2017年3月13日月曜日

九段会館と清水門

月曜朝、東京法務局に行くのに、九段下の方が近いのだが、地下鉄神保町で降りた。
斜めに近道しようと思っていたのに、高速道路の下に日本橋川があって近道できず。
結局、俎板橋を渡って九段下まで歩いてしまった。

正面に大鳥居、昭和館、左折して九段会館。

昔の人は軍人会館と言った。

戦後進駐軍の宿舎に使われた後、国から遺族会に無償払い下げしようとしたが、不動産取得税が払えないため無償貸与されたという。九段会館と名前を変えて宴会などに利用された。

私も1983年結婚式場を探していたころ、下見、見学で中に入った。
はっきり覚えているのは薬理に転向したころ、1988年ころかな、ここで細胞内Ca動態のシンポジウムがあった。これから研究者としてやっていこうという時期だった。


東日本大震災で被災、閉鎖に追い込まれ、遺族会から国に返還された。
今も門は閉まっている。
廃業からずいぶん長い。保存、活用するなら、早く何とかしないと、どんどん傷み、このままだと壊されてしまう。


法務局から出てくると、道路の向こう、正面の清水門が目に入った。
田安門は武道館で大きなプロのダンスの競技会があるので(観戦に)しょっちゅう行くが、この門は初めて。


当たり前だが、清水門、田安門とも、清水家、田安家が中にあったから門の名前になったわけではなく、門の名前が先にあった。江戸城以前に清水寺があり、北の丸に取り込まれた時に門の名前に残ったという。(田安門は、田安大明神があり、そこから北へ行く道があり田安口といった)。


舗装されて人通りの多い田安門と違い、砂利道、雑草が生えていて、地方の城みたい。
しかし規模の大きさと人の少なさはそれらと異なる。高麗門をくぐると渡櫓門がある枡形門である。暖かくなれば端の方にタンポポでもありそうな、石垣からスミレでも覗きそうな、そんな場所だった。
明暦の大火(1657)で焼け、翌年再建された。
桜田門、田安門とともに国の重要文化財である。
高麗門を見下ろすと、向こうに合同庁舎群。
大部分の人は働いている。
パンをかじる小太りサラリーマンが下りてきた。
田安門から入って散歩がてらの通勤道かな。


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