2017年11月3日金曜日

第84 薬学会年会の時期と名称

薬学会年会は昔から春だったか?
年会?総会?どっちが正しい?

薬学雑誌 1910年度(第340号) C1-42、C253、1890年度p69

私が初めて年会に参加したのは1985年の金沢だった。
学食のテレビで野球を見た記憶がある。高校野球だったかプロ野球オープン戦だったか覚えていない。しかし会場となった大学が城内にあって石垣にかかる桜が満開だったことは記憶にある。年会は桜の季節だ。

しかし年会が3月末もしくは4月初めになったのは第23回の1903年(明治36年)からである。それまでは1月の第3土曜日と決まっていた。
(例外は第17回、英照皇太后(孝明天皇正妃)1897年1月11日崩御につき、2月13日に延期したときのみ)。

1月から4月への変更は地方会員の便宜のためであった。
明治22年の東海道本線開通はじめ鉄道網の発達は著しく、地方会員も上京して参加することも可能となった。しかし冬の正月に旅することはやはり難儀である。
4月は季節もよい。他の学会も開かれており東京の用事も多く、学校関係者も試験休みが使える、と明治35年の総会で変更が決まった。
以後、桜の年会は続いている。

来年はまた金沢。
公式名称は「日本薬学会第138年会」という。
昔は「年会」とはいわなかった。

1880年(明治13年)1月、創立メンバーが神田明神境内の開花楼に集まり、翌2月から毎月第4土曜日に月例親睦会を開くことを決めたのは「新年会」である。
翌1881年1月再び全員集まって、月例会参加者の減少を反省し会を学術的なものにしようと決議したのも「新年会」。1883年1月、不忍池弁天社内長蛇亭で雑誌編集、会計などに関する会務報告をしていたのも「新年会」である。

しかし翌1884年と1885年の1月、神田三河町三河亭に参集したのは「大会」といった。そして1886年以降は「総会」となる。
「年会」とは言わず「大会」「総会」といっていたのは、今のような学術講演会がなく、会務報告、役員選挙、会則改正討議などだけであったからかもしれない。
(学術講演会は毎月の例会で行われていた)。
総会はたいてい午後1時から始まり、夕方懇親会に続いた。

また第138年会などと数字が入ったのは、明治23年の「第10回総会」が最初である。
「客年まで第何回とは記せざりしが明治14年初めて本会を起こしたるを以て本年を10回とす」
と当時の総会の記事にある。
明治14年の「初めて本会を起こしたる」という新年会は1881年。
なるほど2018年は138回目である。

0 件のコメント:

コメントを投稿