5月27日、笹乃雪を出て、御隠殿坂に行った。
京浜東北線は上野台地の東ふちに沿って北上、電車からずっと崖がみえる。
私の散歩コースといえる一番南の御隠殿坂から、順に北へ、一番近い西日暮里駅の「間の坂」まで、6つの坂をブログに残す。
1 御隠殿坂
根岸から京成線をくぐり、跨線橋の階段を上る。
自転車の車輪用にスロープがあるが、非常に急で、かつ長く、以前自転車を押して上がろうとして途中で力尽き、諦めて戻ったことがある。普通の人は自転車を降ろすときに使えるくらいだろう。
電車が良く見える。
橋を渡り終わって谷中墓地に入る。振り向いて坂の上から。
右が跨線橋へ。
左が昔の坂道。
輪王寺宮が歩いたころ、勾配はどのくらいだったのだろう。
明治時代は、線路が斜面を削って敷かれ、坂を下りると踏切になっていた。相当急な坂だったのではないか? おそらく階段であっただろう。
徳川慶喜の墓や、ウエムラショウゾウはこの坂から行くと近い。
2.芋坂
御隠殿坂のすぐ北、これも谷中墓地から線路に降りる坂である。
坂の下には羽二重団子の店があった。
鴎外が団子を買いに馬で降りたとか。子規、漱石、田山花袋の文章にも出てくる坂である。
谷中墓地から跨線橋を渡らずに左に降りていく。右側、線路との間に小さな児童公園がある。芋坂はZ字状だったのだろうか?
国会図書館デジタルコレクション
江戸切絵図を見ると北側にカーブしているので、今の芋坂は昔と同じ道筋かもしれない。
児童公園に降りても行き止まり。
坂の途中から安立院、天王寺のほうへ上がっていく階段がある。
つい1,2年前まで、坂の左側の崖は、レンガ塀のかけらや石が埋め込まれていた。(下の写真) レンガ塀は震災で出たものという話がある。
一帯は人けがなく、東京とは思えない不思議な風景だったが、今その崖は、すっかり新しくなってしまった。
2013-06-09撮影
半分だけ残った石段を上がって振り向いて写す。
(写真の階段はアパートに入るもので、上がってきた石段は手前にあり、映っていない)
上がった場所には赤い六角堂?があった。
説明も何もなく、これも不思議な景色だった。
(上の2013年の写真には小さく屋根だけ映っている)
今、その場所には保育園が建っている。
保育園の北には大きな老人ホーム「たのしい家 台東谷中」ができていて、あまりの変わり様にびっくりした。
かつてここには正緑荘というアパートがあった。
谷中墓地、寺と線路(崖)に四方を囲まれ、車も入ってこれず、開発の波に取り残されて、いや、暴力的開発の嵐から守られて、ここだけ時間が止まっているように思えた。
昭和50年に東京に出てきたときは、まだこういうアパートがあちこちにあって、切ないくらい懐かしかった。
今ネットを見ると二階建て二棟、80室以上あったという。昭和12年建築当時は高級アパートだったらしい。小松崎茂が住んでいたというが、彼の名前も懐かしい。
以下、2013-6-9撮影したもの
A棟入口
友人の部屋を思い出す。私も古いアパートだったが、これほど大きくなかった。
こちらは裏にあったB棟
すべて消えてしまった・・・・
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