2019年3月26日火曜日

東大第二工学部と千葉大

東大第二工学部というのは、戦時中の軍事技術者養成のため、急きょ千葉に作られた東大の工学部。

1941年1月 、内閣直属の企画院で第二工学部設置が可決。
東大の定員を増やし、本郷と学力が均等になるよう学生を二分し、42年に開校した。
教職員441人、学生定員420人。

戦後、51年まで各学科は順次閉鎖、3月閉学、54年最後の学生が卒業した。
卒業生は2562人。

第二工学部は東大生産技術研究所となり、
1962年 六本木(旧歩兵第三連隊)に移転。(→別ブログ)
跡地は千葉大となったが、一部区画には生研千葉実験所が残った。

当時の建物が残っていることを知り、訪ねてみようと思った。

3月22日、薬学会ポスター発表の後、海浜幕張駅に急ぐ。

京葉線で曽我まで行って戻る途中、本千葉駅近くで亥鼻城がみえた。
1987年3月末だったか、初めて行った薬理学会の帰りに、この模擬天守(郷土博物館)に寄ったことがある。桜がきれいだった。

 西千葉駅到着。
夕闇が迫っているので急ぐ。
やはり閉まっていた。
生産技術研究所は2017年4月、柏の葉キャンパスに移転している。
フェンス越しに桜の老木並木が見えた。

グーグルストリートビューでは、裏の東大教職員宿舎の敷地に入れそうだったので、回ってみた。もし宿舎と大学の間にフェンスがあっても、ひょっとしたら近くから旧校舎を見られるのではないかと期待したが、ここも閉鎖されていた。
しかし、入居者はどこに行かれたのだろう?
ここもダメ。
それにしても戸数が多い。
かつて製剤学の花野学先生が住んでいらした。

そうだ、隣接する千葉大からフェンス越しに見えるかもしれない。
と、西千葉駅前まで戻る。
この日は卒業式だったらしく、正装した学生たちとすれ違う。
1979年から81年にかけて薬学部に二、三回来たことがある。

ほかに1980年4月フジキヨに呼ばれて新入生歓迎バスハイクに来た。
長尾研時代の1989年6月、薬理学会関東部会でも入ったかもしれない(記憶なし)。

まっすぐ進むと、右に旧第二工学部の敷地が見えた。
現存する建物は木造、ペパーミントグリーンのペンキが塗ってあるので、見つけやすい。林の中に一部だけでも確認できた。この写真でもかすかに見える。

しかし千葉大は広い。
第二工学部の規模が分かる。
戦時中だったから畑も作っていたらしい。
薬学部の区域に来た。
薬学部は亥鼻地区に移転、医学部、看護学部と一緒にキャンパスを作り、元の建物は他の学部が入っている。
その一つに入ってみた。
高いところなら見えるかもしれない。
最上階6階までエレベーターで行き、さらに階段を上って屋上に行こうとしたが鍵が掛かっていた。
それでもガラス越しに、その戦前旧校舎が小さく見えた。
 5階まで降りると、外に出る扉に鍵がかかっていなかった。
見えた。

千葉大薬学部は、百周年記念館を建てたのに、移転してしまった。
6年制となり薬剤師教育の重視だろうか。
理学部や工学部と一緒のほうが良かったと思うが。

 それにしても千葉大薬学部は広い。何棟あるのだろう?
この薬学部講堂は見覚えがある。今は楓ホールというらしい。

学生時代、千葉大に来たのは教授同士が仲良しで毎年研究室対抗で野球をしたからである。すぐ近くの検見川グラウンドで試合をして、千葉大薬学部のどこかの会議室で宴会だった。

当時はカラオケがなく(スナックにはあったが)、千葉大側の人がアコースティックギターで「さだまさし・天まで届け」を歌ったことを覚えている(高山廣光先生ではなかったか?)。
こちらは木内さんもギターを抱え、藤井さんと一緒にハモった。
私も若く、はしゃいで歌ったけど、書くのも恥ずかしい。

駐輪禁止の看板が薬学部のまま。
今は学際研究棟だったか、工学部の環境関連だったか、しっかり見てこなかった。

薬学部百周年記念館。
「教育環境整備グループ西千葉チーム」という表札(?)が窓に貼ってあった。

明治19年、全国に国立の高等中学が5つ作られた。
のちの旧制高等学校である。
それぞれは東京にあった帝大の予科でもあったが、同時に専門教育を行う学部も持っていて、第一高等中学は、本部が本郷、医学部が千葉亥鼻にあった。医学部には付属の薬学科があり、設立の明治23年(1890)から数えて100年ということである。
→別ブログ

この裏に行けば、第二工学部が見られるのではないか?
と林に踏み入れたら
茹でればおいしいコゴミの群落。
まさかこんなところで見られるとは。

 コゴミを踏まないように、そっとフェンスに近づき、柵ごしにスマホを出して旧校舎を写す。
主のなくなった建物はすぐに朽ち果てる。

それにしてもこの広大な敷地はどうするのだろう?
以前は国有財産だったから、民主党の仕分けみたいなものがあればマンション用地になってしまうだろうが、独立行政法人になると大学のものなのだろうか?

そういえば先週薬理学会で若森さんから聞いた話だと、最近2017年、東北大の農学部が市街の一等地から青葉山キャンパスに移転した時、大学が旧敷地をマンション用地として売ってしまったそうである。
しかしそこは、地元の酒造家が農学の発展のために寄付したもので、移転するならその篤志家に感謝を込めて返還するべきではないか、と二人で憤慨したところだった。

このあたりの大木は戦前からあったものだろう。

歩いているうちに標識があり、ここが薬学部の付属植物園であることが推察された。
立ってみていると、きょう卒業式だったと思われる美男美女のカップルが、すれ違って林のほうに消えていった。

薬用植物の畑だろうか。
水道など設備も充実している。
これをみると野菜を植えたくなってしまう。
給料いらないから私を雇ってくれないかな、と思った。

まあ少しでも見れて満足して帰ろうと思ったら目の前にビルがあった。
工学系総合研究棟2
最上階の9階に上がってみる。
東側の外に出るドアは鍵がかかっていた。
 それでも格子の合間にペパーミントグリーンが見えた。
西側の眺め。
駅から近くて広い。
入試の合格発表も終わり、新入生はいちばん嬉しい時期だろう。

階段を一つ降りて8階へ


薬学部方向
 7階に降りてみる。
ペパーミントグリーンの建物の左に灰色の板造りの校舎が見える。

このあと6階に降りたが、より良くは見えなかった。

だんだん暗くなってきて帰ろうかと思ったが、また高いビルが目に入った。
自然科学系総合研究棟2
入ってみる。
中が屋根付き吹き抜けになっていて、東大の理学部1号館に似ている。

各エリアは関係者以外立ち入り禁止とある。
ドアが空いたらいきなり実験室で一斉に見られ誰何されたらどうしよう。

最上階10階にあがるも外へのドアは鍵がかかっている。

9階に降りると学生控室みたいなコーナーがあり、そこの窓から覗くと一番よく見えた。

東大第二工学部は、本郷の第一と入学した時の学力がまったく同じであったから、大学教育の実験をしたとみなすこともできる。

急造の学部であったから、校舎はバラック、本郷と比べて不自由な環境で講義、実習が行われたが、権威者不在の自由な雰囲気であったことだろう。
若手教員が多く、寄宿舎で生活したので強い仲間意識も生まれた。
不足と無秩序がフロンティア精神を生み、80年代の製造業の社長は、本郷の第一より千葉の第二出身のものが多かったという。

本郷が従来通り、官界、学会に進出したのに比べ、戦後の実業界に進出したものが多かったのが理由のひとつかもしれないが、我が国の工業の復興、発展に大いに貢献したのは間違いない。
来る前は面倒だったが、やはりきて良かった。
千葉大は40年前と比べて、木々が成長し、建物が増えていた。


第二工学部は、現地では小さくとも見えていたのだが、今写真だとよく分からないので、Google view 3Dを乗せておく。
左上に二棟、昔の建物がある。
また、ちょうど下に薬学部百周年記念館、右に私が上がった工学部、理学部のビルがある。いつかこの絵も貴重なものになるかもしれない。

反対の南側から
やはり瓦屋根、板張りの大学っていいなぁ

ところで、2016年12月に開始、ブログもこれが500本目となった。
記念すべき号として何か書けばよかったが、今気が付いた。


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