3月19日、京都に来た。
団体旅行、出張などではなくほぼ初めての私的ふらり旅。
肌寒い中、同志社、御所を見て京都大学に来た。
京都大学は吉田キャンパス、桂キャンパス、宇治キャンパスがある。
メインの吉田キャンパスはさらに
南西部構内(病院、医学部、薬学部)、
西部構内(西部講堂や生協)、
本部構内(時計台、文系学部、工学部など)、
北部構内(農学部、理学部、農場、植物園、グラウンド)
吉田南構内(グラウンド、吉田寮など)に分かれる。
吉田キャンパスははっきりしているだけで1978、2000、2004、2006年の4回来ているが、しっかり構内を見物したのは2006年12月。
16年ぶりのこの日は鴨川から上がって薬学部、西部講堂をみてから本部構内を通り抜け、今出川通りに出た。
百万遍の交差点の手前に生物物理などの書籍で有名な吉岡書店がある。
20年近く前来たことがある。
出版事業もしているから大きい書店かと思ったら、小さな古本屋のような店だった。さすが京都だと思った。二階建てで、実際古本が売っていて、何冊か買った。
吉岡書店には行かず、今出川通りを渡って再び京大に入る(北部構内)。
2022-03-19 14:35
北部構内メインストリート
このあたり両側が理学部。2006年12月にも来ている。
西部講堂のあたりから雨が降ってきた。
馬術部の厩舎
2006年のときは女子学生がバケツを洗っていた。
話しかけたら説明して、「気を付けて」と中を見せてくださった。
当時、馬は15頭、部員15人。一回生と仰った。
旧農学部演習林事務室
いまは農学部全体の同窓会「四明会」の事務局が入っている。
(各学科の同窓会は別にある)
14:50
北部構内、北東の端、京大グラウンド
コロナ、雨ということもあり、グラウンドに人はいなかった。
有名な京大アメフト、ギャングスターズの練習場所である。
80年代京大黄金期の怪物QB東海辰弥(1964-)は高岡高校、農学部である。
NHKドラマになったQB猿木唯資氏(1956-)は関学。
グラウンドから戻ってくる途中、「基礎物理学研究所」
その下の英名は 「Yukawa Institute for Theoretical Physics 」と読める。
14:56 理学部植物園
申し込まないと入れない。
2006年に来たときは、そのまま入れたような気がする。
15:00
後二条天皇、北白川陵
ともに今出川通りに面した農学部表門と北部構内入り口の間にある。
ここだけ京大でないのは、冷泉邸を同志社キャンパスが囲んでいるのと似ている。
北部構内から時計台などのある本部構内に戻る。
15:05
魅力的な校舎も多いが、雨で寒いこと、あまり時間がないこともあり、あまり見ずに時計台に急ぐ。
15:08
時計台の東、地下に生協食堂がある。
1978年3月、武田、藤沢薬品見学の帰り、高校の同級生、武内豊(京大)、岸田孝三(阪大)と会った。ここで夕食を食べた気がする。
ビルは建て替えられているだろうけど。
2006年12月、芝蘭会館でのシンポジウムの前にここで朝食をとった。
時計台の1階は歴史展示室になっている。
2004年2月、ここ時計台記念館講堂で細胞シミレーショシのシンポジウムがあった。
その時の休み時間にも入ったが、当時より展示が充実していた。
こちらは博物館と違って無料。
鉱物標本や剥製よりも、京大の歴史のほうが好きなので、こっちのほうが興味深い。
15:11
京大は大阪で1886年に設立された第三高等学校に始まる。
1889(明治22)年ここ京都吉田に移転。
1897(明治30)年に京都帝国大学が設立された。
ちなみに東大は1877(明治10)年、開成学校と医学校が合併して東京大学となり、1886(明治19年)、帝国大学と改称した。
九州帝国大学は福岡医科大学を中心に1911年設立されたが、この医科大はもともと、京都帝国大学医科大学を1903年、京都医科大学と福岡医科大学に分割したものだった。
京大は桂、宇治を除いても、東大より広い。
すでに江戸時代から町屋に囲まれた大名屋敷に作られた東大と違い、吉田の周辺は田畑が広がる農村だった。
紅もゆるの第三高等学校寄宿舎の再現
江崎玲於奈は東大だが、三高である。
湯川、朝永、江崎と、初期の日本人ノーベル賞はみな一高でなく三高である。
ちなみに湯川朝永は京都一中、三高、京都帝大とも同期卒業、就職も同期、机も同じ部屋だった。
15:18
時計台の時計が花のように見えるのは文字のところに巨大電球が入っているからである。
15:25
時計台の前、正門わきにあるカフェレストラン、カンフォーラ
店名は時計台前にあるクスノキにちなむ。
細胞シミレーションのシンポジウムは3回ほどあり、その懇親会で1,2回ほど、ここに入った。ランチも食べた。
15:26 京大正門
15:31
サークル勧誘の張り紙が風に揺れている。
きちんと張るのは無粋とされるのか、どれも飛んでいきそうで、重なっていたりもする。
ジャンルごとに分けるなりすれば見やすいかと思うが、これは周知することより芸術作品なのではなかろうか、と思ってきた。
西部講堂、吉田寮とともに、京大の魅力である。
15:36
今回の旅行でぜひ見たかったものの一つ、吉田寮に裏から向かう。
正面玄関
2004年2月のシンポジウムの懇親会の後だろうか、夜、酔っぱらって岡崎のトラベラーズインまで歩いて帰ろうとした。吉田南構内を突っ切るつもりが、南の端はテニスコートとフェンスで近衛通りに出られなかった。
仕方がないから東大路通に出ようと西に向かう。
しかし真っ暗、草ぼうぼうで通路がない。
吉田寮の東の裏口が開いていたので、駒場寮のつもりで、廊下を通り抜けさせてもらった。床は木である。
ところが西の出口に近づいたら、玄関ホールの板の間にコタツが広げてあり、テレビがついていた。人がいたかどうか記憶にないのだが、靴を履いていたため、布団を踏まないようにして慌てて逃げるように寮から出た。
15:37
驚くことに18年前とおなじくコタツがありテレビがついていた。
誰もいなかったので写真を撮らせてもらったが、直後にコンビニから帰ってこられた学生が二人入っていった。
京大の懐の深さがよくわかる建物である。
ただし、すでに18年前はもう少しきれいだった気がする。
不法占拠という大学との争いに疲れたのかな。
(続く)
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