2017年1月21日土曜日

冬の軽井沢は何もない

この寒い中、研修で職場の保養所にやってきた。
軽井沢駅から国道18号を西に向かう。
長野には年に3回、父の病気のときは毎月帰っていたが、新幹線にしろ、高速道路にしろ素通りばかりで、軽井沢は30年以上前かも。冬は始めて。

中軽井沢駅前の信号を右折。
現在軽井沢町となった浅間根腰の三宿(軽井沢、沓掛、追分)の真ん中だから沓掛駅が中軽井沢になった。いかにも観光客目当ての改名であり、これは私の生まれた1956年のこと。祖父母、親たちはずっと沓掛と言っていた。

保養所は千ヶ滝西地区。地図を見ると道が碁盤のようになっている。
1915年、堤康次郎が卒業したばかりの早大の学生服姿で村に乗り込み、1918年にかけて80万坪の斜面を取得、別荘地の開発に乗り出した。1928年朝香宮の別荘がたち、戦後の1948年国土計画がこれを取得、プリンスホテルとし、1950年から毎年皇太子時代の陛下が滞在したというが、64年以降皇室専用となるも、1994年閉鎖された。

ロビーに地元の自治会が編集発行した冊子「千ヶ滝西地区のあゆみ」(2014)が置いてあった。それによれば、現在千ヶ滝西地区は住民115軒、別荘1600件という。住民も古くからいる人は10軒程度、大部分は店舗経営者など越してきて20年未満、別荘も新しい人が多いらしい。それでも100年近い歴史をもつから、冊子に寄せられた思い出話には、作家など有名人とのエピソードが多くあった。
もともと人のいなかったところだから、浅間山麓に多い道祖神もほとんどない。

朝、凍てつく中を歩いたが、ほとんど景色は変わらず、人もおらず、冬の軽井沢はただの冬の林であった。大きな門、建物をみても表札から持ち主を想像する余裕もなかった。

帰り、高速道路から妙義の山の向こうに、明るい大地が広がっていた。
75年3月、受験で上京した時、白と黒の世界から碓氷峠のトンネルをすぎて関東に出たら、地面が乾いていて驚いたことを思い出す。



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