2003年、仁和寺から帰るときに歩いた道を、14年ぶりにゆっくり上っていく。
途中オムロン発祥の地という碑があった。以前はなかった気がする。
オムロンの社有地でも何でもない路傍にある。
そう、ここは御室である。
9:42
仁和寺山門。
上り坂だから余計大きく見える。
雨が激しくなってきた。
三段折の小さな傘だったからリックもびしょびしょ、その水が腰に伝わり、下着まで濡れてきた。こんな格好で午後からの会議に出ていいものだろうか。
境内参道の東にある御室会館。
食堂とか土産店が入っているのだが、2003年、ここに泊まったことがある。
二年間の出張中、ビジネスホテルだとつまらないので、宿坊や宇治、奈良、大津、石山などに泊まり、早起きして散歩して、それから仕事場に向かった。
仁和寺のときは、夜山門は閉まっているので東門のインターホンを鳴らして入れてもらった。案内された部屋は小上がりがあって土間の部分に調理できる流しがあった気がする。(15畳くらいの大部屋に一人寝た(と思う)智積院と逆に記憶しているかもしれない)。ちょうど小学校の宿直室のような感じだった。
9:52 金堂への道
素晴らしかったのは朝の勤行(ごんぎょう)。
起こしてもらって金堂に向かう途中、お坊さんが二人、おしゃべりしながら私を追い越していった。応仁の乱について話していた。昨日読まれた本かテレビだろうか。我々と同じようなおしゃべりをすることが意外だった。
金堂は国宝。一般公開されていない。
この中で座り大人数のお経を聞く。そのうち私たちの焼香の番になり、一人ずつ出ていく。その間彼らは伴奏のように読経してくれる。なんと贅沢なことか。
9:55 五重塔
金堂から帰る道、西側に有名な御室桜。背が低い。
2003年は4月7日朝。まだ咲いていなかった。しかし中に緋毛氈を敷いた長椅子が並べられていて、花見の準備が整っていた。
ここに来ると「花は御室(おむろ)か嵐山~」と自然と出てくる。
金沢四高が京都三高と対抗戦をしたときの応援歌だが
長野高校もこれを借りていた。
(大昔、松本深志との定期戦でもあったのかな?)
入学直後の応援練習が厳しくてまだ覚えている。
南下軍
高橋武済作詞・梁瀬成一作曲
ただに血を盛る瓶(かめ)ならば
五尺(ごせき)の男児要なきも
高打つ心臓(むね)の陣太鼓
霊(たま)の響を伝えつつ
不滅の真理戦闘に
進めと鳴るを如何にせん
嵐狂えば雪降れば
いよいよ燃えたつ意気の火に
血は逆(さか)まきて溢れきて
陣鼓(じんこ)響きて北海の
健児脾肉(ひにく)を嘆ぜしが
遂に南下の時到る
花は御室か嵐山
人三春(さんしゅん)の行楽に
現(うつつ)もあらで迷うとき
西洛陽の薄霞
霞にまがう砂煙
蹴立てて進む南下軍
平和はいずれ偸安(とうあん)の
秒時(しばし)の夢に憧るる
痴人始めてよく説かん
丈夫武夫(ますら たけお)は今日の春
花よりもなお華やかに
輝く戦功(いさお)立てんかな
2003年は早朝だったから、公開されていないところに入って、公開されているところに入れなかった。今回は初めて御殿、庭園に入った。
10:04 見えるのは山門
庭の向こうに五重塔。北東を見ていることになる。
10:10
檜皮葺とはこのことか。これを維持するのは大変だ。入場料をとらないとやっていけない。
帰り際、仁和寺御室会館の朝食を思い出した。
ヤナギガレイの干物と湯豆腐だったと思う。
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千駄木菜園 総目次
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