そのあとは鏡の前でひとり練習。
鏡の中でちらちら相手の様子をみるが、こちらからは歩み寄らなかった。
そもそも、二人で組んで動くというのは本来不自由なものである。それなのに美しく見せるためには、昔から多くの、頭が良く、運動神経の良い人が考え抜いた方法を、繰り返し練習して、習得しなくてはならない。だから平凡な中高年が始めても上手く行くわけがない。
ワルツのナチュラルターン、男性カウント1で右足出す時に左ボディを前にストレッチする。
このとき彼女は
「こちらが後退する左足に体重乗る前に、男がストレッチすると押される」と文句を言った。私としては
「普段歩くときは、右足出すとき、右に体重のる前に左手が出るように、体重のる前に左半身が出たほうが自然ではないか?こちらが早いというより、そちらの後退が遅いからではないか」と。
珍しく反論したら彼女がその後一切話さなくなってしまった。
毎回のような喧嘩の理由はさまざま。
要するに私が一方的に機嫌を損ね、ついで彼女が黙るのだが、その原因は
1.一番多いのは、私の指摘を受け入れる前に、別の問題を持ち出されたとき。
例えば、こちらが「音に遅れている」と指摘したときに、
「わかった。でもそちらのコネクションの手が堅すぎる」と、いわれると私はむっとする。向こうも言いたくて我慢していたのかもしれないが。
「わかった。でもそちらのコネクションの手が堅すぎる」と、いわれると私はむっとする。向こうも言いたくて我慢していたのかもしれないが。
2. どちらが悪いか分からないのに文句を言われるとき。
例えば、女性の動きが遅いから、強くリードすると、強引過ぎると文句を言われる。
3. ここが悪いと指摘されることが、自分の考えでは理屈に合わないと思い、納得できないとき。私が理詰めで反論すると彼女も自説を主張し、気まずくなる。
4。機嫌が悪くなると些細なことが気になる。
例えば、こちらが組んで踊りたくても、彼女がよそ見して(他人の動きを見学して)考えているとき。これは私が気が短い話というだけだが、さあやろうという気持ちが一致しないと面白くない。
喧嘩せずに練習できる日は、2割くらいだろうか。ほぼ毎回喧嘩する。
途中で相手が帰ってしまうこともあった。相手の悪いところを指摘しあうわけだから面白くないのは当たり前か。
冷静に考えたら、喧嘩している暇があったら練習した方がいいに決まっている。お金をかけ時間をやりくりして、二人の動きを合わせているわけで、それを無駄にしてしまう。
たいてい彼女の指摘は当たっていて、私の動きが良くなるように考えてアドバイスしてくれているのである。私が正しく動かないと彼女も動けない。
喧嘩せずに練習できる日は、2割くらいだろうか。ほぼ毎回喧嘩する。
途中で相手が帰ってしまうこともあった。相手の悪いところを指摘しあうわけだから面白くないのは当たり前か。
冷静に考えたら、喧嘩している暇があったら練習した方がいいに決まっている。お金をかけ時間をやりくりして、二人の動きを合わせているわけで、それを無駄にしてしまう。
たいてい彼女の指摘は当たっていて、私の動きが良くなるように考えてアドバイスしてくれているのである。私が正しく動かないと彼女も動けない。
また彼女は遠くからわざわざ私の最寄り駅の練習場まで来て、終わったら満員電車で帰っていく。それを考えると申し訳ない気持ちになり、感謝しなくてはいけないのに、フロアではすっかり忘れて喧嘩してしまう。
60過ぎても子供の様に、些細なことで不機嫌になる。
人間はいくつになっても理屈よりも感情の方が優先される。
(むしろ年とともに強まるかも)
きょうは別々に帰ることはなかったが、駅まで一言も話さなかった。
土日月と三日休むから回復していれば良いのだが。
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