2017年11月3日金曜日

第83 テトロドトキシンと田原良純

薬学昔むかし フグ毒テトロドトキシンの命名
薬学雑誌 1909年度(明治42年)p587-625

Naチャネルを阻害するテトロドトキシンは、生理学の分野で最も重要な薬理ツールの一つである。かつてはどこの薬理、生理学研究室にもあったが、最近は毒物管理の面倒くささから、ずっと弱いリドカインなどで代用している。

さて、テトロドトキシンの化学的研究には日本の薬学者が深く関わっている。
1964年、名大平田義正、ハーバード大R・ウッドワードらと同時に、独立して構造を発表したのは東大薬の津田恭介であるし、そもそも世界で初めて(不十分ではあったが)精製単離し、テトロドトキシンと命名したのは我が国最初の薬学博士、田原良純(1855- 1935)である。

田原は、薬学雑誌39ページにわたる大論文の第1章で多くの医薬品が天然毒から生まれていることを指摘、植物毒に比べ遅れている動物毒研究の重要さを述べた。そして高峰博士のアドレナリンが、副腎に微量存在する動物毒素を分離して止血薬となった成功例であると続けた。つまりアドレナリンは薬であって毒素であり、フグ毒も医薬になると考えていたようだ。

第2章は「河豚には三種の属あり。曰くTetrodon, Tridon, Diodon是なり。歯の数により之を類別す」で始まり、それまでのフグ毒研究の歴史を辿る。
過去、高橋順太郎、猪子吉人らにより、毒は腐敗産物ではなく生魚中既にあること、煮沸しても変化しないためタンパク質ではないこと、運動神経のほかに延髄の諸中枢を麻痺する点でクラーレと異なること、などが報告されていた(明治22年)。

田原本人は、東京衛生試験所(1881、明治14年入所)において1884(明治17)年ごろからフグの研究を始めた。明治20年所長、ドイツ留学で中断したが、明治27年2月フグ産卵期に再開、酸性物質と思われる毒素を銀塩として単離、河豚酸と命名した。
最少致死量は7mg/kg(ウサギ、皮下注)。また、致死量26-30㎎/kgの第二の毒素を結晶として単離、こちらはテトロドニンと命名した。(薬誌、明治27年p732)

さて、明治42年の本論文は、第3章以降でその後の成果を述べている。
今度はフグ卵巣1400個から出発、河豚酸を得たが、致死量は3-4mg/kg(ウサギ、マウス)であった。このとき酸の性質が極めて弱いことが判明し、名前をテトロドトキシンと改めた。
また第二の毒素テトロドニンは、別の結晶性物質に毒素が付着していた可能性が高いとし、フグ毒はテトロドトキシン一種類と結論した。

現在、テトロドトキシンのマウス皮下注LD50は、8μg/kgと分かっているから、田原の精製物に毒本体は0.2%しかなかった。
残りは彼本人も論じていたように酢酸銀の可能性が高い。
このとき田原は54歳、29歳ころからのライフワークの総括である。

田原良純については別に書く。

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