2019年3月21日木曜日

関ケ原5 東山道の関所跡

大谷吉継の陣跡の下は急斜面。
しっかり丸木で作られた階段をおりると神社の脇に出た。

若宮八幡神社

関ヶ原の神社はなぜこんなに美しいのだろう。
相変わらず誰もいない。
今まで歩いたところは、ほとんど変な商業看板もなく、そのまま時代劇のロケに使えそう。

神社から旧中山道までの細い参道(たぶんかつての境内)を、東海道本線が横断している。
踏切などめったにわたることはないから、写真を撮るときも後ろから電車が来るんじゃないかと少しどきどきする。


踏切からみた民家は瓦葺、板塀が多く、経済性より美観を重視してくれている。

旧中山道。西方を望む。

この旧道沿いのにも例の電柱看板がある。湯浅五助があった。
大谷吉嗣の家臣で、吉嗣が「醜く崩れた顔を敵にさらさぬように」との命令で、首を埋めているところ、藤堂軍に発見された。
「自分の首を差し出すので、この場所は秘してほしい」といい、藤堂高刑は彼の首を取った。高刑は、帰陣後、吉嗣の墓をいうように詰められたが、湯浅五助との約束で口を割らなかった。

なお、吉嗣の墓は藤堂家が建立した。いい話だ。

島津の紋。
この町は消火用具の箱にも合戦参加大名の紋を描いている。

フキノトウ。
長野より早いが、千駄木と同じくらいか。
関東では道端にあったら誰かが持って行ってしまうだろう。ここはそれだけ山の中ということか。

旧中山道を東に進む

藤古(ふじこ)川を渡って西を振り返る。

672年、壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)と大海人皇子(天武天皇)がこの川をはさんで対峙した。交通の要衝だからいつの時代も重要な場所だった。

中山道の呼称は江戸時代からだから東山道と呼ぶべきか。

店じまいした市場の通りみたい。

川の両側に板が立っていて、風よけでもないし、のぞくとガードレールを補修していた。
ペンキ塗りたてを守っているのかと、触ってみても乾いている。作業用足場にしては、大げさすぎる。杉林のテープといい、関ヶ原は謎が多い。
渡りきると戸佐々神明神社
非常に小さい社。

神社の裏、この下は川。


これは民家だろうか。大きな家屋と門柱は旅館のようにもみえる。
右は 大木戸唯道名址
左は 鶏鳴不破風月〇?

坂を上がると、不破関守址とある。
この大きな家は民家なのか公共施設なのか分からず、近づくと三輪という表札があった。

三輪家のお庭が公開されているようだ。
不破の関は壬申の乱後に設けられたが、100年後の789年に廃された。
説明版によれば、そのあと関守が置かれたようだ。
三輪家は関守の末裔らしい。

不破関址
奈良時代というより江戸時代のものに見えてしまうが。
なお江戸時代の中山道の関所は碓井、信濃国贄川、木曽福島の三か所に置かれた。

なおも東へ進むと、
東軍の先鋒、福島正則陣跡

西軍は、周囲の高地あるいは山に近い神社などに陣取った。これに対し東軍は街道をまっすぐ西に進んでいるから、陣が町中にある。

ようやく人に会った。
この網は「サル除けですかね? 鹿ですかね?」と一輪車を押してきた老人に聞くと、少しぽかんとされたあと、「イノシシもいるし・・・なんでもいる。
・・・・ハクビシンもいる・・・・飼い猫もいる」
とおっしゃった。
獣害は昔より増えたそうだ。

今思うと、関ヶ原駅の案内所を出てから、ほとんど人に会わなかった。
東首塚の木を切っていた業者、歴史散策の老いた男性ひとり、笹尾山交流館の職員二人、草を刈っていた農民、歩いていた農民一人ずつ、郵便屋さんしか会っていない気がする。

梅林が多い

中学生が大きな声で「こんにちは~」とあいさつしてくれた。
このあとすれ違ったグループにはこちらから大きな声をかけると嬉しそうに返してくれた。

中学校があった。
左の消火用具箱の「本」は徳川四天王の本多忠勝、忠政親子であろう。

同族別家で家康の参謀格であった本多正信は、秀忠軍とともに上田で真田に妨害され、関ヶ原に間に合わなかった。

中学校の敷地内に京極高知・藤堂高虎陣跡
家にある本の写真を見ると、昔は周りにもっと木があった。
東軍の陣跡は町中だから開発され、雰囲気はどうしても保存されない。

国道21号沿いの西首塚。
すぐ裏を流れる川は、小西行長の陣横を流れていた川である。

 幟が3本
奥は黒田長政、真ん中が葵の御紋、手前の幟はどさくさまぎれ?の「ふとんの打ち直し」

ここでスマホの電池が切れた。
スイッチ押しても反応なし。
時計をもっていないので時間も分からなくなってしまった。

風が出てきて、幾たび目かの天気急変。
雪が降ってきて吹雪となる。

もう駅が近いので余裕がある。
地図を片手に近くの本多忠勝陣跡へ。

新幹線が目の前を通るところを東に入る。
狭い私道のような道のおく、集会所の脇を通って民家の裏に陣跡の石柱があった。

(写真なし)

通りに戻ると、また新幹線が通った。

「関が原、いつか行ってみようかな」と車窓から見ている人もいるだろう。
しかし大部分の人は途中下車せずに目的地まで急ぎ、何回も往復し、そのまま一生を終える。

降りて見たからと言ってどういうことはないのだが、
来て良かった。


0 件のコメント:

コメントを投稿