2022年8月5日金曜日

京都19 御香宮と伏見酒蔵めぐり

3月19日、定年退職を前に家族で京都を旅行した。

2泊3日の最終日は伏見に来た。
単独行動で乃木神社から桃山陵をまわったあと、11:20にJR桃山駅改札で家族と合流、伏見の街中に向かう。
途中、御香宮神社があった。
ここは27年前の1995年、立ち寄ったことがあるが、ほとんど記憶にない。
2022‐03‐21 11:28
表門は秀吉伏見城の大手門を移築したものらしい。

11:29
思ったより大きな境内。
鳥羽・伏見の戦いでは、薩摩・長州藩兵(約800名)の本営となり、大手筋を挟んですぐ南にあった幕府軍(会津藩・新選組)の本営・伏見奉行所(いま京都市営桃陵団地)をここから砲撃した。
11:33
お宮参りだろうか、赤ちゃんを抱いた家族。
主祭神の神功皇后が応神天皇を身ごもったまま三韓征伐したことから安産祈願のお宮として知られる。

この辺りは秀吉の時代、伏見の城下町で、大名屋敷が並んでいた。
(秀吉は由緒ある御香宮をここから伏見城内にうつして鬼門の守護神とし、その後家康が元の場所に戻した)
すなわち、御香宮の場所には福島正則の屋敷があった。ここで、黒田長政の家臣、母里友信が正則に招かれ、大きな鉢に満たした酒を飲み干したら望みの物をやるといわれた。彼は見事に飲み、正則家宝の槍を持ち帰ったという。
黒田節誕生の地という案内板が神社の外、通りに面してある。
「酒は呑め呑め呑むならば 日の本一のこの槍を 呑みとるほどに呑むならば これぞまことの黒田武士」とは歌えるが、意味など考えたこともなかった。

11:37
桃山基督教会と桃山幼稚園
明治の先進地、京都らしい、和洋折衷のおしゃれな建物

御香宮の前の大手筋は西に向かって緩やかに下っていく。
途中、右を見ると近鉄・桃山御陵駅
またすぐ、左に京阪・伏見桃山駅
この狭いところにJRと3本の路線が並行に走る。

京都から奈良に向かうというだけでなく、伏見という土地の歴史的重要性がこの密度に反映されている。
(ちなみに、東海道本線は当初山科から南下して伏見稲荷の南で北上、京都に入った。名神高速道路のルート)
11:43 伏見桃山駅

11:43
大手筋はいつの間にかアーケードとなる。
ここから左の住宅街に入り川沿いの酒蔵を目指す。



11:56 黄桜酒造
伏見の酒蔵だから古いと思ったら、ここは大正14年というからびっくり。

なつかしい河童黄桜のCMがまとめてみられる。
次女夫婦は日本酒好きなので以前来たことがあるらしい。

12:12 月桂冠本社
創業は1637年
社長は創業家14代目当主、大倉治彦氏

12:15 月桂冠大倉記念館

12:19
有料の記念館には入らず売店をちらりと覗いただけで出た。

伏見に酒蔵が集まるのは分かる。
京都、奈良、大阪という当時の大消費地に近く、宇治川(淀川)の水運も使える。
酒に限らず、すべての製造業に最適だ。
ふしみは伏水と書かれたくらい桃山からの湧き水も豊かであっただろう。

大倉記念館を出てすぐ、川があり橋がかかっていた。
宇治川(淀川)につながり、いかにも掘ったような名前の濠川。
秀吉が伏見城の外堀として掘らせたらしいが、江戸時代以降は角倉了以の高瀬川によって京都市内へもつながり、輸送路として役立った。

12:21 弁天橋
十石船がいる。
京都市や月桂冠などが出資して1998年に観光用に復活させたものという。
十石というのは、一石が一斗(18リットル)の10倍だから、石油缶が100個積める船か。
水なら1800キログラム。
遊覧船の定員は20人だそうだ。うん、計算はあっている。

12:26 弁天浜

1995年7月に来たときは近鉄の中書島でおりて、すぐ西南の伏見港公園に行った。
高瀬川、濠川、宇治川の合流地点で、秀吉以来京都大阪を結ぶ大動脈のターミナルとして栄えた伏見港の跡である。明治時代は大阪や琵琶湖まで蒸気船も運行されたというが、太平洋戦争後はすたれ、1967年埋め立てられた。

27年前はまだ十石船、三十石船の観光遊覧船が始まる前で、屋根のない古い十石船が夏の川岸に係留されていた。そのあと寺田屋を回って、濠川を西から歩いてきて宇治川に出て、乃木神社、桃山陵に行った。
2022年は同行者がいることもあり、港公園に行く時間はない。

12:29
運河の向こうは月桂冠の工場

蓬莱橋で濠川をわたるとすぐ寺田屋。
1995年に入ったときは、いろんな観光ポスターやらペナント、絵が壁にべたべた貼ってあり、古くて散らかった民家という印象だった。北斎の赤富士など坂本龍馬と関係ないものも貼ってあった。竜馬が襲われたときについたという刀傷の柱、入浴中に伏見奉行所の襲来を察し、裸のまま竜馬に知らせたというおりょうのお風呂などが展示されていて、ふーん、と眺めてきた。
12:32 寺田屋
しかし、その後、2008年になって、当時の寺田屋は鳥羽伏見の戦いで焼失、今の建物はその後西隣に再建されたものと結論された。
もともと入る気はなかったが、だれか入りたいと言ったら困るなと思っていたら、コロナのため閉鎖中だった。

そろそろおなかがすいてきた。
今まで食事は次女が東京から予約していてくれたが、3日目はどこに行くか当日になっても分からなかったため、歩きながら探す。
ちょうど町中華ならぬ町カレー屋があってナンのランチセットが800円くらいだった。懐石京都も酒蔵伏見も関係なかったが空いていたので入った。インド料理ジョティという店で、メニューの裏を見たら支店が(関西にないのに)蓮田とか東大宮にあり面白かった。
13:22 
食べながら今後の予定を話し合う。
もう朝の伏見稲荷のあとは行き当たりばったりになっている。
私は50回以上通った懐かしい京都リサーチパークに行きたかった。家族はのんびりお茶でも飲んでいたいという。そこで16時ころ東本願寺で待ち合わせることとし、再び分かれることにした。

みな京都駅に出るのだから一緒に行けばいいのだが、彼らは一番近い近鉄の駅から電車に乗り、私はJRで丹波口まで行くので電車賃の安い桃山駅まで歩いた。

桃山駅は明治天皇陵ができてから戦前は参拝客が多く、玉砂利の参道まで駅前広場だったということで、その痕跡もあるという。11:20に家族と合流したときは見る時間がなかったが、13:53 再び駅に来た時もそんな時間はなかった。


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