがあるから幼児を遊ばせても安心。
この左側の斜面は関口台公園、関口三丁目公園などもあり、このあたりの住民は恵まれている。

しかしホームレスの人がいない。夏は絶好の避暑地である。これだけいないと、このフェンスもホームレス排除が目的だったかな、と思ってしまう。

首都高は護国寺で不忍通りを越えてから少し曲がって池袋に向かう。
これまで日本橋川、神田川、弦巻川暗渠と低地を来て、ここからかつて都電の走っていた道路の上をいく。
2020-08-03
居ました。ホームレスの人々。
空き缶集配業者が来て、重さをはかり買い取っていた。

彼らのものだろうか、少し離れたところで台車に乗った荷物あり。
このあたり、護国寺西側から池袋への道を小篠坂(こざさざか)といった。
江戸時代、鷹匠屋敷(千駄木組と雑司ヶ谷組の2つがあった)があり、そのころからの坂道。
高速道路ができる前はちゃんとした坂道だったのだろう。


・・・
帰宅するに、私が文京区で最もなじみのない場所を通ってみる。
護国寺の裏である。
旧住居表示でいうと大塚坂下町なのだが、高台であり、豊島ケ岡町会でまとまっている。
大塚6丁目29番
後ろの森は豊島岡皇族墓地

右に豊島岡皇族墓地を見ながら東に進む。

高そうなマンション、豪邸もあるが、ごちゃごちゃした路地もある。

こういう家がいいな。

左は大塚6丁目19番地
右は15番地、区立大塚北会館
まっすぐ下ると水窪川暗渠の道にでる。
大塚北坂とする。

手前を右(東)に行くとオリエント坂の上に出る。

豊島岡御陵の北縁に戻り、東に行くと、クランク状にくだっていく。
2020-08-03 開運坂
左に行くと大塚坂下町公園の上に出る。
右の角は生長の家。

開運坂上はつい最近まで3~4階建てアパートが3棟あった。
2020年8月のグーグルビューでも見える。
北国銀行大塚独身寮とあるが、東京でこの銀行にこれだけの独身寮が必要とは思えない。
ま、とにかく更地になっている。
4月に水窪川暗渠を歩いた時、坂下から開運坂をみた。
坂上に講道館道場があり、師範(嘉納治五郎?)が開運坂と命名したらしい。

大塚先儒墓地下という信号機のある坂
先儒坂とするが、この坂の上に墓地はない。

不忍通り、冨士見坂下にでて坂を上がる。
東に下る白鷺坂
正面は本伝寺
坂の北に宇和島伊達家の別邸があり、池に鷺が集まっていたとか。

2020-08-03
白鷺坂は二段になっている。



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