2017年11月20日月曜日

松代2・象山神社と恩田重信生家

象山地下壕を出て、川沿いに北へ向かう。
松代は緩やかな北向き斜面で川はすべて北の千曲川に向かう。
象山の中腹にたつ淡島神社

2,3分下ると山寺常山邸。幕末の兵学者、教育者。
佐久間象山、鎌原桐山(儒者・象山の師匠)とともに松代三山と呼ばれた。

このあたり代官町。武家屋敷が多い。
ようやく観光客が出てきた。
川には鯉がいる。

そのまま少し下ると象山神社。
ぞうざんと入れても変換されず、しょうざんと入れると象山となる。
えっ、と思って聞くとしょうざんと思っている人が多い。
でも長野県人はゾウザンである。

「信濃の国」の5番

旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆此国の人にして 文武の誉たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず

みんな、「ゾウザン、サークマ先生も~」と歌う。

佐久間象山は幕末維新の活動家に大きな影響を与えた思想家である。
有史以来、一番全国的に有名になった信州人ではなかろうか。
その造山神社(ええい、変換が面倒だ!)に行った。
乗馬像がある。
まだ新しい。NHK真田丸に合わせて作ったのだろうか(建造年を確認せず)

ここに寄ったのは、50年前小学校の遠足で初めて松代にきたときの記憶が3つしかなく(海津城、文武学校、象山神社)、その1つだからである。

うしろは大本営工事が行われた象山。
佐久間修理はこれを号とした。

50年前の遠足で覚えているのは、先生があの山が象山だと教えてくれたこと。
それだけ。
私も含めておそらく小学生全員、佐久間象山については、信濃の国に歌われていること以外、何も知らなかった。

松代は武家屋敷が多く残っている。
萩は知らぬが、角館などより多いのではなかろうか。
ここは象山神社のすぐ東に隣接する恩田邸。
塀はつながっているが門が二つ、中の建物はいずれも国登録有形文化財。南側(手前)は現在も住んでいらっしゃる。この二軒はどういう関係だろう?

北側は門が閉ざされていて、立札がある。
恩田重信、明治薬科大創設者である。
茅ぶきのような母屋の屋根がみえた。

駐車場に戻る途中、また武家屋敷。
井上操生家。
司法省法学校を出て司法省、東大教授を辞めて判事となる。
こちらは関西大学創設者。

法律と言えば、象山神社にあった碑文を書いたのは、松代藩出身の横田秀雄・大審院長。その長男は横田正俊  第4代最高裁判所長官。親子で東大教授とか総理大臣はいるが、親子で司法のトップになったのは珍しい。
観光地図を見ると恩田邸も井上邸も出ていないところが松代の凄さである。
載っているのは、矢沢家、横田家(この家は大審院長や鉄道大臣、『富岡日記』の和田英など多くの俊才を出したことでも有名)、白井家、樋口家、前島家など。
寄ってみたかったが、時間がないので割愛。

松代の地図は今時珍しく南が北である。
駅正面、あるいは城から市街を見ると南に広がっているからか。


0 件のコメント:

コメントを投稿