2019年3月23日土曜日

大阪2 久しぶりの梅田、加島

先日、戸田の田辺に行って懐かしかった。
そこで大阪に来たついでに加島に行ってみることにした。
1981年入社して2か月工場実習をしたところ。
今回寄らなければ一生行かないだろう。

昔はなかった地下鉄ができていて、海老江から2駅なので、学会の合間に行ってみる。

グランキューブ近く、途中で見つけた家。
植木鉢は手入れされているので住んでいらっしゃると思う。

東西線海老江駅

「海老江」という地名は以前調べたことがある。
江戸から明治になっても武田、塩野義、田辺、小野など関西の有力薬業家は、依然として漢薬、洋薬の輸入問屋であった。しかしこれからは製薬も大事だということで、明治32年、共同で大阪製薬をつくった。その後、東京で経営難になった半官半民の国策会社、大日本製薬を買収、技術者や什器だけでなく会社名まで継承した。

その新生・大日本製薬の新工場が海老江だった。
開所式は土手に菜の花が咲き乱れ雲雀がさえずる中、長与専斎、長井長義ら東京からも多くの来賓が呼ばれた。(→別ブログ
そののどかな田園風景は、このホームでも、また地上でも全く想像できない。

さて、加島駅に着いた。
開業1997年というから、入社後16年。
この駅から加島事業所に行ったのは2,3度しかない。
それまでは梅田からバスだった。
田辺製薬 加島事業所
初めて来たのは入社前、1980年10月31日から11月4日の入社試験だった。
当時、就職試験は形式にすぎず、どこの大学でもすでに教授と会社で話がついていれば決まりだった。試験と言って集められたのは、会社が学生を拘束し、二股かけられて逃げられることを防止するため。

全国から集まった入社予定者は、十三から1駅のホテルミツフに泊められ、加島に通った。試験は漢字テスト(「横断歩道」を書くくらい)、工場長と個人面接、あと健康診断などで、一日で終わりそうなものを4日間かける。1日は院卒全員一緒だが本社で社長面談もあった。

空いている時間は、ここの食堂で日本シリーズをみたり(近鉄広島で江夏が投げていた)、全く1日空いていた日は、本社の帰りに梅田でピアを立ち読みしてきて石毛や石原と神戸女学院の学園祭に行ったりした。

その後入社してから、ここで二か月工場研修があった。
私は製薬部のホパテ合成を手伝った。20キロの紙袋に入った原料を反応釜に入れたり、ドラム缶を転がしたりする。反応が終わり抽出するときは有機溶媒を加え、かくはんする。次いで分離させ下層を釜から釜へ移すときは、真空で引っ張る。だから1階から3階まで駆け上がったり下りたり、走り回ってバルブを開けたり閉じたりする。

仕事が終わるとアリホという汚い飲み屋にいった。
土手焼きというのを初めて食べた。
誰も並ばない阪急バスのターミナルがあったが、ビルになっていた。
前の道路には歩道橋があったような気がする。

二か月過ごした寮は二人部屋。
このあたりにあったはず。
昼食で初めて食べた関西のうどんはうまかった。

中に入って記憶ある工場や研究所、グランド、食堂などをみたかったが、急に行ったから無理。
塀の外から上のほうだけ見た。

国際会議場に戻り、学会聴講。
夕方は梅田まで歩いてみた。
中の島はおしゃれなビルが多い。

梅田駅。阪神デパート側。
ここから加島へのバスが出た。藤沢、武田の研究所の人々も同じバスに乗った。

大阪のエスカレーターは左を空ける。
右か左かはどのように決まったのだろう?

梅田の大阪駅は大屋根ができていた。

昔はホーム間の連絡、南北口連絡は下しかなかったのに、いまは橋上駅舎ができホーム間連絡もできるようになった。

改装は2010-11年ころのようだ。

エスカレータの他に関西で違うと思ったのはホームの待合椅子
関東なら並んで線路を向いているが、こちらはどの駅も向き合っている。
こちらは2席ずつだが、駅によって1席ずつ並んでいるのもある。

大阪らしい所ないかな、と鶴橋駅におりてみた。
 改札出たところがいきなりいい感じ。

焼肉ばかり。

1981年以来、大阪出張があっても、ほとんど町の見物をしなかった。
しかし2013年田辺を退職したあとは来るたびに大阪見物をしている。

日本化学品輸出入協会の講演で3年連続で来たときは
2013年 適塾と道修町
2014年 飛田新地、西成地区、四天王寺
2015年 大阪城、古市古墳群

しかし今回2019年は、行きたいところが思いつかず、出かけていない。

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