水窪川暗渠は護国寺まえの不忍通りをわたり、お茶の水女子大の西に来ると、文京区の音羽と大塚の境をすすむ。谷田川が千駄木と谷中の境になっているのと同じ。
11:38 お茶の水女子大西門
川は崖のすぐ下を流れているので、上(左)が大塚、下(右)が音羽とはっきり分かれ、大塚側が官有地だったこともあり民家はほとんどない。
日商岩井音羽マンション
住所は崖上の大塚であるが、名は音羽の方が好まれるようだ。
ベランダの形が昭和である。
1971年7月築だからなんと築50年近い。13階建、84戸階建て。
2020-04-16 11:40
右が水窪川暗渠。
左の日商岩井マンションの前の坂道が気になるので寄り道。
日商岩井坂と仮称する
11:41 上がると長屋門の家
11:42
さらに上がると突き当り(お茶ノ水大)。
左は日商岩井音羽、右はベルテ音羽台。
ベルテ音羽台から長屋門の家がみえた。
水窪川暗渠に戻り(ここしか道がない)、南下。
11:47
11:48 階段があるが音羽ハウス私有地。
11:50 付属坂(仮称)
左が音羽ハウス、その上がお茶大。右は筑波大付属高校。
かつて崖の上は大塚兵器庫でこの坂はなかった。
1908年(明治41年)、東京陸軍兵器支廠が東京市小石川区大塚町に移転
昭和7年(1932)
都電の走る不忍通りは護国寺前まで伸びてきていた。
お茶大はこの図の昭和7年に湯島から移転してきた。(別ブログ)
東京文理大及び高等師範は一足早く春日通の向こう、窪町に移転してきている。
つくば大学発足は1973年。
昭和32年の地図に水窪川は無いが、昭和7年図ははっきり流れている。
11:54
ここで腹が減ってきた。パンを食べるような公園もないので西に平行する音羽通りに出た。
ロイヤルホストに入る。コロナのせいか空いていて店員が丁寧。
ランチを頼むも人手不足か時間がかかった。
ふたたび水窪川暗渠に戻る。
13:08 鼠坂
こちらは古い。
この階段が延々続く。
トレーニングに良さそう。
13:09
脇に上がる石段がある。
鼠坂は下から上まで両側が音羽である。
坂の途中で左を見れば春の七草がありそうな私道。
13:13 やっと登り切る。
坂上はもう大塚でなく、小日向。
ここから南は坂上の道が音羽と小日向の境になっている。
13:15 この道の右が音羽
だから音羽という住所の高台はわずかしかなくて、大部分は崖の下である。
それなのに高台側の大塚住所のマンションは好んで音羽を名乗る。
音羽のブランドは鳩山御殿のせいだろうか。
鳩山 (株)鳩山総研
という勝手口。
2001年8月、目白フォーシーズンホテルでの学会の帰り、この道を歩いた。
鳩山という表札の家を道の東側(小日向側)で見たと思ったが、記憶違いか。
一軒間にあって、鳩山会館、裏が見える。
13:17 鳩山記念館裏口
13:18
2001年はここから鳩山会館が見えた気がするのだが記憶違いか。
13:18
鳩山会館のすぐ南から石段。八幡坂。
13:19
石川啄木初の上京下宿跡
明治35年(1902)11月のこと。「眺望大いによし」
しかし生活苦と病気のため翌年2月、帰郷せざるを得なかった。
本郷を拠点として活動するのは明治41年、3度目の上京である。(別ブログ)
鳩山邸の南隣である。
素敵な家というのは子どもが見えなくて人がいるのか分からないほど生活感がない。
13:21
八幡坂を下りる。
13:22 音羽今宮神社
元禄10年(1697)桂昌院(綱吉の生母)の発願により、京都紫野、今宮神社の分霊を護国寺境内に勧請したことに始まる。
13:22
八幡坂は、坂下に田中八幡があったことによる。
明治2年、この八幡が氷川神社と一緒になり小日向神社となり移転、明治6年、今宮神社が護国寺からここに移ってきたという。
13:25
せっかく近くまで来たので表通りを北に戻り鳩山会館の正門をみにきた。
13:28
ふたたび裏道にはいり水窪川の暗渠をたどる。
13:29
ようやく鷺坂下に至る。
この上に関宿藩、久世大和守の下屋敷があった。
利根川と江戸川の分岐点にある関宿は一度行きたいと思っているのだが、水運盛んな昔と対照的に交通不便でまだ機会がない。
13:30
石柱の側面に「山代久世乃鷺坂・・・」とある。
山城の国に久世神社というのがあり、その坂で柿本人麻呂が詠んだ、
山背の久世の鷺坂神代より春ははりつつ秋は散りけり
である。
明治40年
この高台は小日向の他の地域より開発が遅れ、大正時代まで久世山と呼ばれていた。
その後宅地化され、坂ができたとき、久世山に移り住んだ堀口大学らが京都の久世の鷺坂と関連付けて命名、住民にも広がったとか。
車の宣伝にも使われた、有名な景色
13:31
すぐ上にもヘアピンがあるが、路面の模様など下のほうが景色に優れている。
13:32
千駄木汐見坂などの景観がほぼ完全に消えた今、鷺坂の風情はずっと残ってほしい。
しかし右の家が危ない。マンションになったら一気に景観が変わるだろう。
鷺坂を下って水窪川暗渠に戻り南下するとすぐに水道通りに出る。
13:34
家の向こうに首都高が見えた。
水窪川はその下の神田川に流れ込んでいる。
池袋から昼食地点まで90分
昼食後再開してここまで30分。
合計2時間だが、だいぶ寄り道しながら写真撮りながらだから、普通に歩けばずっと早い。
グーグル地図で見たら池袋から3.6キロ、45分と出た。
ちなみに池袋から千駄木の家までは4.9キロ、62分である。
別ブログ
20200418 水窪川の地形と戦前地図
20191223 医科歯科大と昌平黌、お茶大の校名
20191218 上野・本郷、全126坂道の一覧、ランキング
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