2017年11月23日木曜日

松代4 皆神山と松代地震

松代の思い出

(1)小学校の遠足
覚えているのは
・文武学校。当時は観光スポットでなく、松代小学校がそのまま使っていたから中には入れず、道路から眺めた。ちょうど掃除の時間で、同い年くらいの児童が竹ぼうきで落ち葉を掃いていた。下駄箱に西日が当たっていた。
・象山神社。
・海津城。崩れそうな石垣のほかには何も残っていなかった。石垣のすぐ際まで田んぼで、掘も櫓もなく、小学生が持つ城の勇壮なイメージはなかった。
3か所とも午後から夕方の記憶で、それ以外何も覚えていない。ということは、松代が目的地ではなく、県庁の社会科見学のあと、川中島古戦場経由、松代に立ち寄っただけかもしれない。

(2)自動車学校のドライブ
高3の冬、受験モードに入り登校日がめっきり減ったとき、通学定期を買わなかった。長野電鉄の信州中野から長野までの電車賃は高い。そこで須坂の自動車教習所に入学し、無料送迎バスを利用しようと考えた。高校生割引も聞いたから教習所費用は6万6千円だった。大学入試前は座学受講を中心にして、一番後ろで暗記科目の内職をしていた。入試後から本格的に実技に入ったのだが、入学式前に入寮手続きとか健康診断とか、たびたび上京せねばならず、春休み中に免許がとれなかった。
夏休みに路上運転を再開、すぐに仕上げとなった。当時、この自動車学校は、最後に2コマ使って遠距離ドライブする。しばしば当たって親しくなった教官は、目的地を松代に指定した。こちらも春以来無免許で練習を十分して慣れているし、教官もあまり教える気がなく、ただのドライブ。最初は東京の話をしていたのだが、私が農家の長男にもかかわらず進学したことで、長野に戻らないことを予言し、いろいろ心配してくれた。
松代は道が狭いため、神経を使う。そこで海津城ちかくの駐車場に止め、百姓はどうするのか親は何と言っているのか、勉強できると皆東京へ行ってしまう、など色々言われた。(今思うとご自分の子息のことだったのだろうか)
話が長引き、どこにも寄らず真っ暗な道をまっすぐ教習所に戻った。

(3)1995年5月、家族で訪問。子どもたちは9,6,3歳。
実家から近いのに、松代観光は初めてだった。両親と一緒に信州中野からドライブ。真田宝物館、真田邸、海津城は定番だが、当時は観光客のいなかった松代大本営の工事跡、気象庁地震観測所、松井須磨子生家もいった。

(4)それまでの帰省は、菅平越え須坂に降りるか、草津から志賀高原に降りるか、どちらかであったが、上信越自動車道(1996年11月開通、片道1車線区間多し)ができてからは松代の横を通ることになった。帰省するたびに皆神山が目に入り、子供たちはプリン山といって喜んだ。

(5)そうそう、我々にとって松代と言えば、松代群発地震。
1965年から5年半続いた。震源地は皆神山付近。
総地震数は71万回。このうち、有感地震は6万3千回
 震度5: 9回、
 震度4: 48回、
 震度3: 413回、
 震度2: 4596回、
 震度1: 5万6253回
を数えた。世界的にも珍しいという。
大きな地震は65年66年に集中。私が小学校3年4年の時。座布団が頭巾になっていて、揺れるたびに机の下に隠れた。あるとき窓際の金魚の水槽からざぶんざぶんと水がこぼれ、ずり落ちそうになったとき、先生が飛び出して水槽を床に下した。先生はやっぱり偉いなと思った記憶がある。

2017年11月18日は、この(4),(5)の皆神山を訪ねた。

長野ICから出る直前の松代SAから。
プリンの形が今一つ。
Wikipediaから拝借
高速道路から見るとこんな感じ。

googleマップは長野では立体ビューができない。

車で頂上に上がろうと裏(南側)に回る。
近づくとプリンの形は見えない。

まだ麓なのに道が狭く、すれ違いもできない。
息子は嫌がり、登頂は断念する。


1995年の海津城。
この時すでに城門などが復元され、すっかり観光地になっていた。
2017年はもっと整備されているのだろう。


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