2017年3月23日木曜日

炭団坂、菊坂、鐙坂

3/20の続き。
高倉仁史氏とふるさと歴史館を出ると、真砂図書館の横に大きなマンションができているのに気が付いた。
ここは低層の住宅地だとばかり思っていた。

すぐに炭団坂上に出る。
何回も来たが、一番印象に残っているのは1993年1月2日。
皇居一般参賀の後、北の丸、水道橋を経てここまで歩いてきた。
坂の上から菊坂台を眺めると、落ち着いた家々が静かに日を浴びていた。
開発から取り残されたように、木造瓦葺の家々がまだあった。
あれから24年。
いろいろあった。 
大分変った坂上からの景色を見ながら、人生は分からないものだと思う。

2017-03-20
左側の崖上は明治17年から坪内逍遥が住み、明治20年に同じ町内に移転した。その後、伊予松山の久松家が同じ場所に藩の子弟のために常盤会寄宿舎を建て、正岡子規も3年いた。そのころ崖下に樋口一葉がいた。

2017-03-20梅の香をあつめておくれ窓の風 子規

93年正月、梅が咲いているはずはないのだが、似合う景色だった。
すでに私は自分からは年賀状を書かなくなっていたけれど、この年、来た人への返事に、梅のイラストとこの句を書いた。

階段を下りて菊坂と並行する下道を左折。
写真を撮らなかったので2016年1月のものを載せる。
2016-01-17

2016-01-17

有名な一葉の井戸がある。
民家のすぐ軒先なので行くのは毎回憚れるが、高倉に見せたくて、そっと入っていく。


2016-01-17
井戸の先にある木造家屋は近づくのが憚れ、一度も階段を上がったことはなかった。
ところが2017年のこの日、高倉はすたすた登って行く。
私もついていった。

木戸をくぐり、家の間を抜け、崖の下を右にそっと歩くと、鐙坂の上に出た。
金田一京助、春彦旧居跡の看板を見ながら降りる。
鐙坂 2017-03-20
形が鐙に似ているからとか、鐙を作る職人がいたとか諸説ある。
左(西)の高台は高崎藩大河内家、松平右京亮の下屋敷があり右京山といった。
明治になって草ぼうぼうとなり、一葉が虫の音を聴きに登ったとか。
その後、陸軍本郷連隊司令部になった。


菊坂に戻ると伊勢屋質店は工事中だった。
2017-03-20
売りに出されマンションになるところを買い取って保存した跡見学園は素晴らしい。
少子化で大学はどこもイメージアップを狙っているが、こういう試みは品があっていい。
応援したい。
2016年1月に移した写真を載せておく。

2016-01-17

2017年、この後、ふたたび菊坂の通りと平行に走る下の道に降りた。
何で平行なのだろうと思って、ふと気が付いた。
この地形なら川があったはずだ。千駄木と谷中の境の愛染川(谷田川)と同様、川の両側に道ができたのだろう。
2017-03-20
菊坂側の崖にへばりつくように一列に立つ家々は、いかにも暗渠の上に立っているように見える。

菊坂の景色はいつまでもつだろう?
文京区のお役所は一番開発が熱心だから、心配である。
2016-01-17 
2015年9月に廃業した菊水湯のあと
上2枚は2016年1月に撮影したもの。

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