2020年8月8日土曜日

幽霊坂、和敬塾の寮費はいくらくらいか

7月26日は芭蕉庵、肥後細川庭園の前からそのまま神田川に沿って西に歩いてしまったので、胸突坂、幽霊坂を通るため8月3日、再訪した。

2020-08-03
両坂の上は目白通り。
通りに面して和敬塾正門がある。

一帯は肥後細川家の下屋敷、抱え屋敷で、明治以降も細川本家が本邸を構えた。

明治42年
最初はいまの目白台運動公園のあたりに屋敷を建てたが関東大震災で傷み、東のほうに建て替えた。当時は幽霊坂はなく、同じ敷地内だった。

昭和7年
本邸被災後一時期、学問所であった坂下の松聲閣が仮本邸になったが、昭和7年に設計、昭和11年に現存する新本邸が竣工した。
昭和32年
戦後、細川家は屋敷を手放したが、旧本邸が台地の上に見え、坂下の現・肥後細川庭園のところに「細川ホテル」と書いてある。

和敬塾というと、細川家本邸を使っていることから、細川家あるいは熊本県と縁があるように見えるが、全く関係ない。

機械メーカー前川製作所の前川喜作が戦後、「和敬会」を創設し、
1955(昭和30)年、旧細川侯本邸敷地7,000坪、本館・鉄筋コンクリート造(地上3階・地下1階建、1階面積約585.82㎡、延床面積 約1863.59㎡)を購入した。

翌1956年3月 本館に塾生51名を収容、教育事業を開始。
その後、広大な敷地に次々と宿泊棟をたて、塾生(寮生)が増えた。

現在、50の大学にわたる、400人ほどの男子大学生、大学院生が暮らしている。

目白通りから覗くと、はるか奥の本館の前に銅像が見えた。
前川喜作氏であろう。
良いお金と使い方をされたと思われる。

なお、元文部科学省トップ、いろんな問題で話題になりテレビにも出られていた前川喜平(1955年1月~)・元事務次官は、喜作氏の孫である。

・・・・
さて、正門門柱の西のわきに古い木造家屋。
目白台運動公園との間の道に入ると、裏が良く見える。
公式サイトを見ると武道場とある。
2020-08-03
いかにも細川時代からの建物。
古色蒼然、板壁はよく燃えそうだが、右は小石川消防署老松出張所である。

武道場裏の道を南にすすむと北寮、西寮とならび、幽霊坂の上に至る。
左(東)は和敬塾の西寮
右は目白台運動公園。

窓辺にはコーヒーカップや本などが見えた。
帰省中なのかコロナで部屋にこもっているのか。

昭和31年、細川家旧本館で始まった和敬塾は
翌32年に南寮、西寮ができ、本館から寮生がうつり、
33年北寮、平成9年1997年には東寮、
2005年には東西南北のつぎ巽寮(大学院生)、
2009年には古くなった北、西寮をたてかえ、乾寮を開設。

(2019年度より乾寮と南寮は統合し、現巽寮に移動、新南寮となる予定です)と公式サイトにある。


斜面が急だから鎌倉みたいに切通しになっている。

自分には関係ないが寮費が気になる。
どういう人が入寮するのか、和敬塾とはどういうものか、を考えるとき参考になる。

入塾金72,000円  年間管理費46,200円
月額塾費は、朝夕二食付き、光熱費、ネット込みで
97,370~100,580円~(寮によって違う)

このあたりのワンルームマンションは10万近くするから、安いと思う。
魅力はいくつもあって、自由に使える共用施設(自習室、音楽練習室、武道場、グラウンド、)、経験豊富なスタッフ、無料教養講座、各種行事をとおして得られる圧倒的コミニケーション。

各界の第一人者を招聘しての講演会・シンポジウムも創立以来550回以上にのぼる。大講堂前の廊下には講演された、三笠宮崇仁親王、武者小路実篤、湯川秀樹、朝永振一郎、白川英樹、広中平祐、金田一京助、E・ライシャワー、M・マンスフィールド、片山哲、田中角栄、中曽根康弘、細川護煕、小渕恵三、堺屋太一、川上哲治、アントン・ヘーシンク、山下泰裕、森繁久彌、永六輔、植村直己らから寄せられた揮毫が飾られているらしい。
幽霊坂下、右はこのあたりで和敬塾から区立細川庭園に変わる。

和敬塾は入寮予定の受験高校生より、親たちのほうが魅力を感じるだろう。
最高の環境で仲間と切磋琢磨し、息子は大きく成長してくれる気がする。

・各界で活躍する多くの先輩たち
・圧倒的な量と質のコミュニケーション
・様々な行事と共同生活で仲間との絆を深め
・人間としての深み、品位を育む講座。
・50人の専任スタッフの含蓄のある助言とサポート。
・都心ならではの利便性、都心とは思えない豊かな自然
対話力、想像力、リーダーシップを備えた、「和と敬」の人を目指す。

ただ、教育熱心な親でなければ、存在自体を知らず、ふつうにネットや不動産会社でアパートを探してしまうだろう。もちろん高校生自身は、こんなところまで考えていない。

神田川沿いにおりて胸突坂をあがると東門、東寮がある。
奥にグラウンドが見えた。

ところで、一人暮らしより寮のほうが人間成長にいいだろうか?
1975年3月、田舎の高校を卒業して大学に合格、住まいを探すにあたって、キャンパス内にあった寮を選んだのは、不動産屋を回ることも知らない高校生が大学案内にあった寮をたまたま申し込んだに過ぎない。寮費は和敬塾と正反対で安かった。国庫に入る光熱費を含む正規の寮費は100円、1か月3900円のほとんどは寮食堂の経営とトイレットペーパーのためで、割安の食券をその分買えるから実質無料だった。

そして2年間過ごした共同生活は自分の人間形成に役立ったかどうか?

左上が目白台運動公園、中央から右は蕉雨園から椿山荘。
その間が和敬塾。グラウンドが見える。

結論からいうと、共同生活をしたからといって、友人が増え、たくましく成長するとは限らない。とくに私のいた寮は完全な自治寮で、和敬塾のような高尚な理念や、指導スタッフがいたわけでないから、ただの巨大な雑居住居だった。

友情とか成長とか、いい言葉が生まれるかどうかはその人によるだろう。
もちろん楽しい思い出はいっぱいあるが、民間アパートで独り暮らしも、それなりに楽しい思い出を作れると思う。

2020-08-03
胸突坂上。右はまだ蕉雨園がつづく。
左は和敬塾東門。

寮生だろうか、バイクで入りかけたところで停止、スマホを見入っていた。それほど重要な知らせが入ったのだろうか。




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