2018年11月21日水曜日

ひぐらし、稲荷、与楽寺、幽霊坂、

11/19朝、坂々の写真を撮るため出勤前に歩いた。
西日暮里駅前、開成正門の横から上がる。

「ひぐらし坂」。
ひらがなである。
あまりにも今風なので調べたら、荒川区が平成2年(1990年)住民の要望により命名したという。
左は佐竹の屋敷にあった庭石だろうか。(説明なし)

坂上から西日暮里駅を見る。
田端の切通しが昭和10年完成といわれるのに対し、こちらの完成年はよくわからない。
上野台地、道灌山はこのあたりが一番狭く、また鞍部になっていたから、江戸時代にはまっすぐではないが道があった。
それを徐々に掘り下げ、広げたということだろうか。

道灌山頂上の閑静な住宅街

学園祭や運動会の時は、在校生の家族だけでなく、受験小学生と母親も来て、駅の改札口から歩道橋を経て正門まで行列になる。
門があく前から開成の生徒が整理していて、行列を、渡辺町か、歩道橋からまっすぐのこちらの住宅街まで誘導する。→2017-09-23文化祭

このあたりは外と隔離されていて車も来ない。
区画整理もない。
千駄木、汐見坂を思わせる坂道。
左の開成側に道灌山(縄文)遺跡の案内あり。

板張りのきれいなお宅。
東は崖上から線路を眼下に見晴らしがいいだろう。

電車から見える日能研の入り口がこちら側にもあった。
ここは地上何階になるのだろう。

左は開成グラウンド。
野球部の朝練、ノックの音が聞こえた。
「弱くても勝てます: 開成高校野球部のセオリー」 (高橋秀実)は面白かった。

日能研を過ぎると道は線路沿い。
朝の山手線は満員だろう。

ここから田端駅までずっと崖上道。
山本達郎氏は1970年、西日暮里の駅ができる前、1年間この道で通学した。
ロッテオリオンズの東京球場がよくみえたという。
右下、西日暮里駅前から、つまり相の坂からくる道と合流。
野生の夏みかん、気のせいか道路側に実が少ない。

ここから田端駅南口に降りていく。
山手線の駅とは思えない。

不動坂
南口駅前広場とは思えない。
写真の左が葬祭場。
以前は学習塾だった気がする。
できてしまっても斎場反対の看板がそのままなのは、外すのが面倒なのか、移転するのを期待しているのか。
まあ、自慢できるほど駅近、風光明媚だった自宅の前にこれが来ては、気持ちも分からなくもない。

この日、15分前に家を出たが、いつもの電車に乗れた。

・・・・

少し前だが、10/13夕方 一穂と日野の叔父を訪問の帰り。
開成前を通ると何かの集会。まぎれて校舎に入る。
校内は撮らず、外に出る。
向陵稲荷坂
開成の中学と高校の間にある。
土曜日、暗くなってきたが、まだ残っている生徒がいる。
1クラス、7列7行の49人
坂の名前にもなった稲荷社
秋田藩佐竹氏の屋敷神だった。
しかし、本郷台地でもないのに、なぜ向陵か?
ところで向陵稲荷坂も、ひぐらし坂、夕焼けだんだん、もみじ橋などとともに平成2年に命名された。荒川区は道路、坂道など、地元の要望を聞いて命名しているようだ(→)

 ・・・・

11/20朝、出勤前に千駄木むじな坂を下りて西日暮里4丁目(渡辺町)を歩く。
新道と旧道による鋭角二等辺三角形

道灌山坂 
荒川区のHPには、地元町会による要望で平成18年命名とある。
ひぐらし坂より16年新しい。
坂名プレートの「高橋系吾 96歳 書」は不要だろう。
個人の坂じゃないんだから。

坂を上がると、両側が道灌山学園。
保育福祉専門学校と幼稚園がある。
さきほどの高橋系吾氏はここの創立者。
プレート代を区に寄付されたのかな?

この1本北側にも坂がある。
下の方が階段になっていて、「私有地に進入禁止 田端1-29-12」とある。
この住所は右側のマンション。マンションができる前から道(私道)があったから、つぶせないのであろう。

道灌山坂のわずか1本北なのに坂名がないのは、ここが荒川区でなく北区だから。
左の森は与楽寺の飛び地だろうか。
この朝もいつもの電車に乗れた。

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7/16、 猛暑の中、補助92号線計画予定地を歩いた。
渡辺町におりて北へ行けば与楽寺にぶつかる。
2018-07-16 幽霊坂
このときはまだスマホを持っていなくてタブレットで撮った。
カバーがよくずれるから画面下がぼけている。幽霊とは関係ない。

幽霊坂上から。
2010年家を探していたころはもっと暗かった気がする。
 2015-03-22 ほぼ今と同じ。
この辺りも住みたい場所の一つ。

ついでに与楽寺に入る。
2018-07-16 与楽寺


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この近くの与楽寺坂、上の坂、不動坂は以前に書いた(こちら→

2015-03-22 与楽寺坂


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