2021年9月23日木曜日

27年前のアメリカの歯がとれる。

 

2021‐09‐23
今週から後期の講義が始まった。
9月22日、講義が終わりリラックスして一人弁当を食べていたら、何かごろっとした。
今まで取れたかぶせ物より大きくて丸い。
まさか。
ショックを感じつつ口から出したらやはり、あの歯だった。
初めて見た。
金属を土台に、その上をポーセレンが覆っている。
もう27年も経つ。
よく働いた。

当時の記録が残っているので見たら懐かしかった。
終活とは物を捨てることがメインで、それはもちろん一番大事。
しかし昔を思い出して、ささやかな、愛らしい人生を眺めることも終活だろう。

1994年2月13日、アメリカ。
シンシナチのマックで普段通りハンバーガーを食べていたら歯に激痛が走った。
帰宅して調べたら右下6番の歯がタテに割れていた。それまでの虫歯治療で削りすぎ、火山の外輪山のようになり、それが薄くてついに根元まで割れたらしい。そこが少しでも動くと非常に痛い。
これは普通の虫歯治療ではだめだろうとは素人でも分かった。
健康問題というのは落ち込む。
とくに異国では。

歯医者に行かなくてはならない。
ピザの注文とは違い、大事なことだから電話でなく直接予約に行ったのかもしれない。
2日後の2月15日、近所の7615 Kenwood Rd. 
長女が前年11月に虫歯を治したところでもある。

Dr. Robinsonは、「なんとかこの歯をレスキューする」と力強くいったことを覚えている。
応急処置としてレントゲンを撮り、物が当たらないように削った。請求額33ドル。

大学で入っていた健康保険(月額175ドル)は歯をカバーしていないため、歯(月7.76ドル)を追加するよう指示された。
翌16日、変更手続きするが(月183ドルになる)適用は3月1日からという。

左は上から見た歯

その3月1日、いよいよ治療開始。
Dr. Robinsonはレントゲンを撮って割れている歯の小さいほうを引き抜いた。(93ドル)
そのあと、7770 Cooper RoadのDr. Zigorisのところへ今からすぐ行けという。残ったほうの歯と歯茎の治療をするらしい。
シンシナチは軽井沢のような感じで森の中、車を走らす。
Zigorisは、歯茎を切開し、横から歯と骨を削り(periodental and osseous surgery)、
再び歯茎を縫合した(730ドル)
65年生きてきて唯一受けた手術である。

10日ごとに経過観察のため、Zigorisのところへ3/11, 3/22, 3/31, 4/15通った。

もちろんこの間、普通に大学で実験していた。
ちなみにこちらの歯医者はたっぷり余裕をもって予約を取るのか、待合室で一度も他の患者にあったことがなかった。またラバーダムを使って目的の歯以外は覆って治療した。

留学していたシュワルツ研には赤池紀生先生のところから若森実先生も来ていらした。彼は九大歯学部の出身だから、この治療に興味を持たれ、色々聞かれた。

経過も順調であったため、ZigolisはRobinsonに手紙を書いた。

4月5日、一か月ぶりに会ったRobinsonは顎?の型どりをした(58ドル)
4月18日、残っている歯の上半分をさらに削り土台を作って、型どり。
5月3日、ポーセレンの歯を入れた。(全部で495ドル)
こちらは何も言わず(言えず)されるがまま。

かかった費用は総額1449ドル。
保険から500ドル(最高限度額)がおりて自己負担は949ドルだった。

国内で治療すると7割保険、3割自己負担で、その3割も会社の健保から還付されるから実質無料である。しかし海外であること、この治療(ポーセレン)が国内では保険適用外ということで、949ドル(94261円)のうち、44,959円だけ治療費と認められた。
それをもとに37,915円が振り込まれたが、計算方法はよく分からない。

今まで一番高い歯医者だったが、丁寧な治療、最高の歯だったと思う。

・・・・
ひさしぶりにグーグルでシンシナチを見てみた。
7615 Kenwood road (2021)
驚くことに27年経ってもロビンソンのオフィスはあった。
入って右が待合室。

Cooper Square building 2021
看板を見ればZigorisはいないが、いまも歯医者がオフィスを構えているようだ。
長尾拓先生だったか、Prof. Schwartzだったか、シンシナチは20年経っても変わらないSleeping Cityと言ったのを思い出す。

・・・

さて、昨日ポロっととれてすぐ、3軒ほど歯医者に電話したが、翌日は木曜かつ祝日ということで一番早く見てくれるところで明日の金曜になった。
今どんな状態でどんな治療になるか不安になっている。
でもこの歯がそのまま嵌められたら、いろんな意味で嬉しい。

37歳から65歳、人生の大きな部分、生きるための栄養をとってもらった。
研究所での実験、何回かあった成功と失敗、引っ越しや転職、子供たちの成長など、口の中からすべて見ていたかもしれない。彼は奥歯だったけどね。

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