2020年8月23日日曜日

ひばりが丘団地と老人ホーム

8月21日、池袋から西武線急行で17分、ひばりが丘駅に立つ。

上野本郷、埼玉と京浜東北線を中心に生きてきた私にとって初めての駅だが、思ったより近い。
9:11 南口
駅前左手にコジマ・ビックカメラ、西友、アオキとシマムラ

2020-08-21
右手にパルコは、池袋、西武との関係の深さを思わせるが、それだけ駅が大きいということか。しかしノジマとユザワヤが目立つところが池袋、渋谷のパルコと違う。

バスにのってひばりが丘団地にいく。駅から狭い道を1キロくらいではないか?
2020-08-21
大きくて立派な団地。
写真の石垣にあるように、今は団地ではなく「ひばりが丘パークヒルズ」という。
ヒルがダブるが仕方ない。
神奈川の丘陵地帯と違い平坦で、「丘」という感じはしない。
ひばりが原、雲雀平、、。
ひばり野なんていい名前だと思うが。
昭和30年代のセンスか。

1959年(昭和34)、田無、保谷、東久留米にまたがる中島飛行機関連会社の跡地に住宅公団が造成した。
当時、日本最大の公団住宅であり、「マンモス団地」の最初であるほか、野球場、テニスコート、市役所出張所、緑地公園、商店街、学校、スーパーマーケットなどを敷地内に設置、後に建設される公団住宅の手本となった。

しかし最初であるだけに老朽化も進み、 建て替えが行われた。

高層化されたから空き地はさらに広くなり、建物も離れている。
もっと建てられたのではないかと思うほど、グラウンド、緑地もたっぷり。
写真左の緑は3階建ての立体駐車場である。

住み心地よさそう。

歩いていると懐かしい建物が残っていた。
上尾市尾山台団地にもあったな。
1フロア3戸、スターハウスというY字型の建物。
この旧53号棟は保存され、URの管理事務所になっている。

南に回るとパネルがあった。


上皇様、上皇后さまが皇太子時代に最先端の団地を見学に来たらしい。
焼け残った戦時中の木造、にわか安普請の長屋みたいなのしかなかった時代に、洋式の鉄筋コンクリートである。抽選倍率は高く、庶民のあこがれ、入居者も高収入サラリーマンなどが多かったらしい。

その皇太子たちが立たれた旧74号棟のベランダを記念に切り取ってもってきたわけだ。
お手植えの松、とかはよくあるが、お立ちのベランダというのは珍しい。
頼朝が座った石とかどこかにあったな。


それにしても美しい団地。

商店街があった。「ふれあいの通りPiPi」という。


団地の建物は新しくなったが、今の人は個人商店で買う習慣がなくなり、シャッター街と化している。シャッターどころか、一般住宅になってしまった商店もあった。
道路の左は西友である。
ちなみに、すかいらーくは、1962年ちいさな干物食品店「ことぶき食品」としてひばりが丘団地で創業、1970年にファミレス1号店を出した。社名のsky larkはひばりである。

(ところで今スカイラークという店はないって知ってた?2009年、最終店閉店)
団地というのは同じ世代のものが一斉に入居し、一斉に年を取る。
1960年に40歳だった人は今100歳か。すでに孫の世代になり、年齢層はばらけているだろうが、年寄りが多いことは間違いない。

特養老人ホーム・福寿園
団地内の郵便ポストは円筒形
老人ホームが敷地内に多かった。
2世代、3世代が同じ敷地に住める。

旧53号棟につづき、また古い団地が残っていた。旧94号棟。
(いまは3街区、5街区などと分け、3-2号棟、5-3号棟とよぶ)
2020-08-21 10:11
懐かしい建物は日生ケアビレッジと書いてあった。
ここは日生が運営する複合施設。
1984年(株)日本生科学研究所として設立、日生薬局を展開、介護、保育、食品にも進出、発展、2014年にURと共同でこの施設を開設した。

1.日生オアシスひばりが丘:サービス付き高齢者住宅。団地の旧94号棟をそのまま使用。
2.日生グループホーム:認知症が出てきた人が対象
3.小規模多機能ホーム:デイサービス、訪問看護拠点
4.日生薬局:訪問調剤もする
5.てらむらクリニック:内科

以上がゆったりとした敷地に隣り合って配置されている。
駐車場もあるから子供たちが様子を見に来るにも便利だ。
なお、1に住む高齢者は基本的に自立生活できる人たちだが、3に頼めば3食作ってもらえる。
今後どんどん増える老人たち、老人ばかりになる公団住宅に対する新しい実験的、先駆的施設として期待したい。

ちなみに、日生は昨年2019年からミアヘルサに社名変更した。
懐かしい公団の94号棟の裏に回ると階段室の横にエレベーターが増築されており、外見は懐かしくとも中身はバリアフリーとなっている。

11:21
猛暑の中、ひばりが丘駅に戻ってきた。
もう決して光が丘と混同することはない。

複々線の踏切

1924年(大正13)武蔵野鉄道の田無町駅として開業。
この当時、いま田無駅のある西武新宿線はなかった(ともに1927年開業)。
旧田無町の北端から外れた保谷村の当駅が田無駅開業まで田無町への玄関となった。
(一つ池袋寄りの保谷駅は1915年開業)

1959年(昭和34) ひばりが丘団地の造成に併せ、ひばりヶ丘駅に改称。
その後人口増加して市となった保谷と田無は、2001年合併して西東京市となった。

西東京市といわれてもピンとこなかったが、市域の北と南を西武池袋線、新宿線が通り、東は練馬区、南は武蔵野市、西は小金井、小平、東久留米、北は新座と接す。
ずいぶん勉強になった。



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