在松山 村田康太郎
薬学雑誌 201号1069頁(1898)
当時の論文は、みな書き出しが格調高い。
社会で習った北関東甲信だけでなく愛媛も養蚕が盛んだったようだ。卵紙というのは、カイコ蛾の卵が産み付けられた紙で、農家は業者から買った。
斯くの如く隆盛なる製糸場より出すサナギ(繭を蒸殺し水中に煮沸し生糸を採繰し了りたる後,残留する蛹虫の死せるもの)の量も亦非常の多額に及ぶといえども当業者は其の利用の法を知らず.徒に無用の長物として否桑田の肥料として低廉の値を以って之を売却せり・・・・
えっ?私が子供のころ食べていたものを愛媛は明治31年でも捨てていたのか。
長野では、戦後養蚕が減り続け、最後の桑畑がリンゴやブドウ畑になる昭和40年頃まで、これを砂糖と醤油で煮てどんぶりに盛り,漬物と共に10時半と3時のお茶に出ていた。ドキョと呼んだ、あのグロテスクな姿と独特の味は50年以上たっても忘れられない。当時、我が家ではドキョの他に、ハチの子や、薪を割って出てくる芋虫も、鉄なべで炒って食べた。飢えていたわけではなく、別に食べなくてもいいのだが、珍味として喜ばれた。
佐久の方では鯉のえさにしていらしいが、いまでも高速道路のPAなどで売っている。
さて、さなぎの有効利用法として目的製品の黄色血磠(滷、ロ)塩とは、黄血カリ、K4[Fe(CN)6], potassium ferrocyanideのこと。
当時、死肉乾血毛皮蹄角などの動物性廃棄物を、溶融せる炭酸カリに加え,得られる蔵化加里に鉄クズなどを加えてつくっていた。
本論文は、製造収率と,費用や製品の窒素含有率を分析し,蚕のさなぎを他の原料の場合と比較している.柔らかい蛹は特に操作の簡便さ,燃料の節減において優れており最も有望であると主張している。
黄色血磠塩は、KCNや顔料プルシアンブルーFe3+4[Fe2+(CN)6]3の製造原料だった。
黄血カリは今NaCNから作るから、原料と製品の立場が逆になっている。
当時の薬学雑誌は殖産興業に貢献する薬学者の記事が多い.
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