2020年4月17日金曜日

ボルチモアと学会出張

企業研究者をしていた32年、毎年学会に行った。
予算に制限あるから東京近郊の学会1回と国内宿泊学会1回が目安だった。
宿泊すれば人一倍、早朝から周辺を歩き回ったからいろんなところを見て来た。
あのころ写真をとる習慣があったらなぁ、と残念である。

2003年ころから田辺の研究所では入社数年経つと年に一回海外の学会に参加できるようになった。
私が若かった80年代90年代では考えられなかったが、製薬企業はそういう時代になったのである。
私がよく行ったのはBiophysical  Society Annual Meetingアメリカ生物物理学会。
イオンチャネル研究者が一堂に会する。

学会自体は5日間だが、前日にイオンチャネルのサテライトシンポジウムが丸1日あり、さらにその前に自動パッチクランプ装置メーカーのMolecular Device社、Sophion社が主催のイオンチャネル創薬のシンポジウム User's meeting がそれぞれ半日~1日ある。
3つシンポジウムがあれば、演者が足りないくらい大学とビッグファーマのイオンチャネル研究者が豪華、勢ぞろいする。
 
2011-03-03
海外の研究者というのは、何でも教えてくれる。
日本の学会では、大学は重箱の隅のような発表自体こそが目的という細かい発表だったし、企業研究者は何も公表しないし、要するに顔合わせ旧交温め会。価値ある情報など何もなかった。
ところが海外はちがう。
研究者はしゃべりたくてしょうがない。来る直前の先週、ときには昨日の結果まで教えてくれる。彼らは大学と企業を行ったり来たりしていて、いっぱい情報を持つ。業績さえ上げれば学会発表も自由なようだ。
そもそも企業秘密などないのである。イオンチャネルは有限だから皆同じターゲットを狙っている。ヒット化合物の構造式さえ出さなければ、測定のノウハウなど情報交換したほうが双方有益だ。
年に一度、昼食、時には夕食も共にするから顔見知りになって何でも聞ける。
‎2011-03-03 
Molecular Device社 User's meeting 懇親会
この年はたしか閉館後の水族館を借り切り、大水槽の前でのパーティだった。
装置(1億円近い)が売れれば、こういう費用も大したことないのだろう。


 2004-0212~218 Baltimore, MD
 2006-0215~223 Salt Lake City, UT
 2007-0228~308 Baltimore, MD
 2008-0130~207 LongBeach, CA
 2009-0225~305 Boston, MA
 2010-0218~225 San Francisco, CA
 2011-0302~310 Baltimore, MD

2005年は部署を異動し、予算がとってなくて行かなかったが、
ほぼ毎年行った。
本会議には日本からも参加者が来ていたが、本会議前に開かれるサテライトシンポやUser meetingに出る日本人は私だけだったから、イオンチャネル創薬では間違いなく国内で一番情報を持っていた。(薬を出せるかどうかは別の話)。

ここで開催地を見ればBaltimoreが3回ある。
3回とも8泊10日、計24泊、同じ都市にずっととどまったから日本でもこんなに詳しくならないというほど市内をくまなく歩いた。

最後の2011年のBaltimoreの写真がPCにあった。
2011-03-02 (現地時間)
デトロイトで乗り換え。13時頃?
2011-03-02 16時ころ
ボルチモア空港からダウンタウンまで電車。
タクシーと違ってチップもいらないし話す必要もないから楽だ。

線路の終わりが好き
2011-03-02 17時頃
30分ほどでBaltimore ダウンタウン、カムデン駅に到着
すぐ前が学会会場 Covention Center
背中にオリオールズの本拠地、Camden Yardがある。

コンベンションセンター側に渡って交差点、南東の角から北を見る。
北西の角、テラスで食事したことがある。その先に2004年、2007年に泊まったホリデイ・インがみえる。

2011年は写真右(北東)のブロックの向こう側、Days Innに泊まった。
コンベンションセンターのすぐ北のブロックである。
2011-03-03 翌日、DaysInn。



Balto 2020
今どうなっているかグーグル地図を見てみる。
あまり変わっていない。
しかしグーグル地図はいつ始まったのだろう? 
昔はPCをもっていかなかったこともあり現地ではあまり見た記憶がない。

2011-03-03
ホテルを出て西を見る。
Bromo Seltzer Arts Tower

Royal Farms Arena
Days Inn のすぐ北のブロック

Lombart Stを西に歩いてホリデイイン(左)を見てから学会会場に向かう。

路面電車Light  Railはそのまま空港まで行く。
むこうはコンベンションセンター

2011
うえに円盤が載った建物はHoliday Inn Baltimore-Inner Harbor
2004年、2007年はホリデイインに泊まった。
Pratt St、Howard Stの交差点からカムデンヤードをみる。

球場前にあるカムデンの駅舎
日本なら駅前に何でも集まりごちょごちゃする。

球場前の310メートルの長大な倉庫。
ここにはギフトショップや球団事務所が入っていた。

2011-03-07 13時ころCamden Yards
 
2007年、学会の公式懇親会(無料)は夜のグラウンドが見える球場のピロティで行われた。
京大森研の学生さんたちと行ったが、飲食物はほとんどなかった。
2011年はどうやってこの写真を撮ったか不明。
球場ライト方向の310メートル倉庫から撮ったのだろうか。

2011-03-07
初めてきた2004年、アムトラックでここから40分くらいのワシントンDCまで行った。
新婚旅行以来で懐かしかった。
初めて見たホロコーストミュージアムは私の強い記憶財産になっている。

2020年、グーグルビューを見た。あれから大分たつが非常によくわかる。
2020
ホリデイイン、デイズイン、カムデンヤード、、、みんな写っている。

学会会場はBaltimore Convention Center
どのホテルからも近く非常に便利。
2011-03-03



‎2011-03-06 11時ころ
機器展は一番面白い。
今では日本でも珍しくなくなったがボールペンやチョコレート、Tシャツなどももらえ、急激に増えたアジア系の参加者などはいっぱい持って帰っていた。

ところでイオンチャネル創薬は電流自動測定機器、オートパッチの性能にかかっている。
2003年以降、毎年のように新製品が出て、業者は具体的な応用例について最新情報を教えてくれた。測定ノウハウなど企業秘密でないから論文発表、学会発表の前の情報が手に入る。1対1で話すし、こちらの専門だから英語に心配があっても内容は十分わかった。
毎年会うとソフィオン、ナニオン、MolDev、MCS、Chantestなどの担当者は顔見知りになった。

2004年のころは初期のイオンワークスにあまりに多く注文を出したから、Mol.Dev社が装置をバージョンアップするためのアドバイザーのようになり、ランチもご馳走してもらった。新型機Barracuda開発のときも、別のホテルに運び込んだ試作機のデモを特別に見せてもらう、世界で選ばれた数人の一人だった。(あれは2010年のサンフランシスコだったか)

学会中、時間は十分あったから隣のブロックのホテルに帰り、ネット検索して報告書を書いたり、近くの本屋に行ったりした。

コンベンションセンターからデッキを伝いHyatt Regency, Sheraton, さらにはインナーハーバーにも行ける。

2020年
コンベンションセンター、シェラトン、、

2011-03-07 13時ころ
シェラトン‎
2007年は森さん夫妻が泊まり、咲ちゃんが恵美子さんのところに遊びに行っていた。
会社費用なのでこんなに高いホテルは気が引けて泊ったことがない。

昼休みや夕方は、インナーハーバーのショッピングモールにきた。


2007年に入った寿司レストラン


Pratt通りを渡ればデパートがあった。
確か1階にGodivaが入っていた。
時期的にホワイトデーのチョコを土産に買おうと思ったが、高くてやめた。
100ドル以上する箱が多かった。
フードコート
ここでは子どもたちへの土産にビデオをよく買った。

2020
ソフィオン社が展望ロビーでパーティをやったTop of the Worldをすぎると水族館があり、岸に潜水艦USS Torskが係留されていた。第二次大戦末期、紀伊水道など日本近海で活動したらしい。艦名はタラ(魚)の意味。博物館になっていて、もちろん最初に来た2004年、見学した。その後、潜水艦の内部を想像するときはこの時の経験がもとになっている。
2011-03-09 18時ころ、閉館後の水族館
ボルチモア最後の夜、ジョンズホプキンス大学イオンチャネルセンター見学の帰り、ガラス張りの外から見る。

水族館の東隣の桟橋には、よく通った本屋バーンズアンドノーブルがあった。
2011-03-03 17時頃

2011-03-07 13時ころ
本屋は夕方にも昼にも来た。

本は毎回いっぱい買った


さらにその東にはしゃれたホテルがある。
2011-03-07 14時ころ‎
Pier 5 Hotel
このホテルにオシャレなシーフードレストランがあった。
2007年に森さんたちと食事したとき、清中さんが全員の分をおごってくれた。
相当高かったと思う。

なぜ写したか不明
後日、お返しに森さん清中さんたちを私がおごった店かもしれない。
しかし安いステーキハウスだったからthe cheesecake factoryではない。店が変わったのだろうか?

コンベンションセンターからインナーハーバーは学会参加者や観光客のための施設が並ぶが、ホテルの北側はボルチモアの町が広がる。

2011-03-05 14時ころ
忘れてしまったが、写したということは入ったことがあるのだろう。
向うに見えるマリオットはロビーで無料インターネットPCを借りたことがある。
初めのころはパソコンを持って行かなかった。

さらに北へ行くとレキシントンマーケットがある。
2011-03-05 15時ころ

ここのチャイニーズはよく食べた。

最初のころは一人で外の洒落たレストランやオイスターバーに行ったりした。好奇心もあったし社会人として様々な場面に慣れなくてはならないと勉強のつもりだった。
しかし、そのうちホテルのレストランになり、さらにチップの要らないフードコートになり、2011年になると町にも飽きてテイクアウトして部屋で食べていた。
炭水化物が好きなので大抵チャイニーズだった。

ボルチモアのダウンタウンは非常に黒人が多い。




3回でのべ24泊もしたわけだからすっかり街に慣れ、服装も汚かったから地元民と思われ、よく道を聞かれた。

2011年3月10日、まだ夜の明けないうちにホテルを出たとき雨で傘がなく、タクシーを呼ぶのも面倒だったので近くのライトレールの駅まで走った。真っ暗で寒い中、なかなか電車が来なかった記憶がある。

デトロイト経由で日本に向かい、最後の食事が終わり仙台沖を飛行中、地震があった。

飛行機は旋回し千歳に着陸。しかしエプロンは成田、羽田着陸予定だった飛行機が集まり満杯、われらの機は滑走路で夜を過ごした。着陸直前にすべて配給しつくしていたので、朝まで飲まず食わずだった。
2011-03-12 朝(日本時間)
乗ってきたデルタ航空のカウンターは千歳になく、もちろん職員は一人もおらず、大混乱の中、東京行の飛行機はいつ出るか誰もわからなかった。


このとき以来9年、アメリカには行っていない。
レキシントンマーケットより、ずっと汚くて危なそうな南の市場も思い出す。
一人で探検しながら、オイスターバーをみつけ座り、衛生的とは言えないカキを食べた。
ああ、ボルチモアが懐かしい。


20200415 ボルチモア・翻訳とポーの墓
20200414 ジョンズホプキンス大学とイオンチャネル創薬



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