2019年5月5日日曜日

雑司が谷霊園の歴史

5月4日、池袋でレッスン、練習をして外に出ると明るかった。
まだ16時半。
雑司が谷霊園に行ってみた。
北側から入っていきなり、いずみたくの墓。
本名は今泉隆雄
夜明けのスキャット、恋の季節、など昭和40年代の名曲を思い出す。

メインストリートか。

雑司が谷は谷中霊園と比べて、はるかに区画が整然としている。
これなら迷うことはない。
また染井霊園も谷中より整然としているが、雑司が谷は墓の両側に通路があって、一区画が広いこともあり、全体としてすっきりしている。

この差は何だろう?
谷中、染井、青山と比べて造成されたのが遅いのではないか?
と思って調べると、1874年(明治7年)9月1日に開設。
意外にも、これは他の東京府墓地と同じであった。

なおも調べると、豊島区郷土資料館だより「かたりべ47」http://www.city.toshima.lg.jp/129/bunka/bunka/shiryokan/kankobutu/kataribe/documents/kataribe47.pdf があった。

それによれば、現在の霊園は、最初からこの広さ(110,106平米)でなかったらしい。
1874(明治7)年、明治政府は今の墓地の北西部分(現在の3分の1から4分の1)にあった幕府の御鷹部屋を埋葬地にした。(雑司ヶ谷旭出町墓地)
「復元江戸情報地図」朝日新聞社
明治11年 実測東京全図
この地図では、護国寺の西に陸軍埋葬地、左下に鬼子母神と法明寺があるが雑司が谷墓地はない。
一方、右上、いまの染井霊園の場所には谷中、青山と同様に「埋葬地」とあるから、やはり雑司が谷の本格的開設は他より遅かったのだろう。

その後1902年、南の畑地などを東京市が買い上げ、墓地を拡大した。
立ち退かされた農家の古老は、墓地内に残った樹木を見て、自分の屋敷、自分の畑地の場所を偲んだという。
1909(明42)陸地測量部
なるほど、北西の一部しかない。
上に巣鴨監獄が見える。
1932(昭和7) 墓地が拡大された図
豊島区になっている。

雑司が谷のすっきりした雰囲気は、他より遅れて造成したことが理由だろう。

墓地の北西部分に松があった。
御鷹部屋の中にあったものという。

全く予備知識がないまま、初めて歩いた。
知っていることといえば漱石の墓がどこかにあることくらい。
目立つ墓石があれば近寄って、有名人のものだと喜んだりする。
荻野吟子の墓
家紋は足利二つ引きに似ているが少し違う。
生家のある妻沼は新田、足利の本拠地に近い。

妻沼町が建てたという左の新しい石碑にはあきれた。
撰文は妻沼町長の高橋茂氏

 「日本女医一号 荻野吟子抄 妻沼町長高橋茂撰
・・・昭和45年(1970)小説「花埋み」で紹介されるや、根性と愛が読む人の心を揺さぶる。更に故里で武観戯曲「荻野吟子抄」舞台化要望の高まりに、平成10年(1998)妻沼出身松竹(株)茂木近専務が奔走し、10月名優三田佳子主演「命燃えて」の新橋公園が喝采を博す。次いで平成12年(2000)2月埼玉女性の根性と三田の熱演に感動した土屋義彦埼玉県知事の英断で埼玉公演が成功し・・・・」
「命燃えて」という題字の下に「埼玉県知事 土屋義彦書」とある。

こういう碑文は淡々と故人の功績を書くものだが、小説が「心を揺さぶる」、「奔走」、「名優」、「感動した土屋知事の英断により」などと今の人へのゴマすりみたいな文章で、本人以外のことばかり。
私だったらこんな政治家の売名行為のような石碑を建てられるのはごめんだ。

木が多く、枯れ木もある。

継承者のいない墓も多い


日本医大学長 塩田広重については以前ブログに書いた(→ 

伊沢修二の墓は大きい
信州高遠藩士の子に生まれる。音楽取調掛に任命されると西洋音楽を日本へ移植し、『小学唱歌集』を編纂。貴族院議員にもなった文部官僚。

伊沢修二の向かいは伊沢多喜男(内務官僚、東京市長、貴族院議員)
修二の弟であるが、この笹の茂り具合はどうだ。
親戚なのに、墓の手入れの差の違いにびっくり。

漱石の墓を初めて見た。
あまり好きなデザインでない。

ジョン万次郎の墓
中浜家累代の墓とあるから、中浜東一郎もここに眠るのだろうか。
東一郎は万次郎が帰国してから生まれた長男。東大医学部卒、東京衛生試験所の所長を務めたから我々には彼のほうがなじみがある。

中浜家の隣は洋画家の東郷青児

東京の4つの都営霊園で一番美しいと思う。



 帰る途中に大きな墓石が目に入り、近づくと東条英機。
珍しい家紋
東条英機はA級戦犯として悪者扱いされているが、とくに彼が悪いわけではない。
しかし、もう少しおとなしい墓石のほうが良いと思った。
名刺入れに2枚入っていた。ひとつは○○塾という右翼っぽい人のようだった。

永井荷風の墓は生垣できれいに囲まれていて、墓前にはゴールデンバットが2箱供えられていた。

顔を上げると池袋の高層ビルが目に入る。

近くに用事があって通り抜けたことがあるが、墓をじっくり見るのはこの日が初めて。
何の下調べもして来なかったが、簡単に有名人の墓にぶつかって楽しめた。


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