2020年4月23日木曜日

白山台地から大和郷まで

小日向の住宅街から茗荷谷に下り、小石川台地にのぼり、エーザイのある吹上坂をおりた。
播磨坂下から植物園の南を上がれば千駄木の家まで2.2キロメートル、歩いて28分である。

しかし遠回りする。
播磨坂下の千川通を渡り、裏道の植物園わきを北へ歩く。
東京医学校本館
いまは東大博物館小石川分館として使われている。
多分コロナで休館だろう。

2020-04-16
植物園の北側は網干坂
2016年ころ、健診の帰りに自転車で登り、白山の住宅街を見て帰ったことがある。
今この写真を見たらアボシじゃなくてアミホシだった。

ここから小石川(千川)、神田川を経て日比谷入江へまで4,5キロだから、江戸湾まで網を積んで出る漁師がこのあたりに住んでいたのかもしれない。

アミホシ坂のすぐ北に簸川神社がある。
氷川神社の末社だが、ここは字が違う。
江戸時代は氷川大明神と称した。別当は宗慶寺(今も小石川パークタワーの隣にある)、江戸七氷川に数えられた。大正時代に氷川は出雲の簸川(郡名)に由来するという説から、現社名へ改めた。出雲には斐川の地名もある。

旧小石川村の鎮守。秋の例大祭の時は紫の幟がずっと東まで旧中山道の東洋大学の前まで並ぶ。
神社前を北に歩き、坂を上がる。

2020-04-16
氷川坂

坂上のほうは氷川神社とつながっていた。


簸川坂をあがると閑静な住宅街。
住所は千石二丁目となる。
振り向いて左(南側)に低層マンション
坂上の網干坂上までのあいだがインペリアルガーデン。
ここは昔何だったのだろう?
昭和7年
江戸時代は御賄方大繩地・御家人や旗本たちの住まいだったが、戦前の地図には荘田邸とある。坂は網干でなく網曳坂だ。
1995年の地図には東京海上の社宅となっていた。

2014年1月築、4棟構成、地上4階建・全167戸
2014年、網干坂側から自転車に乗りながら眺めた。

そのまま千駄木に帰ればいいものを、北に歩いて不忍通りに出た。
不忍通りは切通しのようになっていて西に遠回りしないと降りられない。

猫又坂という。
ん? 今降りてきた道は不忍通りが開かれる前の旧道だったのではないか?
これなら坂道という感じがする。
右のシャンボール千石はいかにも昭和のマンション。

坂を上がり巣鴨からの17号との交差点に来ると、大和郷をみたくなった。
また寄り道。
2020-04-16
高級住宅街もあちこち工事中。
すごいコンクリートの量。ここではペンシルビルは建っていなかったはずだが。

来るたびに豪邸がなくなっていく気がする。

向こうに六義園が見える。

2020-04-16
200坪の敷地だったが、ワンルーム20戸をふくむ26戸のマンションになる。
大和郷もつまらなくなる。

ここは道も家も広くて生活感がない。
小日向や白山は、まだ豪邸の中に小さい家も交じり温かみがある。
曲がった道や坂もあり、あっちのほうがいいな。

2020-04-16
鳩山邸の前をすぎて南側、加瀬邸

以前2012年ころ、駒込駅に近い北のほうに鳩山という表札を見た記憶がある。
2016年に亡くなった鳩山邦夫氏の家だが、今回見つからなかった。
通りを間違えたかと思って帰宅後地図を見たら、場所はあっていた。
大和郷の住宅地図(1991年ころ)

追記
角の鳩山邸は入り口が西側にあった。

別ブログ
20200422 吹上坂、播磨坂、パークタワーの極楽水
20200421 小石川、エーザイ本社の歴史
20200420 小日向台から茗荷谷に降りる
20191218 上野・本郷、全126坂道の一覧、ランキング 

0 件のコメント:

コメントを投稿