2020年4月27日月曜日

理研から鶏声ケ窪までの暗渠、龍光寺

本郷通りを天栄寺から北上、並ぶ寺寺を大通りから覗きながら駆け足で(自転車で)旧理研の南まで来た。

別ブログ

実はこの日の目的は寺巡りではなく、本郷通りの西側の暗渠をたどること。
川の名は知らないが、そうやって本郷台地の西縁の形を知りたかった。

2020-04-24
旧理化学研究所の通りを東から眺めるとアイソトープ協会正門のあたりがわずかにへこんでいる。
暗渠の上流であろう。

アイソトープ協会
以前見に来たときは修復中であったが(別ブログ)覆いはとれていた。

立っていた守衛さんと話した。
きれいになりましたねというと喜んでくれ、正面玄関上の「23」の文字も「鮮やかになったでしょう」と言われた。ここはかろうじて残った戦前の理研23号館をそのまま使っている。

40年近く前、アイソトープ研修に来て、そのころはもっと桜が多かったというと「そうですか、今年はコロナで研修が中止になったんですよ」とのこと。
脇を出勤してきた職員が挨拶しながら次々と通り過ぎた。

別ブログ
20171210 日本アイソトープ協会、土木研
20171210 文京グリーンコート、理研、科研製薬

研究に必要なきれいな水は、敷地内の井戸からとった、と宮田新平「科学者たちの自由な楽園」にあった。そのあたりを水源に川が南下していたと思うが、低いところに暗渠跡の道はない。
少し西に南に入る道があった。
江岸寺、天然寺の西側当たりを南下。

本駒込2丁目18と1丁目28との境までくると、東の本郷通りが見え、高いのが分かる。
左、本駒込2丁目18、加藤診療所

反対側、曙町側も高く、低いところを進んでいることが分かる。

曙町の高台は下総古河、土井家8万石の下屋敷があったところである。

明治42年
明治後は子爵となった土井家当主も一角に住んだ。
墓は谷中墓地にある(別ブログ)

暗渠に沿ってさらに南下。
右 加藤ヴイラグレース。1階に加藤隆一事務所とある。
南側は私邸のようだ。
そういえば周りに加藤診療所とか加藤介護サービスがある。

本郷通り側は階段。
角に来るたびに横の勾配を見て一番下であることを確認して進む。

東側、1丁目25番と21番の間の交差点までくる。
東にしのだ歯科。
本郷通りに登れば養昌寺の北、20番と26番の間、吉祥寺前の信号に出る。

右(西)の曙町の高台に上がれは坂上左に金森邸、右に曲がれば佐々木邸がある。
右、坂上の金森邸。
正面、暗渠に下って上がれば本郷通り。
この坂上に豪邸があるので曙屋敷坂とした。
再び坂下の道に戻り南下。

曙町は西片同様、学者文化人が多かったことで知られる。
理研が近かったから朝永振一郎(東京文理大教授兼任)、仁科芳雄も住んだ。

別ブログ 20181104 駒込曙町と星新一

南谷寺墓地の裏で道が二つに分かれる。
暗渠っぽい右を行く。

舳先のような場所の家は本駒込1-18-7
この辺りから下流に、昔は池があった。

goo地図、明治40年
今回示した明治の地図2枚とも池が確認できる。

本駒込1丁目児童遊園。
川の護岸のような石組み。

すぐ、さっき左に分かれた細い道が合流する4つ角にでる。
右は西の曙町に上がる坂がある。
西の曙町邸宅街、9番(左)と17番の間、
右手桜のある家?マンションはKuwamoto Ozakiとあった。
もちろん土井家古河藩の下屋敷が明治に分譲されたあとにできた坂だから新しい。
曙町の東向きであることから曙坂にしようと思ったが、この坂名は西片のほうにある。
昔下にあった池を曙池と仮名し、そこから曙池坂とする。

その曙池坂下から暗渠の先を見ると東洋大学が見えた。

そのまま歩くと再び5本の細道が集まる辻に出る。
4,5,8,9,10番地の境。
2020-04-24
左4番、右10番地
東洋大と国道17号(旧中山道)が見える。
左へ行くと龍光寺児童遊園の坂を上がり直角三角形斜辺にぶつかる。

このあたり下総古河藩下屋敷の南端である。
藩邸の地中から金の鶏が出てきたという鶏声ケ窪だろう。
あまり面白くない作り話だが、名前をつけようとした窪地があるのは事実。

中山道には出ずに、左の本郷台地に向かって上がる。
以降は翌朝撮影したもの。
2020-04-25
文京区立龍光寺児童遊園
上がってきた坂(写真左)は龍光寺坂と仮称する。
坂の左(南西)は土井家下屋敷の南端。右は龍光寺墓地。
公園の右は龍光寺への参道。不自然なほど広くて、谷中瑞輪寺(別ブログ)を思わせる。
車が来なくて子どもが走っていたのも似ている。

走っている大人もいた。
日課なのか、コロナで在宅だからか、土曜日だからか、分からない。

龍光寺坂をまっすぐ上って行けば本駒込駅と白山上を結ぶ斜め道に出る。
本郷通り駒本小学校前交差点、向丘二丁目交差点、白山上交差点の3点で、直角三角形を作りその斜辺である。
この道はサイカチの辻と白山上を結び、江戸時代からある。
東側に潮泉寺、西(右)に徳性寺がある。
向うに白山上の交差点が見える。

来た坂を龍光寺児童遊園まで戻る。
参道右にマンションが建つようだ。
本郷通りに面していないが参道が広いからだろうか、大して敷地は広くないのに6階建て。ワンルーム28戸を含む47戸。ゆるやかな斜面だから地下1階5階建てとして許可を取ったようだ。金儲けしか考えない業者になぜか便宜を図る文京区。あまりに民度が低い文京区。

区は住民でなく業者の味方をする。根性ある住民が反対した堀坂マンションは区の認可をくつがえし裁判に勝ったが、たいていの住民は泣き寝入り。(別ブログ)


龍光寺山門脇に吉丸一昌の碑
彼の家は我が家の二軒隣、細井医院の向かいにあった。
早春賦の作詞者である。

別ブログ

龍光寺はきれいに掃き清められた寺だった。


マンション建設予定地の横を通って坂を上がる。

本郷通り、天栄寺の北、本駒込1丁目6と7の間にでる。
江戸時代はなかったが天栄寺坂とする。

再び、龍光寺に戻ると山門脇の石柱に気づいた。
龍光寺私道はいいとして、右側に禅宗瑞祥山仙龍寺と石柱がある。
入っていくと・・・

2020-04-25 7:12 
小さなお寺があった。臨済宗妙心寺派。
なお後で気づいたのだが、龍光寺の参道西側に仙龍寺墓地という札があった。

小さくて静かな仙龍寺の写真を撮ろうとしたら、子供がまたしても勢いよく走ってきた。
母親もついていた。コロナで学校が休み、子どもたちも大変だ。朝飯前だろうか。

彼らの走っていく先は、龍光寺坂下すなわち鶏声ケ窪。
そこまで、車も入らず地元住民しか通らない一本道である。




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