そこを見に行く。
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20200427 理研から鶏声ケ窪までの暗渠、龍光寺
本郷通りを越えてアイソトープ協会の南の道。
何回か通っているが、道路北側の文京グリーンコートのほうばかりみて
ロシア正教会の日本支所に初めて気づいた。
2020-05-02
正教会というのは、ギリシャ正教または東方正教と呼ばれるキリスト教の一派であり、それのロシアでの組織をロシア正教会という。だから教義は同じ。いっぽう日本での正教会は幕末に函館にやってきた聖ニコライに始まる。
彼はロシア正教を伝えたのでなく、正教を伝えた。
駿河台のニコライ堂など、日本正教会はそれなりの歴史がある。
しかし、本駒込は日本正教会ではなく、ロシア正教会の日本支所でありロシア人信者のためのもの。正式名称は「モスクワ総主教庁駐日ポドヴォリエ」という。日本ではここと目黒にある。
その並びはアジア文化会館。
昭和の建物。
昔、ネット情報でここの食堂でエスニック料理が食べられるとあったが、外に看板はなく、ちょっと入れそうもない。
運営母体の公益財団法人アジア学生文化協会は1957年創設
前身は
1924(大正13)上杉慎吉東京大学法学部教授により至軒学堂開かる。
1932(昭和7)上杉門下生穂積五一(本協会の初代理事長)至軒寮を興す。
1945(〃20)敗戦を機に至軒寮を新星学寮と改称。
いずれにせよ、設立時は日本がアジアの盟主だったころである。
ごく少数の選ばれたものが来日、祖国の発展のために学んで帰って行った。
しかし、いまや出稼ぎ、就職目的の留学生?が大挙して来日、各大学も留学生を支援するプログラムを多数用意している昨今、ここの存在意義は変わってきている。
公式サイトをみると
学生寮の運営が大きな支援事業になっている。
本駒込(ここ、百数十名)、
新星学寮(本郷6丁目、15名)、
やまぶき寮(荒川区、29名)
日暮里寮(荒川区、9名)
ほかに本協会日本語コース生宿舎として、
【富士前寮】2001年3月より 文京区本駒込5丁目 定員女子50名
【染井寮】 2002年9月より 豊島区駒込3丁目 定員女子13名
【巣鴨寮】 2009年4月より 豊島区西巣鴨2丁目 定員13名
【田端寮】 2009年10月より 北区田端3丁目 定員13名
【駒込寮】 2010年10月より 豊島区駒込1丁目 定員30名
富士前寮の写真を見たらびっくり。懐かしい。
なんと、私が1977年、本駒込で暮らしたアパートのすぐ近く。日ごろ買い物していたスーパー吉池の入っていたマンションであった!! ワンルームマンションだったのだろうか。いや、一人部屋(12.8m2)54,000円/月でキッチン、トイレは共同だという。もともと寮だったのか、改装したのか。
すっかり変わってしまった右側のグリーンコートを見ながら西へ。
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20171210 文京グリーンコート、理研、科研製薬
そのまま自転車を走らすと中山道(17号)と白山通りの合流点に出る。
傾城台地の西縁にでた。
辺り一帯は酒井雅楽頭、姫路15万石の下屋敷があったところ。
少し中山道を南に進むと前回下りた勧銀坂の上に出る。
勧銀坂と平行して北にも新しく広い坂道ができている。
坂の上から下まで日土地原町ビルの敷地。
原町は旧町名の小石川原町からきているが、日土地とは何か。
字面の似ている日立とは関係ない。「にっとち」と読む。
正式社名は日本土地建物(株)という。
ビル管理から分譲住宅の販売まで手掛ける。
1954、勧友ビルディング設立
1961、「勧銀土地建物」へ社名変更
1974、「日本土地建物」へ社名変更
2001、「勧業不動産グループ」と事業統合
第一勧銀の事業所であったここも、日土地の管理するところとなった。
第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行が2000年にみずほホールディング傘下となり、2003年みずほ銀行が成立。
現在このビルの1階から6階までみずほ銀行関連の事業所が入っている。
見上げれば上の方に布団の干してある部屋がわずかにあり、マンションのようでもある。
しかし○○マンションという表札プレートもなく、ひと気もない。
調べれば7階から12階まで原町ハイツとなっており、勧銀時代からある社宅であろうか?
よってこの坂は日土地坂と仮称する。
日土地坂 白山通りの坂下から。
企業が管理しているからツツジが美しい。
白山通りは日土地坂下あたりから斜めに傾城台地をあがっていく。
よって、傾城台地の西側斜面は白山通りの西側になる。
で、渡る。
白山通りの西側を北に歩く
この日は最高気温27度。長野は32度まで上がったとか。
千石1-24と23の間
東に向かってわずかに坂になっているが、名前を付けるほどでもない。
白山通りと不忍通りの交差点から西を見る。
わずかにへこんでおり、あのあたりが傾城本郷台地と白山台地の境の付け根である。
不忍通りの北は、あとで周ったが、へこみはなく、ここが谷の最北端。
この後、白山台地の東の坂を上り下りする(続く)
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