2017年1月14日土曜日

有明の月(2) 鉄道唱歌と奥の細道

有明の月で真っ先に連想するのは鉄道唱歌。
何年か前、愛宕山に初めて上ってから口ずさむようになった。
名曲だと思う。

  汽笛一声新橋を
  はや我汽車は離れたり
  愛宕の山に入り残る
  月を旅路の友として

 ところが、4年前に千駄木に越して、上野谷中が身近になってから、有明の月というと奥の細道も浮かぶようになった。

  弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、
  月はありあけにて光おさまれるものから、富士の嶺かすかに見えて、
  上野・谷中の花の梢、またいつかはと心ぼそし。
  むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。
  千住といふ所にて舟をあがれば、前途三千里の思い胸にふさがりて、
  幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
     行く春や 鳥啼き魚の 目は泪

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」で始まる序文は高校の時習った記憶がある。しかし、このすぐ後に続く、上野谷中が出てくる道中初日の文の記憶がない。教科書に載っていなかったのか、当時上野谷中に関係なかったから頭に残らなかったのか・・でも千住の句は古い記憶にある。

いずれにしろ、昔の旅立ちに有明の月は舞台装置のように使われている。
今は月を見ることがない。
都会では見えないし、田舎では車の運転に余裕がない。


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