2022年8月11日木曜日

京都20 京都リサーチパークと野間プロジェクト

3月19日、定年退職を前に家族で京都を旅行した。

2泊3日の最終日は伏見に来て、昼食後家族と別れた。

2003年から2005年にかけて50回近く通った京都リサーチパークにいくため、13:55に桃山駅を発ち京都駅に戻る。

2022‐03‐21 14:10 
京都駅、嵯峨野線(山陰本線)ホーム 亀岡ゆき

初めてこの電車に乗ったのは、2003年8月27日。
京大生理学教室の野間昭典先生が細胞・生体機能シミュレーションプロジェクトを立ち上げられた。国から多額の予算を引き出すにあたり、国民への還元、実用性をうたうため、創薬に役立つと宣伝され、その裏付けとして製薬企業7社の協力を取り付けた。

田辺製薬からは私が派遣されることになり、野間先生へのあいさつのため、窓口となった研究企画室の高木勉さんとこの電車に乗ったのである。

その後、9月30日のキックオフミーティングを海外出張のため欠席したら、1か月ほど声がかからず、こちらから連絡して11月5-7日からプロジェクトチームに参加、業務を開始した。
以後、2005年10月23-25日までこの電車で月に2回ほど通った。

京都リサーチパーク(KRP)は嵯峨野線で一つ目の丹波口にある。
初めて乗ったとき、京都駅から出るとすぐ、高架から梅小路の蒸気機関車がみえ、高木さんが「むかし息子を連れてきたなぁ」と懐かしがられたことを思い出す。
高木さんは優秀、スマートな方で、以前から存じ上げていたが二人で話すのはこの時が初めてだった。感じの良い方で嬉しかった。同じつとむという名前であったから、余計にそう思ったのかな。

電車が走り始めてすぐ丹波口だと思っていたら、梅小路京都西駅という新駅ができていた(2019年開業)。1972年にできた梅小路蒸気機関車館が2016年に京都鉄道博物館となり、その来場者のためだろう。

懐かしい丹波口駅に到着。
14:17
丹波口駅
丹波口という住所はなく、京七口の一つ、丹波口付近にできた駅だから名付けられた。
(ほんとはもう少し南の七条にあった)
嵯峨野線はかつての平安京の中央を貫いた朱雀大路の跡を通っているから、ここが京都の出入り口というのはおかしな話だが、都が東に動き、秀吉がつくった御土居の西辺がこのあたりを通ったことから七口の一つになったのである。
14:19
17年前、駅構内にはカニ食べ放題など北陸、山陰へのツアーのポスタ―が多かった。
なじみのない地名、風景写真を眺めていた当時とほとんど変わっていない。

14:19
改札を出るとすぐ五条通り
駅の西隣、京都市中央卸売市場を左に見ながら西に歩く。

細胞・生体機能シミュレーションプロジェクトの目的は、今まで細胞、臓器、丸ごとの人体で実験してきたことを、前もってコンピュータ-シミレーションで結果を予測できるように、そのシステムを開発することだった。
具体的には細胞や臓器をコンピューターの中で再現し、自由勝手に条件を変えても適切な結果が得られるように、バーチャル細胞、バーチャル臓器という「プラットフォーム」を作り出すことである。

しかし人体、臓器を作り出すことは難しい。比較的簡単な心臓であっても、心筋細胞を1000*1000*1000の3次元に並べると(全部で100万個)、それらの細胞が相互作用しているとすれば、1回の収縮に一晩の計算が必要だった。

そこで、臓器、人体はだいぶ先の目標としつつ、当面は細胞1つを作り出すことに野間プロジェクトの17人の研究員が取り組んだ。(心筋細胞、腸管上皮細胞、すい臓β細胞の3種)

とはいえ、細胞1つであっても複雑である。酵素、チャネル、イオン、微量代謝産物など、細胞の機能を維持している成分は無数にある。それらは他の成分と相互作用しながら時々刻々と変わっていく。しかし、もしその変化の速さが、(他の成分との相互作用も含めて)数式で書ければ(連立微分方程式となる)数学的には解けなくても、コンピュータでは近似的に解ける。解くというのは、任意の時点の各成分の量が明らかになることであり、生命現象をコンピュータで再現できることを意味する。

最初にこれを行ったのは1950年代のHodgkin-Huxleyらによる活動電位の再現だった。彼らは手回し計算機を使った。1980年代になりパソコンが使えるようになると、Nobleが細胞膜で外と中を区切り、バーチャル細胞を作った。1990年代終わりには慶応の富田勝らがさらに精巧なE-Cellを作った。

歴史的に、生物学はミクロの方向にどんどん進み、細胞の発見につぎ、細胞内小器官をしらべ、遺伝子や酵素、微量成分の性質など明らかにしてきた。しかしそれら「部品」をいくら詳しく調べても人間の理解はできない。そこで逆方向の、すなわち今まで実験で得られたミクロ成分の知識を再統合させる、すなわち分子の集合から細胞を理解していく試みの重要性がでてきた。バーチャル細胞の作製は、その意味もある。

野間先生は長い間心筋細胞のイオンチャネルを調べてきたが、2000年ころからイオンチャネルなどの挙動をコンピュータで再現し、バーチャル心筋細胞を作られた。すなわち、各成分の微分方程式を近似的に解き、再現する過程をVisual Basicでプログラミングされたのである。

この心筋細胞をさらに精巧にする一方、消化管吸収のモデルとなる上皮細胞、神経伝達物質分泌のモデルとなる膵臓β細胞をつくるのが、野間プロジェクトであった。
それぞれの細胞はイオンチャネル系のほか、解糖系、TCAサイクル、脂質β酸化などエネルギー産生系を共通でもち、心筋なら収縮、上皮細胞なら吸収、膵臓ならインスリン分泌をするように、すなわち生身の細胞と同じ挙動を示すようプログラミングされていった。

14:22
五条通と七本松通の交点。
南西の角にあったレストラン「かごの屋」は誰かの歓迎会で食事したことがあるが、不動産屋になっていた。今調べたら、2019年に閉店、2021年に西隣にできたKRP10号館に復活オープンしたようである

丹波口駅から5分。
上の写真左のビル、京都市下京区中堂寺粟田町93 京都リサーチパーク4号館8階の2部屋が我々の仕事場だった。

このプロジェクトは
・慶應義塾(リーダー:末松誠)
・京都大学(野間昭典)
・神戸大学(清野進)
・大阪大学(倉智嘉久)
の合同で2003年から2007年まで5年間35億円のプロジェクトであったが、京大野間プロジェクトが一番大きく、成果も具体的であったと思う。

野間先生はほとんどの国内製薬企業に声をかけられたらしいが、シミレーションはまだまだ夢物語で、創薬に役立つとは考えられず、まともに検討した山之内、藤沢、第一、エーザイ、大塚などは参加しなかった。
しかし、企業はほとんど研究費を使わずに済むこと(各企業は年間50万円程度拠出)、一人派遣すればいいこと、最先端の分野に紐をつけられること、などから「おつきあいとして」7社が参加した。

参加企業7社のうち、三菱ウェルファーマ(斎藤)、住友化学(寺島)、日本新薬(朝倉)、塩野義(中井)は研究員が常駐(フルタイム)、武田(濱田)は週3回、三共(阿部)は当初は月に6泊7日を1回だったが1か月滞在することもあった。

田辺製薬だけ1泊か2泊を月2回であり、熱意があったとは言えない。

これは他社が20代から30代前半までの有能な研究員を送り込み、内地留学として新しい分野で論文を書かせ博士号をとらせようとしたのに対し、田辺はいざ人選となると各研究所、各プロジェクトから働き盛りの有能な若手を出す余裕がなく、その結果、ふらふらしている47歳の私に話が来た。電気生理が分かり、数式がいじられるから、適当に野間先生やプロジェクトメンバーと付き合っていけるだろうという研究所の思惑があった。
しかし年寄りの私は出世にも研究にも冷めてしまっていて、新しい分野でバリバリやっていく熱意がなく、もちろん単身赴任、常駐もしたくなかった。そこで2泊3日の出張を月2回くらいで勘弁してもらったのである。

ところが、他社の研究員より1か月以上遅れて参加すると、各人パソコンに向かって黙々とプログラミングしたり、チャネルのコンフォメーション変化の数式を作ったりしている。他の人が何をやっているか分からないほど遅れているのに、月2回では追いつかないどころか差は開く一方だった。

大きなブースにノートパソコン1つとデスクトップ1台(モニター2つ)と当時としては恵まれた作業環境が与えられた。しかし2週間ぶりに行くとPCの交換、部屋替えなどでネットやプリンターの接続を設定しなおしたり、プログラミングのためのアプリをインストールしなおしたり。また、セミナーと会議、勉強会を私の出張に合わせてスケジューリングしてくれるため、イベントでも時間をとられ、月2回の出張ではほとんど実質的な作業ができなかった。

各人は自分の目的とする細胞を作るのだが、他人が新たに作った機能(Kチャネルとか、水移動とか、脂質のβ酸化とか)を借りてきて自分の細胞に移植することがある。すなわちチームとして作業するのに便利なようにEclipseというプラットフォームでプログラミングすることになった。私はVisual Basicは使えたが、EclipseのJAVAは初めてだった。それなのに出だしで遅れて、さらに学習・作業時間が短いときて、完全に落ちこぼれた。

そこで開き直り、新しい細胞を作るのではなく、今まで作られたバーチャル細胞の利用法を考えることにした。すなわち、シミレーションを使って実験では得られない新しい知見をえる。これならアイデア勝負となり短時間で勝負ができる。

具体的にはNa-Ca exchanger不全(致死性)に陥った心筋を、救出するにはどうしたらいいか、CaポンプやCaチャネル活性を変えるシミレーションを行い論文化した。これはこれで(まだ製薬企業が本気にならない)シミレーションが役に立つということを示すので野間プロジェクトでも重要なことだった。

他社研究員とは年齢差、熱意の差は明らかで、彼らはヘッドホンで音楽を聴きながら夜中までプログラムコードをいじっていたが、私は遅くとも20時には帰らせてもらった。
当時の私の興味は仕事ではなく、神社仏閣巡りと始めたばかりの競技ダンスだったから、夜に京都のダンスサークルを覗いたこともあるし、朝は古都の名所を歩いた。

14:24
セブンイレブンのあるKRP4号館前の道路

KRPは大阪ガス京都工場跡地を再開発したもので、1989年オープン。ベンチャー企業が多く入居した。入居企業の交流を深める新年立食パーティなどもあった。
(2010年(平成22年)には9号館まで建設され、2019年で約500社、5000人が働くという)

2003年、入居企業はどんどん増えたがレストランがほとんどないため、昼時になるとキッチンカーや弁当屋さんの車が前の通りに多数並んだ。我々は12時になるとパソコン画面から目を離し、エレベーターで8階から降りた。弁当など誰かひとりがまとめて買いにくればいいのだが、頼むのも悪いし、貴重なおしゃべりの時間でもあり、ぞろぞろおりてきてお目当ての車の行列に並んだ。

非常に安くて(たしか380円?)おいしかった。関東ならハンバーグ弁当、空揚げ弁当をかうとメインのおかずの他は漬物とかスパゲッティ、千切りキャベツなど手抜きのものばかりだが、こちらはハンバーグ弁当であっても小さなフライ、魚の切り身とか何種類もの野菜の煮つけとか、少量ずつ多種類のおかずが詰めてある。こんなところに京都の底力を見た気がした。

14:25
このコンビニも19年前と変わっていない。休日や朝8時前、KRP4号館の正面玄関はしまっているから、コンビニ横の階段から地下に降り、地下のエレベーターから8階に上がった。もちろんIDカードがないとオフィスには入れないが。

この日は祝日、8階にあがれないかなと地下に降りてみたが、建物内には入れなかった。

8階は最上階で、プログラミングに疲れると階段を上がって屋上に出た。大文字焼の山々が見えた。1999年に始めた社交ダンスは競技会を目指して熱中しているころで(2004年9月に公式戦デビュー)、この屋上でシャドウ練習すなわち一人でステップ、コリオグラフィーを練習した。

バーチャル細胞を使ったシミレーションはその後製薬会社で使うことはなかったが、大学に転職したとき卒業研究で大いに役立った。
私の研究室は予算、装置がなく、また私と学生の間に立ち先輩としてアドバイスできるスタッフ、大学院生もいなかったため、培養細胞や動物実験は不可能であった。こんなときバーチャル細胞を使って病態を作り出し、それを治すためのシミレーションは、今の6年制薬学部にぴったりだった。
(すなわち5年生は実務実習にいくため、まとまった実験時間が取れず、細胞、動物の世話ができない。先輩である6年生は国家試験の勉強のため一緒に5年生と研究しない。)
シミレーションは実習中に家でもできるし、放っておいても危険なことはないし、いざとなったら短期間で結果が出る。

しかし本当は、実際の生体組織を使ったウェットの実験と、理論と合うかどうか検証するシミレーションを両方やってこそ、良い研究なのである。

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