2018年11月14日水曜日

平塚城跡と蝉坂、城官寺、無量寺

実は11月11日の散策はまだ続いている。
この日、ダンスの練習で北区滝野川体育館に来た。
この体育館へは、今は自転車で本郷通から来るが、
かつて埼玉にいたときは、上中里駅でおりて蝉坂をあがり平塚神社を横切って、きた。
 
2018-11-11
蝉坂は「或云、攻坂ノ轉訛ナリト」
(明治初期、『東京府志料』)
と、室町時代、坂上にあった平塚城をめぐる豊島氏-太田道灌の合戦を彷彿とさせるような別名がある。
(柱の文章)
現在の坂道は昭和18年7月、昔の坂を拡幅してできたらしい。
 
坂上から東を見下ろす
左上が平塚神社。右のほうに城官寺がある。

平塚神社は、江戸の主であった豊島氏の居城跡とされる。
豊島氏は坂東8平氏の一つ秩父氏から分かれ、荒川下流(江戸)付近を領した。
鎌倉時代に石神井城に移る。
室町時代になって上杉氏と対立、15世紀後半まで力を保ったが、上杉配下の太田道灌に敗れ、平塚城で再起するも落城、1478年滅亡した。

今残る平塚神社は、平安後期の創建といわれる。
八幡太郎源義家が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ、領主の豊島近義に鎧を下賜した。近義は鎧を地中に埋め、塚を築いて城の鎮守とする。塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれた。さらに近義は社殿を建てて、これが城内神社になったという。
塚は本殿裏にあるらしい(非公開)

本郷通から見ると参道が長い。


ようやく社殿が見える。
本殿の裏は少し高くなり、その向こうは崖。城に最適の地である。

切通しのような蝉坂を挟んで神社の反対に平塚山城官寺がある。
2018-11-11 
ここは面白かったので後日、別ブログで独立させた。
(2020-09-25)
(興味ある人はブログ内検索を)


城官寺をでると暗くなってきたので家に向かう。
本郷通りを西に渡り、古川庭園の北の道を西に下った。
左、古河庭園、右、無量寺の坂

こちらは無量寺北の坂

無量寺。
阿弥陀如来像があり、江戸六阿弥陀のひとつ。
一番:西福寺、二番:延命寺(明治になって恵明寺に移管)、三番:無量寺、四番:与楽寺、五番:常楽院、六番:常光寺
これらを結ぶ六阿弥陀道は夕焼け段々の下を通っている。

古川庭園下から本郷通に出る。
霜降り橋から本郷通を上がっていく古河庭園の横の坂。
古河坂とでもいいたい。しかし中世の武将保坂大炊介にちなんで大炊介坂、あるいは坂上の平塚神社にちなんで宮坂、樹木に覆われていたので暗闇坂とも呼ばれていたらしい。

2018-11-11 妙義坂。
写真だとわかりにくいが本郷通りは上っている。
中央の空き地についこのあいだまで銭湯があった。
お寺のような大げさな建物で、写真を撮っておけばよかった。
跡地は通りの奥、妙義神社の横にある女子栄養大が買ったらしい。
この大学は坂戸(東上線若葉)にあるが、少子化で都心回帰を目指しているのだろうか。

(2020-09-25 別ブログにするため2018年の一部を削除)


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