11/22 この日も医学図書館で調べもの。
最近ここの図書館のありがたみが分かるようになった。
老後の散歩のために引っ越したのだが、勉強するにも便利だ。
15時近くになって外に出た。
第2食堂の建物。
右のプレハブみたいな建物、ここは昔、土のバスケットコートだった。
3年生のチームで薬学の運動会の試合に出たが、バスケットは中学以来、最も苦手とする。
1階から3階まで、思えばここが一番世話になった。
1981年就職して埼玉に住んでも、よくここに来た。
当時埼玉で一番大きな本屋は須原屋で、蕨店、浦和中山道本店、コルソ店、とあり、どれも売り場面積は広く、東大生協の何倍もあったが、中高生の学習参考書が多かったり、また似たような本が多かった。もちろん専門書はなかった。
それで土曜日など、わざわざここまで来た。
生協会員証にもなるキーホルダーは退会した81年に返さなかったし、また医学部の研究生になった87年にはまた会員になったから、全ての本が10%引きで買えたことも大きい。
写真の奥、昔と同じ場所にカウンターがある。
手塚治虫や萩尾望都のコミックなど、店内にない本はそこで注文した。
何でも1割引きだったから。
奥は一段高くなっていて、医学書などがあるのは今も変わらない。
昔から他に金を使うところもなかったので、大体1回1万円くらい買った。
そのあと2階の食堂に行って、食べながら少し読んだりしたが、この段階で、買って損した、と後悔するものもあった。
覚えているのは手塚治虫が亡くなったとき、残ったスタッフで書いた伝記コミック。豪華大判上下2冊で確か8800円くらい(あれ?高すぎるな。限定本だったのか、検索しても見つからず)。平積みになっていたからつい買った。しかし上の食堂で読み始めて早速後悔。1週間後に古本屋に持って行ったら半額で引き取ってくれた。
で、その2階の第二食堂に行ってみる。
昔は入り口付近のボックスで食券を買っていたのだが、割と早い時期にカフェテリア方式になり、好きなものをお盆にとり、レジで精算するようになった。
14:30を過ぎていたので営業していない。
3階に上がってみる。
トラベルセンター
ここは昔なんだっただろう? 生協本部?
3階は閉まっていて、歌声が聞こえた。音楽関係のサークルが使っているようだ。
昔はここに学生課があって、アルバイトやアパートの斡旋をしていた。
小さい貼り紙が何枚も貼ってあったボードが懐かしい。
(一時安田講堂でしていた時期もあった気がするが、記憶違いか)
階段を降りてみる。
地下は使っていないのか埃っぽく、ガラクタなどで雑然としている。
ひと気がない。
昔はここにプールがあった。
御殿下グラウンドの地下にきれいなジムとプールができたから、本駒込・日の出湯(→ )じゃないけど、床でも張って他のものになったかな、と思っていると
突然ドアがあいて出てきた職員の人に遭遇。
プールのことを聞くと
「今もありますよ。水泳部が使っています」という。
戸を開けてもらったら、ほんとにあった。
昔、同級生の渋谷雅明氏と水泳大会に出た。
普段教室であまり見ない水泳部の鳴島氏が大会運営側にいた。
渋谷氏は県立福島高校で県大会で優勝したほどの実力者。
私はどうせ勝てないだろうからと、バタフライ50メートルだけ出て4人中4位。
彼は本職の背泳だけでなくあらゆる種目に出て、髭剃り、ナップザック、折りたたみ椅子など、賞品をごっそりとり、ナップザックと椅子を1つづつ私にくれた。(後年、その椅子は息子が小学校高学年になって釣りに持って行った)
競技の中休みで宝さがしというのがあった。
運営側が缶ジュースなどを放り投げ、笛と同時にみんな飛び込み拾うのだ。
一つか二つ拾っただろうか。
このプールは深くて、当時は飛び込み台もあった気がする。
その下は3メートルだか4メートルだか非常に深い。そこにジュースが残っていた。
渋谷と挑戦するのだが、目一杯空気を吸って浮力があるせいか、潜るのも一苦労。あと少し、というところで力も息も尽き、浮上してしまう。でも必死にチャレンジして一つくらいとったのでなかったか。
最後は何本か沈んだままだった。
テレビで海女さんを見るとたまに思い出す。
この建物は残ってほしいな。
二食の北、東大出版会との間の空き地(昔はテニスコート?)
ここで五月祭のとき、スピードガンで球速を測ってくれるサービスがあった。
この装置がプロ野球中継で使われるようになった初期の頃である。
向うにキャッチャーが座っていて、野球の盛んな研究室にいた私は104キロ、エースの博士課程、山本芳邦氏は120キロくらい出したのではなかったか。
二食から中央食堂に向かう通り道。その北にあった理学部1号館が巨大ビルになっていた。
安田講堂の左後ろに見える建物だ。
ずいぶんおしゃれだ。
昔の理学部の写真を撮っておけばよかった。
小柴ホール
新しいものには興味がない。
中央食堂にいってみる。
生協購買部の前には各銀行のATMが並んでいた。
こういうものは室内に入れ、緑地を残すべきではなかったか。
中央食堂は今年の4月にリニューアルしたという。
ここは安田講堂前の地下に掘って1975年竣工、というから入学した年だ。
本郷に来た40年前は新しかったわけだ。
かつて二階部分はショウケースと食券売り場(窓口、自動)しかなかったのだが、客席になっていた。外部の店が入り、椅子も布張り。
1階に降りてわかった。
食券売り場がなくなったのは、中央食堂もカフェテリア方式、レジ精算になったから。
セットメニュー中心でなくカフェテリア式になったのは、グルメな学生や外国人が増えたことが要因だろうか。まあ、供給する側ができるのなら、それでよい。
なるほど、壁画がなくなっている。
抽象画だったから、私はとくに好きではなかったが、有名な人のものだったらしい。
朝8時からやっているから、1987年、薬理の実験で徹夜した時はここで朝食を食べた。
病院に来ている一般の人だろうか、皿からタッパーに移している人もいて、昼とは違う風景があった。
今回はじめてみたが、ハラール対応のコーナーもあった。しかし、郷に入ったら郷に従え、はダメなのだろうか。
留学期間だけ日本にどっぷりつかって、帰国したらイスラムに戻るような人だけ受け入れればいいではないか。
そのかわり、こちらも先方に行ったら向うに合わせる。
それが国際理解ではないか?
いつからこうなったのだろう。
2009年、東大新聞のモニターをやった。月1000円の図書カードがもらえるが、毎週毎週全部に目を通してアンケートを出さねばならず、大変だから8か月で止めた。おかげで当時は在校生よりも学内事情に詳しかったであろう。
そのとき生協食堂がハラール対応するかどうかの記事があった。食器から調理道具まですべて別にしなくてはならないので、施設の点でも難しく、そんなことする必要ない、ダメなら受け入れなければいいと思った記憶がある。
カレー(中)、 スイカ払いで277円 11月22日 15:12
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