2025年1月20日月曜日

クルーズ4 名古屋、駿河湾、土佐沖、広島まで

初めてクルーズ船は、私的な旅行ではなく社交ダンスのアテンダントしての業務乗船だった。

横浜発着の飛鳥II、3泊4日の名古屋クルーズ。

1月8日、横浜出航、1月9日朝、目が覚めると名古屋港。

熱田神宮に行った後、船でおいしくて無料のお昼ご飯を食べようと、早めに名古屋観光を切り上げ帰って来た。
2025₋01₋09 12:29
12階デッキからみる名古屋港
名古屋港 金城ふ頭

飛鳥II は、1月9日夜、ダンスパーティをしている21:00に名古屋を出港。
夜、東に走り続けた。
2025₋01₋10 7:38
朝、目覚めると富士山が大きく見えた。
今まで見た中で一番きれい。

来るときは一晩で横浜から名古屋に来たのだから、本来なら朝、横浜についてしまう。
しかしこのクルーズは初春の富士山を見せることを売り物にしている。

10日朝、左舷の陸地から朝日が昇っている。てっきり静岡県の南を通っているから太陽は進行方向から上がると思っていたが、よく考えたら陸上と違って、静岡県の南海岸に沿って東に行けば駿河湾の奥で伊豆半島にぶつかる。だから、船はどうも伊豆半島の西岸を南下しているようで、朝日は伊豆の山から上がったのである。

アスカデイリー1月10日 
この日はどこも寄港しない。一日中、駿河湾と相模湾で富士山を見ながら食事と映画などで過ごす。全員が船にいるから午前と午後に45分ずつダンス講習会があり、夜はパーティ。我々は21時から2時間、お客さんのお相手をする。
それ以外はフリーなので、船内をうろうろした。

2025₋01₋10 9:11
11階 パームコートからの富士山。
ノートパソコンを持ってきたので景色を見ながらブログを書く。

それにしても、この富士は美しい。地上だとどうしても建物があって見える部分は途中から上だけだが、海上からだと海抜ゼロメートルからの稜線が見える。

そのうち、他のところにも座りたくなり、となりのビスタラウンジに引っ越した。
9:41
11階 ビスタラウンジ
ここでもネットをしていると、ウェイターが来てくれて、ホットココアを頼んだ。

飛鳥IIは午前中いっぱい駿河湾を10ノット(時速18キロ)でぐるぐる回り、右舷の人も左舷の人も、部屋にいる人もリドガーデンにいる人も、いながらにして色んな角度から富士山が見えるよう、飛鳥は大いにサービスしてくれた。

急いで目的地にいくのでなく、乗っていることを楽しむ。

そのうち昼には伊豆半島、石廊崎をまわり、今度は少し小さくはなるが、相模湾からの富士山を見せてくれた。午後のダンス講習会(16:00₋16:45)が終わったときも左舷に伊豆の山越しの富士が見えた。

この日は17時過ぎはドレスコードがカジュアルでなくてインフォーマル、すなわちおしゃれする。連日ダンスに来るご婦人をみていても全員がドレスを毎日変えていることが分かる。これでは荷物が増えるわけである。
2025₋01₋10 23:49
部屋のテレビにこの日の航路と現在地が出る。
飛鳥はこの日、南から駿河湾にはいり、左回りで二回転した後、今度は逆回りで1回転し、伊豆の西を南下した。
相模湾でも日付が変わるまでに複雑な運動をしている。

モニターに「フェリーしまんと」と「にっぽん丸」の位置がうつっている。
2025₋01₋11 7:22
夜が明けると横浜のすぐ近くまで来ていた。
にっぽん丸はまだ相模湾にいる。

三井オーシャンクルーズのにっぽん丸は、「新春のオペラクルーズ」と称し、1月10日17:00横浜出航、駿河湾までいき、12日9:00に横浜帰港の2泊3日ツアーである。
初日の飛鳥のように、まっすぐ行ったら駿河湾など簡単に通り過ぎてしまうから、夜通し相模湾でぐるぐる回ったのであろう。
7:24
富士山が見えた。
グーグルで現在地を見れば、根岸湾を過ぎ南本牧ふ頭の沖であった。
まだ横浜港には入っていない。

8:30 横浜入港
部屋の窓からみなとみらい地区が見える。
手前は海上保安庁船のヘリコプター2機搭載の巡視船「あきつしま」

2025₋01₋11 9:22下船

乗客は10階から順に放送で案内され、5階に降りてきて、クルーの笑顔の挨拶を受けながら下船していく。横のピアノバーの前では飛鳥乗船バンドの一つ、ラグーナトリオが音楽を奏でる。
大型モニターでは、オフィサー、マネージャークラスの乗務員が勤務場所でお別れ・乗船御礼のあいさつ文をスケッチブックに書いている姿が映し出されている。
ホテル部門、料理部門だけでなく、営繕、機関など、乗客の目に見えない部門のマネージャーも登場する。
最後に笑顔で掲げた手書きの文章がまた良く、生演奏の音楽と調和し、乗客は下船を忘れてソファで大画面を見入っていたりする。だから下船口が混雑することはなく、最後まで全体が優雅な空気になっている。
9:26
私は乗客全員がおりて、挨拶に並んだスタッフが解散するまで、7階のデッキで下船する乗客を見ながら時間をつぶした。
9:45
下船して桟橋側から飛鳥を見る。
こうして私の最初のクルーズが終わった。
大さん橋は鯨の背中をイメージして設計されたらしい。
10年前ダンス競技会に来たときは1回戦で負け、早く終わったのでここで芝生と板の境に座って(芝生は立入禁止)持参のお昼を食べたことを思い出す。
9:50
この日は横浜市役所で無料Wifiにつなげたり、懐かしいパシフィコ横浜などにいったあと、14時ころ船に戻り、夕方、2回目のクルーズに出発した。
今度は3連休を利用した1/11-13、
2泊3日の駿河湾クルーズ。
17:00出航はいつもと同じ。
天気は今一つで朝起きると曇っていた。
11階に上がると、夜雨が降ったのか、プールサイドの木のデッキが濡れていた。
2025₋01₋12 9:37
11階のパームコートから陸地が見えたが伊豆半島ではなさそう。
モニターを見ると船は相模湾から伊豆大島の東を通って南下していた。
スマホのグーグルマップで現在地を確認したら、右舷に見える陸地は新島だった。

この日は冬の太平洋側としては珍しく天気が悪く、駿河湾に入っても富士山は見えなかった。
19:21
夜のパームコート
我々のダンスパーティにも来てくれる5人組フィリピンバンド「ナマナ」が演奏していた。
しかし夕食時のせいか昼より人が少ない。

2025₋01₋12 23:53
駿河湾クルーズで飛鳥のここまでの航路
1月11日夕方横浜出航、夜通し相模湾で時間をつぶした後、12日朝、相模湾から南下、大島の東で旋回したあとさらに南下、式根島と神津島をとおって北上、駿河湾に入った。

そこで旋回を続けた後、モニターでは伊豆半島の南まで来たところである。

この季節、珍しく富士山が見えず、乗客にとっては残念なクルーズであった。
私はダンスで疲れ、日付が変わってすぐ眠りについた。
2025₋01₋13 7:17
朝目覚めると二回目の横浜入港
みなとみらいのビル群に朝日が当たっていて違和感を感じる。
太平洋側は海が南という先入観がなかなか抜けず、大さん橋やみなとみらいは南に飛び出ている感覚があるが、横浜は海が北東を向いている。

これで私の2回目のクルーズが終わった。

1月13日は下船して
山下公園の氷川丸(博物館)を見物した後、横浜市役所で無料wifiを使い、14時ころ船に戻った。

3回目のクルーズは、1/13₋18の5泊6日。

3回のクルーズのパンフレット価格を見ると、一番安い部屋で1泊あたり6~7万円(税込み)。高い部屋で1泊あたり31万~35万円のようだ。

13日、17:00横浜出航
14日は太平洋を終日航海。
2025₋01₋14 9:55
12階から。右舷にみえる陸地は紀伊半島

2025₋01₋14 13:23
11階 パームコート
ステージはフィリピンバンドの「ナマナ」
英語の歌はさすがに上手い。
飛鳥は室戸岬の東の沖。

14:14
みえる陸地は室戸岬。尖っている部分を少し過ぎたところ。
パームコートは南国をイメージするようヤシの木が真ん中にある。

その後、飛鳥は足摺岬をまわって豊後水道から瀬戸内海に入った。

2025₋01₋14 18:05
6階 ショーステージ「ギャラクシーラウンジ」
この日は由紀さおりショー
お客様ファーストなので我々は邪魔にならぬよう、最後列で鑑賞する。ウェイターが席のあいだを周り、飲み物をサービスしているが、もちろん我々は手を出さない。

最初の外国の歌2曲はフィリピン人バンドのボーカルのほうがうまいと思った。続く、りんごの唄、ここに幸あり、青い山脈の3曲は、乗客の年齢層を意識したものだろうが、カラオケの普及した現在は、歌の上手い人が増え、特に彼女の優越性は目立たない。

しかし自身のヒット3曲は良かった。懐かしくて口ずさみたくなった。
「手紙」1970:死んでもあなたと暮らしていたいと・・・
「生きがい」1970:今あなたは目ざめ煙草をくわえてる、早く起きてね・・・
「ルームライト」1973:あなたが運転手に道を教え始めたから私の家が近づいてしまった・・・この作詞岡本おさみ、作曲吉田拓郎のコンビは、翌年森進一の襟裳岬もヒットさせた。

そしてデビュー曲の「夜明けのスキャット」は素晴らしかった。
ちなみに、高嶋ちさ子の父、高嶋弘之はビートルズの日本での仕掛人として有名だが、夜明けのスキャットにも関わっていたらしい。この曲は歌の一番がルールールルルばっかりで歌詞がなく、ほとんどのレコード会社がキワモノとして躊躇したが、彼はちょうど、おらは死んじまっただーの「返って来た酔っ払い」をプロデュースしたあとで、面白いと言って、取り上げてくれたと、この日、由紀さおりが話した。タイトルは高嶋の命名という。
しかしまた、由紀は別の機会に、STVラジオディレクター竹田健二が札幌のラジオで連日流して大ヒットにつながったと言っている。

ちなみに、いずみたくのこの曲はサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の盗作ではないかという騒動があったそうだが、田舎にいた子供はそんなことも知らず、素直にいい曲だと思っていた。

コメディアンとしての活動もあるから話も面白く、45分のコンサートはあっという間に終わった。

豊後水道の通過はいつだったか分からず。
2025₋01₋15 7:44
朝目覚めると(部屋は左舷)大きなホテルのようなビルが見えた。
スマホで確認すると宇品島のグランドプリンスホテル広島のようだ。

7:47
クルーズターミナルの宇品外貿第5バースが近づく
Berthは船が安全に停泊、円滑な操船、荷役が出来る水域を表す。似た意味の桟橋は陸上スペースをさす。
8:29
いつも朝食は5階のフォーシーズンズで和定食を食べていたのだが、この日は11階のリドガーデンに行く。サラダコーナーで椰子の新芽(パルミット)というのが珍しく、写真に撮った。英語でHeart of palmというからヤシの芯という意味か。ホワイトアスパラガスのような味がした。両方とも単子葉類ではあるが。
9:29
下船し、広島の観光に出かける。
港から出るとき、交通整理の係のように見える人から乗船証の提示を求められた。
入出国管理だろうか。
9:32
港ではたいていの建物より飛鳥のほうが大きい。

このあと広電(路面電車)の海岸通という駅まで歩き、広島市内に向かった。

(続く)

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