2020年3月11日水曜日

堀坂、違法マンションの現在

3月8日、雨。
文京シビック、シルバーホールでラテンの基礎練習をした。
16時におわり、源覚寺こんにゃく閻魔を訪ねてから、裏に回り、坂道の写真を撮った。
本郷、谷中の坂道は大体制覇したが、小石川の坂は、これが初めてとなる。
2020-03-08 堀坂
斜度、広さともまあまあの坂。
標高差は12メートル。
右(北)はマンション工事中だが、南は古い家が多い。
石垣なども明治以前だろう。壁の銘板は旧町名・春日町の説明。

登る途中、左(南)がわに小さな石柱が埋まっていた。
ほりさかとひらがなで書いてある。
反対側には文京区による説明版。
今工事中のマンション一帯は旗本堀内蔵助2300石の屋敷だった。
幕末文政のころ堀家が坂を修復し、例の石柱を建てて以来、堀さかと呼ばれるようになったらしい。

大石内蔵助のとき思ったのだが、くらのすけになぜ内の字を入れるのだろう?
「内に蔵する」内蔵という文章語があり、いっぽうで「くら」という大和言葉があった。今のように学校でクラとゾウ以外認めないということもなかったから、字の組合せ、選択は自由だったのだろう。酒井雅楽頭(うたのかみ、忠清)とか井伊掃部頭(かもんのすけ、直弼)とか。
人名は、義務教育が全国に普及してから、1文字1文字の決まった読みをつなげたものになったが、平成のキラキラネームになってまた違う方向に自由になった。
堀家の屋敷は復元江戸情報地図によれば3440坪。

堀坂の案内板の後ろ、工事現場の壁にマンション建築計画の看板がある。
ああ、ここもどんどん景色が変わっていくのだな、何階建てだろう?とみる。
2020-03-08
4700平米、1400坪の敷地に地上8階、地下2階か。
建築基準法では斜面の場合、基準階は自由にとれる。坂上で8階、坂下で10階ということだ。
大きいな。
この細い道、静かな住宅街では大きすぎる。
ふとみると、標識設置、平成19年10月とある。
13年前ではないか!
工事着手平成22年(2010)でまだ完成していない。
堀坂を挟んだ向かいの民家の塀に小さな建設反対の色あせた紙が貼ってあった。

ははーん、これは例の物件ではないか?

小石川で住民がマンション建設に反対したが、文京区長が建設許可を出した。
しかし住民が違法建築として訴え、昨年最高裁でも勝ち決着した。
後楽園駅8番出口から2分、完成間近の人気物件は5000万から1億、2億、全107戸完売したまま塩漬けとなった「ル・サンク小石川後楽園」である。

文京区のマンション乱立、歴史環境破壊を残念に思っていたから、この問題は前から知っている。ただ、名前からして春日通りの方かと思っていた。しかし偶然、現物の前に立ってしまった。

たいてい住民はマンション建設に反対する。
となりの二階建てくらいの家々が突然更地になって、巨大マンションになる。日照、風通しが悪くなり、圧迫感が出て、交通量が増えるほか、得体のしれない新住民の急増による不安や、その他もろもろ。
マンションの住民ですら、自分たちが入居する前、近隣から反対されていたことを棚に上げ(気付かずに?)、新しい建設には反対する側になる。人間心理としては仕方がない。

周辺住民は、違法でない限り、結局は諦めるだろう。
そして、すこしでもデベロッパーに配慮を願う。
当時住民が、NIPPO、神鋼不動産に求めていたものは、文京区を通じて事業者に伝えられた。
(1) 建物の高さを20m以下にする。
(2) 歴史性に配慮した歩行者空間を整備する。
(3) 急峻な位置に車の出入り口は設けない。
(4) 歩道状空地は段差がなく、車椅子も通れるようにする。
(5) 緑地帯を伴う歩行者優先型の道路整備とする。
(6) パースを作成し説明会を解りやすく。
(7) 車寄せを敷地内に設置。

http://koishikawa2.mansion.michikusa.jp/

これを満たせば建てられたのだろう。
そんなに無茶な要求ではない。
道路の狭さ、閑静な住宅街を考えたら当然だろう。

ところが高さは28メートル。これは坂上から図ったものだ。こんにゃく閻魔側の道路(下の写真)から見たら35メートルくらいになるのではないか? 
住民の要望は入れられず、工事の強行されたことが分かる。

2015年11月、完成間近で建築確認取り消し、翌年2月入居予定の購入者が怒って大きなニュースになった。4年前である。

最初からの経緯を含め、ネットでは情報がいっぱいあるので詳細はそちらに譲る。
簡単に記すと
2003年、NIPPO/神鋼が共同で購入(坪300万円×1360坪、45億円)。
    もとは富士銀行社宅跡地。
2004年8月文京区から建築確認を得た。(文京区長が「開発許可は不要」と回答)
   ただ、計画が容積率いっぱいの建設だったために住民が反対。16年前である。
2005年、都審査会は建築確認を取り消し。(理由は堀坂の幅が6m未満、など)
2009年3月、文京区との協議の結果、変更計画に再び開発許可。
2010年5月、工事開始。住民側は東京地裁に開発許可取り消しを求めて提訴するが、認められず。
2011年1月、拡幅後の堀坂について文京区長が供用開始決定。住民は異議申し立て。
2013年2月、法的紛争未解決のまま建築工事に着手。
2015年4月、ル・サンク小石川後楽園完売。
   11月2日 東京都建築審査会、建築確認取消。
その後、違法かどうか、開発者は争う。
2020-03-08 狭い道路に二階家が並ぶ。
道の右側(東)はこんにゃく閻魔の源覚寺。
ここに10階建ては違法でなくても非情だろう。

2018年5月、東京地裁は違法建築と認定。
2019年8月、最高裁で上告棄却・上告不受理となり、事業主2社の敗訴が確定した。

デベロッパーのNIPPOは今後、損害賠償を求めて建築確認を行った業者(民間)の監督官庁の都に約107億円を請求するらしい。
しかし、計画変更のたびに許可を出した文京区の責任はどうなるのだろう?

多くの自治体では開発を抑える方向にある。
例えば、2004年に建築基準法が改正され、地盤面というものを、自治体は建築基準条例で別に定めることができるようになった。
これを受けて、横浜市では地盤面を最も低い場所にある1層に限定している。地下にあることで容積率不算入の対象にするような、悪徳業者の活動に制限を加えた。

それが文京区というのは住民の景観保存意識が高くとも区長が開発側に立つ。
子育て支援、若年層の人口増加を一番の目標とし、それなりの支持を集める。
しかし文化、歴史に興味がない方である。
弥生にあったサトウハチロウ記念館が佐藤家では維持存続不能となり、区立にしようとしたとき、遺族を怒らせ、北上市に移転してしまった末代までの大失態、つくづく文京区が嫌になったあの事件の時の文教委員長だった方だ。
「小さい秋見つけた」のハゼが残る記念館が駐車場になってしまったのは彼一人の責任ではないだろうが、旧宅・庭には興味がなく、遺品の一部が北上にいくなら土地購入を白紙撤回するというお考えだった。(谷根千45号p12(1995))
多くの遺品は残るのだから、建物だけでも残れば、区民、一般人は満足する。

開発と保全、両方の考えがあるから区長が悪いというわけではないが、文京区というのはこういう区だと住民は覚悟する必要がある。

北区、豊島区のほうから本郷通りを南下すると文京区に入ったとたんにマンションが林立する。文京区が人気あるというより、規制が緩やかで開発が容易だったという話だ。

さて、違法マンションに話を戻すが、このまま工事フェンスに囲まれたままでは美観を損なう。つぶすのももったいない。
金はかかっても、高さを下げるなり、緑地を増やすなりして、景観に配慮したものにして再度分譲するしかないだろう。

堀坂の写真(2001年頃)
工事前の堀坂(坂上)
写真は「小石川二丁目マンションの無秩序な開発・建築を考える会」
http://koishikawa2.mansion.michikusa.jp/から借用。

別ブログ
20200310 こんにゃく閻魔と皮膚病の木
20191218 上野・本郷、全126坂道の一覧、ランキング

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(2020-03-14 追記)
6日後、また文京シビックセンターに来た。
写真を撮りに再訪
2020-03-14
「ほりさか」の石柱がみえる
マンション反対の貼り紙が残る
地上8階、地下2階は、やはり10階建てである。

2004年から16年、開発業者、反対住民、購入者、そのほか関係者、
多くの人の人生に大きな影響を与えたことだろう。
そして未だ解決していないのである。

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