2019年3月17日日曜日

関ヶ原3 電柱飾りと廃校小学校

関ヶ原を歩いていて驚いたのは、電柱まで合戦の案内をしていること。
提供の生駒電機は地元の会社らしい。
生駒一正と関係あってもなくても面白い。


 一体何本あるのだろう?
雨が降ってきた。
東に行くと、細川忠興、黒田長政らの重要な陣地があるが、天候を考えて割愛。
三成の陣跡だけでもみたいと急いで西北へ進む。
遠くに幟のようなものがはためいているが、雨が横から降ってきた。
傘を出しても風が強くてさせない。

関ヶ原は東西に中山道が走るだけでなく、北西から北国街道がきて、南西から伊勢街道が来る。それらが風の通り道にもなっているようだ。
笹尾山の南、北国街道の方角から来る風は冷たく、眼鏡をしていても目が痛い。涙が止まらず、目を開けていられない。

田んぼの石垣が古くからの農地を思わせる。
手がかじかんでスマホのシャッターがうまく押せない。

地図を見る余裕なくも、幟を頼りにたどり着いたら決戦地の碑があった。
開戦地ならわかるが、決戦地というのは何だろう。
近くの三成がすべて諦めた戦闘だったということか?


右下の曇りはレンズの水滴?

見通しがいいから幟を目指していけば誰かの陣になる。
狭いところに15万、何十人もの武将が集まったのだから、旧跡の密度が濃い。

着いてみたら三成の陣、笹尾山だった。
雨は上がったが寒い。
近くに何かある。
遠くから見たとき、幟がいっぱい並んだガソリンスタンドのようであったが、笹尾山交流館という。

どうも廃校小学校のようだ。
トイレを借りたかったので入った。
無料の施設で、ここもいろいろ展示している。


訪問者の一言メッセージ

もとの教室に、鎧や、五月人形のようなものまで飾ってあった。
弓を持った兵のマネキン模型が後ろにいてドキッとした。

左のテーブルは関ヶ原の地図の上に駒が置いてあり、武将が床几に座って将棋をするように、駒を動かして合戦することもできる。

トイレは小学生のものではなく、男女兼用の職員便所のものだろう。
立ったら「とっ、殿、一歩前へ」という紙が貼ってあった。

新しい資料館もでき、新しい展示物を作って古くなったものなど、こちらに回すのだろうか。

更衣室というものがあった。
更衣室女性

ここの目玉、というか施設の中心サービスは、鎧着用体験。
そのまま鎧を着たら現代の服がみえて様にならないし、かといって裸で着るわけにいかない。作務衣をきてもらって、そのうえに鎧をつけるらしいが、そのための更衣室のようだ。
鎧を付けた後、手にもつ小道具もいろいろ揃っている。

値段表があった。

スペシャル甲冑3800円。
平日ということもあり客はおらず、ひとり店番のおばさんは針仕事のように子供用鎧の修理をしていた。
小学校らしく図書室もある。
蔵書は司馬遼太郎とか、戦国時代のコミック。
役場の男性職員であろうか。聞くと、もとは関ヶ原北小学校であったが、2009年に南小学校と統合され廃校になったという。

「こどもは ここでは あそばない」
って、ここは元小学校なんだが。

雨も上がり再び三成の陣地に行く。



このあたりで三成の家臣、島左近(今は島清興?)が大軍を食い止めた。
三成本陣はもっと後ろの上の方だったのだが登らず。

笹尾山、石田三成の陣からは戦場が一望でき、なるほど西軍有利な陣形だった。

たんぽぽと野蒜があった。

田んぼの害獣除けのフェンスも、三成の陣を見た後では竹矢来か馬防柵にみえた。


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