すぐ西を都電がのんびりと走る。
線路脇の家を覆いつくすツタがすごい。
というか家がすごい。
人が住んでいたらもっとすごい。
新しい豊島区役所の下を通ると日出小学校の碑があった。
2011年まであったそうだ。
日出小学校は高田町立第四尋常小学校が前身という。すぐ北のサンシャイン、巣鴨刑務所は西巣鴨町だったから、町境に近い。
グリーン大通りを駅に向かって歩いていると左に公園がちらっと見えた。
南池袋公園。ずいぶん長い間、工事中のフェンスに囲まれていたが、2016年ようやくオープンした。
芝生がきれい。寝転んでいる人もいる。
カフェがある。Racines FARM to PARK
店員に勧められたのがオリジナルビールのRich Island.....豊島か。
しかし 330mL 880円は高い。
それにしても、この一角、地図で見ると
周辺と違って、きれいな正方形で碁盤の目のようになっている。
昔なんだったのだろう?
調べてみた。
昭和32 すでに区画整理されている。
なるほど日出町だ。
昭和7 1932
ぽっかりと空き地になっている。
日出町三丁目のほかに雑司が谷旭出という地名が読める。
旭出から日出は来ているのだろうか?
地図マークから針葉樹と広葉樹の林である。
明治42 1909
巣鴨監獄の南を流れる川が高田村との境
池袋駅はあってもほとんど人家がない。
問題の場所は広葉樹林(地図マークは現代と少し違う)
ここに「根津邸」とある。
上の拡大図(明治42 1909)
本立寺の北はすべて根津邸。
一帯は根津山と呼ばれていた。
そう、山梨市出身、東武財閥の根津嘉一郎の別邸であった。
ずっと東上線がなぜ東武なのか疑問に思っていた。
明治44年、1911年11月11日(意識的?)、東上鉄道創立総会が開かれ、取締役社長に根津嘉一郎が就いた。本社は彼が社長を務める本所区小梅瓦町(現・墨田区押上一丁目)の東武鉄道本社。後に合併する。
根津邸と東上線社長のどちらが先か知らないが、二つの間に関係はないだろうか?
昭和4年(1929)
西巣鴨町の地図だから高田町にはいる根津山は範囲でない。
しかし、明治通りの拡張がすすみ、今のグリーン大通りの計画が見える。
南池袋公園の正方形は大通りを1辺にしたことがわかる。
すでに根津山、根津邸は官有地になっていた。
なお、明治42年の地図を見ると雑司が谷霊園(→)は今よりだいぶ小さいことも分かる。
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