2024年3月13日水曜日

横浜国大2 ゴルフ場の跡、理工学部と国防研究

2月26日、横浜国大に行った。

横浜国大 
左下がグラウンドと正門、横浜新道
右上が羽沢横浜国大駅
2024₋02₋26
13時ころ北門から入り、緑多いキャンパスを歩いて予約していた大学資料館に行き、広報の方にいろいろ説明してもらった。このとき、かつて存在した程ヶ谷カントリー倶楽部の遺構、当時のクラブハウスが図書館の南に残っていると伺い、行ってみた。
14:46
教育学部別棟
なぜか入り口に土嚢が並べてある
入り口庇など、確かに他の校舎とデザイン、古さが違う。

程ヶ谷カントリー俱楽部は1922年(大正11年)オープン、東京ゴルフ倶楽部駒沢コースの開場8年後のことだった。戦時中は他のゴルフ場が軍に接収されたが、ここは農作部を設け、ジャガイモや野菜などを栽培した。
戦後は米軍に接収された。1951年にようやく日本人会員のプレーが限定的に許され、米軍の優先的使用は1953年まで続いた。

グラブハウスは1950年米軍の失火で焼失、1953年再建された。

その後、ゴルフ場の周囲は民家、学校、アパートなどに囲まれてしまったため、1964年、奥地の現横浜市旭区に移転が決定、1967年移転先でオープンした。
14:43
「教育相談・支援センター」と入口看板があったが、あまり使われていない様子。
14:44
というか雨漏りしてるし。

横浜国大は、前身の横浜高商、横浜高工、横浜師範など旧制各学校の場所で各学部として発足したからまとまったキャンパスがなかった。1967年、ゴルフ場跡地を購入、キャンパスを造成し、1979年移転を完了した。私が学部を卒業した年だから、キャンパスの場所を知らなかったのも無理はない。
14:44
クラブハウスは、キャンパス造成中には工事関係者の人の休憩場所だったのだろう。
階段はあるが(いまは)平屋である。

未だ昼食を食べていなかった。
熱海から横浜経由で羽沢横浜国大駅に12:44に到着、大学に13時近くに来て資料館を見学したから時間がなかった。
大学キャンパスに見学に来たら学生食堂で食べるのは鉄則だが、春休みで営業時間を短縮しているのか、どこも開いていなかった。
大学のまわりにも店はない。
そこで西門近く、第2食堂の隣、理工学部地区のローソンに行った。
15:02
ローソンのイートイン
サンドイッチやおにぎりもあったが、300円程度のカップ麺を買ってお湯を入れて食べた。
お湯のポットは3つ並んでいた。
イートインスペースはちょとした食堂くらいあり、
飲み残しの汁を捨てるバケツもあった。
これは素晴らしいアイデアの施設だと思った。
学食とは違ってたった一人の店員がいるだけでよい。学生たちはセルフで1日中食事ができるし、ローソン側も大した人件費をかけずに売り上げを期待できる。

カップ麺を食べ終わり、理工学部を見学した。
キャンパスの西半分を占めている。
K氏の案内でローソンの隣、船舶海洋工学棟にいく。
15:33
錨、スクリュー。
こういうものは実物を置くだけで芸術的モニュメントになる。
15:34
船舶工学の校舎らしく入口ロビーに船の模型があるが、ママチャリの持ち主に邪魔者扱いされている。
子どもを乗せるようになっているから、教員のものだろう。
15:34
こちらの模型も扱いがずさん。
ガラスケースには「台車を使用した後は元の場所にもどしてください」と貼り紙が。「元の場所」とは模型の前だろうか、きちんと並んでいる。ケースには他にコロナ5類移行のお知らせ、2023冬の省エネキャンペーンなど色々貼って合って船が見えない。いつも見ている人にとっては精密な模型や、先輩の業績、伝統なども有難味がなくなり、邪魔者にさえなるのだろう。
15:35
流しのある部屋にも自転車
管理の緩い、自由な大学らしい。
15:35
構造実験室にいってみた。
15:35
ここにも自転車。駅から遠いキャンパスはこれが必須なのか。
建物の前は、指定された駐輪場以外は置けないから、建物の中に入れたのだろう。廊下を乗っていたりして。

工学部の実験室というのは、試薬棚、流しのついたキッチンのような実験台が並ぶライフサイエンスの研究室の風景と大きく違う。
15:35
雑然とした感じが大学らしくて良い。

2階に上がってみた。
15:42
タンカーの建造中、航行中の写真もやはり無視され、その前はぶら下がり健康機。

K氏はロボットの群制御を研究しているようだが、そちらの研究棟にもいってみた。
15:50
こちらの入口ロビーは自転車もなく少しすっきりしているが、学生の研究発表の場と化している。
15:55
研究室のあるフロアの風景は圧巻だった。
入り口ドアの部分を除いて、壁全てに研究発表ポスターが飾ってある。
よく考えれば合理的だ。つねに他部門の人にテーマを紹介、討論できるし学生の励みにもなるだろう。
15:59
K氏の研究に近いドローンの群制御の研究もあった。
16:09
西門から出て振り返る。地味だが、良い大学だと思った。
この後バスで横浜駅に出て、ジョイナス名店街でスイーツを食べて帰宅した。

ちなみにK氏は防衛装備庁の次世代装備研究所でロボットの研究をしているが、自宅は東京北区の王子。南北線で東大工学部がすぐ近くである。しかし東大は戦後ずっと自衛隊、防衛省が嫌いで共同研究などを一切しない。そこで防衛省は研究員を派遣するにあたり、伝統的に筑波大学と横浜国大に頼むしかなかった。研究テーマよりも大学で制限される。彼ははるばるいくつもの路線を使って通った(もっとも幸か不幸かコロナで在宅研究が主だったようだが)。

後日、私は防衛技術協会ヒューマン防護部会(2024₋03₋07、市ヶ谷)の発表を聞く機会があった。演者の一人が毒ガス検知システムの開発プロジェクトについて説明した。経済安全保障の枠組みで国が進めようとしたのだが、東大と日本学術会議に妨害の動きがあったらしい。東大は一方で中国人留学生を無制限で受け入れ、情報は筒抜けである。そもそもほとんどの科学技術に軍用と民生用の線引きは難しい。要するに東大などは憲法9条を盾に自衛隊の存在を認めたくないのである。

戦後のおかしな左翼思想は、いまだサイエンス(論理的思考)を上回っていることに驚いた。ふつうの国でこういうことがあるだろうか?

研究者の中には、この世に中露北鮮、災害がある限り、軍民協力が双方の利益、また日本の平和に寄与すると思う人もいるだろう。それを大学として反対するのは、大学の国家からの自由(?)を守るというよりも、研究者の自由、国民の利益を阻害していないだろうか?
人間の思想、正義は厄介なものだ。

(続く)

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