2017年1月7日土曜日

第97 「私立薬学校」下谷から上野桜木に移転

97話 
薬学雑誌1898年度p181-182

東京薬科大のことである。若いころ1977年から81年まで谷中真島町に住んでいたとき,上野に向かって大行寺と一乗寺の間から言問通りに出ると,交差点の左手向こうに学校らしき建物があった.今は大きなマンションがある.

かつてここに東京薬科大女子部があった.
1976年同大が八王子に移転した後,日本医大が建物ごと取得し,日本医大看護専門学校となったが,1999年12月に取り壊され,2002年3月ルネ上野桜木が竣工した.デニーズで食事するとあのあたりには大きすぎる建物が正面に見える。最近長野駅、浅草観光案内所など見たから、隈研吾設計と言われると納得する。

さて、明治の薬学雑誌に戻る。
その東京薬科大八王子移転の78年前,今から119年前の記事である.

「昨夏以来,上野公園内桜木町に佳境を相して校舎新築中なりしに全く落成したるに付き1月29日開校式の盛典を挙行せり.午後1時より来賓講師卒業生在校生六百数十余名式場に参列し,下山(順一郎)校長開式の辞ならびに新築趣意の演説,丹波(敬三)監督は新築方法経費報告,(略)」

飯盛挺造教頭が祝文披露.来賓演説は,石黒忠悳軍医総監,帝大総長外山正一,医大教授三宅秀(初代医科大学長),東京衛試所長の田原良純薬博など豪華というか,1私学校の引越しではなく,まるで国家行事のようである.唯一の大学であった東大では薬剤師教育がなされなかったため,本学に対する期待の大きさがうかがえる.

「余興には音楽隊奏楽および能狂言あり.構内,万国国旗は高く天空に翻りて風船は時々翩翩として空中に登り大いに衆目を引けり.来賓一同には洋食の饗宴ありて式全く終わり解散せしは点燈の頃なりしという」

明治13年に東京薬舗学校として創立された本校は,東京薬学校(明16),私立薬学校(明21),再び東京薬学校(明33),東京薬学専門学校(大6)と名を変えた.1928年(昭 3) 豊多摩郡淀橋町に校舎を新築移転,翌年上野桜木の旧校舎に上野女子薬学校(のち東京薬専女子部)を設立する.

 goo地図(明治40年)を見ると言問通りがない.しかし,しっかりと東京薬学校はある.そのすぐ東隣に大きく書いてある丸茂病院は樋口一葉の従兄が入院した病院であるが(一葉日記,明治27年3月),その後濱野医院となり戦後まで続き、今は藤本クリニックと中銀上野パークマンションになっている。

0 件のコメント:

コメントを投稿