2017年4月14日金曜日

第48 遥かなるウラジオストク

薬学昔むかし
薬学雑誌 1907年度 721頁 から

 明治時代は今よりずっと国際的で、薬学会会員は駐在する海外から地区通信を送っていた。1895(明治28)年以来日本領となった台北、高雄、台南、基隆、澎湖島からは当然記事が届いたし、日本人のいた海南島、威海衛、釜山、京城、平壌通信も誌面をにぎわした。旅順通信とか上海通信とかが、神戸通信と福岡通信の間にあったりする。他に広東、大連、遼陽、奉天通信などが目に付く。まさに「坂の上の雲」の世界が薬学雑誌にも反映されていた。

当然、ロシア、浦潮斯徳通信というのもある。ここは1860年に露領となり、シベリアを控えた大通商港だった。1901年から有税港となり、外国船の入港は減るが、日露戦争後は再び自由港として栄える。湾岸埠頭の完成、鉄道整備に加え、砕氷船の活躍で冬季も船舶自由に通行できた。

グーグルアースのおかげで今は港内の様子がよくわかる。大きな湾二つの中に多数の入り江があり、ロシアが欲しがった理由がよくわかる。
たまには地図をさかさまにしてみると良い。

ウラジオは新潟秋田から見ればすぐ対岸にあって九州よりずっと近い。当時は地理的距離と社会距離がそれほどずれていない、まさに「日本」海の時代だった。この明治40年薬誌記事によれば、市の総人口は8万で、うち在留日本人が4千人(男2500人)。わが邦人の主な職業は商業、大工、時計職、写真師、裁縫、理髪、洗濯、席貸など。

医薬状況も書いている。ロシア人医師は、内科婦人科がアカパトフ氏他5名、神経・耳鼻科・梅毒科・外科がベルレル氏他5名、以下、按摩科4人、産婆コゼウニコワ嬢他5名、獣医6人、歯科4人、薬剤師はケウレル氏他5名。

薬誌通信員、三島愛之助はケウレル薬局の薬品を調べた。ほとんどドイツ製で品質精良という。薄荷脳10留、硼酸40哥、吐根9留20哥、沃度加里870哥、重曹15哥、安知必林10留など。留はルーブル、哥はカペイカだが分量を示さずに値段だけ書いても分かるのだろうか。

「一時騒がしかりし本邦医師開業禁止の件は、沿海州医務監督官より、従来当州にて開業し居りたる日本医師は今後特別の命令あるまで従前の通り営業継続を得る旨通知あり。これにて一先づ落着せり」で記事は終わる。
これを書いたのは2010年3月。あれから7年、日韓関係は悪化し、北朝鮮は核ミサイルを完成させた。外交関係は悪化してはいるものの、想像しなかったことが数年後に起こっていることを考えると、環日本海時代も来るかもしれない。


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