2019年5月2日木曜日

金杉踏切から日暮里、道灌像、ラングウッドへ

4/27土曜、ダンスの練習前に西日暮里駅の白樺ドレスで燕尾服のカラーを買う。
864円。
そのまま線路沿いに南へ歩くとすぐ日暮里駅に着く。
途中に金杉踏切がある。
2019-04-27
金杉という地名は室町時代からあり、明治になってこの一帯は北豊島郡金杉村となる。
1889(明22)年、金杉村のうち石神井用水(音無川、いま暗渠)より南が下谷区に編入され(根岸)、北は東京府北豊島郡日暮里村、三河島村の大字金杉となった。
その後、大字の金杉は、昭和7年東京市の拡大・荒川区誕生によって荒川区日暮里町一丁目から四丁目、あるいは三河島一丁目となり(1960年以降ははまた違う)、地名としては消えた。
踏切は大字時代に名付けられたのだろうか。

割と頻繁に電車がとおる。
これは取手以北に行く中距離電車。

この木の感じはホントに昭和。

上を通るのは京成電鉄

上りの特急が来た。
常磐線の特急だからスーパーひたちだろうか。
いや、今「スーパーひたち」はなくなって、特急ののぞみ型が「ひたち」、こだま型が「ときわ」というらしい。

こちらは下りの特急

すぐ近くに赤門日本語学校がある。
ビザ更新、奨学金貸与、アルバイト紹介をはじめ、さまざまな支援をする。
外国人が多いのはそのせいかもしれない。

ここから少し歩くと日暮里駅。
2019-04-27 太田道灌の騎馬像

日暮里舎人ライナーとタワーマンション3棟ですっかり様相が変わった。
1978年1月から81年3月まで私の最寄り駅だったが、住んでいたのが谷中だったから東口には来なかった。それでも駅前再開発前の駄菓子問屋街はうっすら記憶にある。
  
台東区マイプレ https://taito.mypl.net/mp/sansaku/?sid=641
に、今もある懐かしい場所として紹介されていたが、もちろん存在しない。

谷根千67,74、78号によれば、2004年の7月から9月にかけて各店舗が廃業、10月から取り壊しが始まり、2005年から本工事、2008年2月に40階建てのマンション、ステーションガーデンタワーが完成、翌月日暮里舎人ライナーが開業した。

私は2000年にラングウッドホテル4階サニーホール(荒川区施設)のダンスパーティにきて、2001年からは毎週のようにこの駅に降りたので、駄菓子問屋の記憶は40年前の谷中にいたころではなく、20年近く前に覗いたときのものかもしれない。

2019-04-27
あれ? こんな像ができている。
平成30年5月か。作者は平野千里。
あの西日暮里交差点の童子像の作者、偶然常磐線の土手の前で事務所も拝見した。

太田道灌は人気があって、山吹の里はいろんなところが自称する。

娘が山吹の枝を差し出す先をみれば道灌がいる。
しかし間に木があり、お互い見えない。
第一、道灌は向こうを向いて猛スピードで馬を走らせていて、娘のこの形は不自然。
枝を持って追いかけるか、あるいは枝をもらって走り去る道灌に手を振るなら少しはわかるが、この像では物語ができない。

道灌騎馬像「回転一枝」は、弓を高く上げて「おう、ヤマブキ、ありがとうな!」と叫びつつ走り去っているように見えなくもないから、お辞儀をする娘をその視線の先に置けばよかったのである。
娘を道灌の視線の先、駅側に置くか、あるいは道灌像の向きを変えてしまうか。
ま、こんなことを考える人は居ないだろうが。

竹隆庵岡埜の文字が修復されている。
店の方が私のブログを読まれたのだろうか?
私のブログは竹隆庵岡埜をグーグル検索するとなんと7番目に来る。

かつての紅葉坂の場所は日暮里駅南口を通る跨線橋「もみじばし」になった。

このあたりは外国人ばかり。特に旅行者が多い。
成田から一番お得な京成特急で最初に着く都心の駅だから、当然だが。
みな大きなスーツケースをもってこの階段を下りていき、宿に荷物を置いてまた上ってくる。ホテルは二つ。
アパホテル日暮里駅前
2016年12月1日オープン 278室

もう一つはラングウッドホテル。
埼玉指扇から初めてこのホテルに来たのは、2000年4月、ホテル4階にあった荒川区サニーホールのダンスパーティ。(18年前!!)
まだダンスを始めて1年しかたっておらず、上手い女性がいっぱいいるもリードできず、やっぱり東京はレベルが高いなぁと思った。
その後、毎週のように通った。

このホテルの敷地はかつて吉村昭の実家の紡績?工場があった場所。
がんの末期の2006年、彼が夫人の津村節子に車いすを押してもらい、ホテル喫茶室でサンドイッチを少しだけ食べたことが彼女のエッセイにあった。その席は昔、工場事務室のあったあたりという。

当時は外国人などいなかったが、いまやロビー、エレベーターで見る宿泊客のほぼ全員が外国人旅行者ではあるまいか。
2017-04-27
ホテルラングウッド
1988年創業、126室

今は毎週2回ほど、このホテルの地下二階、ダンス練習場ファーストプレイスに通っている。ハングル語の焼肉店、レンタルルーム、パチンコ、ルノアールなどが並ぶ通りを、ホテルから街に繰り出す外国人とすれ違いながら。

追記
2019-05-25
駅前のカフェ&レストラン談話室 ニュートーキョーに入ってみた。
店名からメニュー、雰囲気まで昭和そのものだが、ウェイトレスがアジア人アルバイトだった。
入っていくと「いらっしゃいませ~」と遠くから居酒屋のように大きな声。
ま、これもアリか。
窓際が道灌像をみるベストポジション。
都バスはスカイツリーや亀戸まで行くみたいだ。

ドトールやスタバよりずっと居心地がいいというのは年齢のせいかな。


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