2017年11月3日金曜日

第85 薬学会年会の参加者数と会場

明治時代、薬学会総会の場所と会員数の変遷――東京と地方
薬学雑誌1903年度p413-430

薬学会は明治14年帝大薬学科の30人で始まった。
その後、地方会員が増え続け、明治23年7月には大阪支会が発足した。
その10年後、明治24年末には10倍に増えた総員402名のうち、在京170、地方232名と逆転し、翌25年1月の第12回総会決議で東京薬学会から日本薬学会と改称した。
以後、会員の爆発的な伸びは主に地方会員の増加によるものであった。

そして明治36年4月、大阪で第23回総会が開かれた。
開催日が1月から4月に変わって最初の総会であったが、初めて東京以外で開かれた会でもある。ちょうど大博覧会が大阪で開かれ、薬学会会員の中にも来阪するものが多かろうというので大阪開催となったらしいが、増加する地方会員への気配りもあったことが長井会頭の総会演説からうかがえる。

大阪府立医学校講堂で4月3,4日に学術演説会、5日総会、懇親会、6,7日に各所参観、全5日間という盛大なものであった。

しかし地方開催はやはり困難なようで、明治が終わる1912年まで、第30回の熊本以外はすべて東京で開かれた。
たいてい第11回以来の会場すなわち帝大薬学教室で総会、上野精養軒で懇親会を行った。ただし、大阪以前の総会には学術講演会がなく(講演会は月例会で開かれていた)、午後から会務報告などのみであった。しかし大阪大会の次の第24回以来、会期は2日間となり、初日午後と二日目午前に学術講演会、そのあと総会、夕方懇親会というパターンが定着した。

地方会員は月例会に出られないのだから、総会のときに最先端の薬学の話がたっぷり聞けるのはありがたい。
(実は二日間にわたる会合は大阪の前年の臨時大会が始まりである。この時は総会こそなかったが、初日に学術講演8題、二日目に模範薬局、東京衛生試験所、赤十字社病院、東京市水道部、日本麦酒株式会社の見学会、そして懇親会があった。地方会員のためのプログラムであろう。)

さて現在、薬学会は毎年各地で開かれる。
2009年の京都以来、岡山、静岡、札幌、横浜、熊本、神戸、横浜、仙台ときて、2018年3月は金沢である。
半分がパシフィコ横浜で固定されている日本薬理学会の年会よりも楽しい。各地で市民講座を開いて全国で薬学関係者が活躍できればよい。

(日本薬学会沿革史から苦労して作成)

0 件のコメント:

コメントを投稿